WELLA
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2003年07月30日(水) 折り合い

去年配偶者を亡くした友人がいて、それ以降の生活をWeb日記で公開している。感傷的になることを禁じているかのように、新たな挑戦を鼻の先にぶらげて、ぎゅうぎゅうとありったけの日常の雑事や時に楽しみが詰め込んである。時折配偶者氏に対しても、それを読んだ彼の苦笑いが想像されるような、読む人によっては辛らつにも思える言葉が綴られている。しかし一方で一見さばさばと暮らしているように見える彼女が、思いのほか過ぎ去った時間を振り返り、立ち返り、さまざまなポイントで現実と感情の折り合いをつけながら前に進んでいる姿が、日々の率直な文章から浮かび上がってくる。それは彼女の強さでもあり、他方、それらの想いを吐き出さずにはいられない性のようなものだと思っている。
私が彼女の立場であれば、おそらくそこまで直截に書かないか、あるいは偽名を使うと思うのだが、あえて本名に近い形でそれらを公表しているのは、誤解を恐れずに言えば、よくも悪しくもとても彼女らしいやり方だと思って読んでいる。そして案の定というべきか、そういう彼女の書き方、特に配偶者に関する記述について、本来そういうことは心の中にしまっておくべきことで公表するようなことではない、という意見があったのだという。その意見はある文脈でYESであり、ある文脈においてきっぱりNOである。ご本人はよかれと思って彼女にそう助言したのだろうと思う。しかしその時その時の気持ちはパーツとしてはどれも本当で、けれどもモザイク画のようにパーツが集まって全体から見たとき、必ずしもその個々がその姿で顕れるものではない。ある一部分を切り取って、それを元に判断して意見を言う。それは、そのように思う人もいるのだということを知る上では有用かもしれないが、それ自身に振り回されることはあまり意味がない。時間が十分たったのだからそんな言い方をしなくても…という意見も、その時間はその人の時計で測った物言いである。思うところはそれぞれあるにせよ、正しいことは必ずしも一つではなく、立場によってさまざまに変わる。その人のその意見も今は心の中にしまっておいたほうがよかったのかもしれない。

という私こそ、こういうことは心の中にしまっておくべきだったか。


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