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昨日の夕方、某所地下室で作業をしていたらゆれを感じた。地下室といっても半地下ですぐ外には出られるので、それほど危険とは思わなかったが、不気味にうねるような長引くゆれは、不吉アンテナを全開にさせる。すぐにテレビをつけて、東北地方で大きな地震があったこと、その影響で東北新幹線などの鉄道が止まっていることを知る。 そして一夜明けて今朝の新聞を見ると、案の定JR駅構内で駅員に詰め寄る中年男性の姿が写真に出ていた。そして「なんの情報もない」とぐったりした表情の人や、憤る人のインタビューなどが出ているのだ。いつもながら「ちょっと待てよ」と思う。確かになんの情報もないのは不安だろうが、これは天変地異であり、ストライキとか(そういえば近頃聞かないな)、居眠り運転とか、ミスによる事故とか、その手の人的要因によるものではないのだ。これだけの稀に見る大きな地震があったのだから、点検するにしろすぐに終わるわけはないし、定期点検ではないのだからいつ終わるかどうかなど聞くだけ愚かだと思うのだが。 日本人は、とここですぐ国民性を持ち出すのは本意ではないが、あまりに正確な運行に慣れきっているのではないか。このあたりが実は危機感の喪失と密接に結びついているような気がするのだ。日本以外の国は、平常時ですら電車が遅れて当たり前。彼の国の人たちはここまで目くじらを立てるだろうか?人災はけしからんが天災ならば仕方がない。その違いにすら鈍感になって、その結果現状を受けれることなく、「通常通り」を求めてイライラしているのだ。 「いつ家に帰えれるかわからない」と憤りを隠さない行楽帰りのオバサン、自分と帰るべき家が被害にあっていないことありがたさを感じないのか。そして、そこで駅員に詰め寄っているオジサン、本人は困っている利用客を代表して怠惰な鉄道会社を弾劾しているつもりなのかもしれないが、その行為で確実に一人分の労働力を奪い、情報の伝達をさらに遅らせていることに気づきたまえ。
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