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テレビでハンセン病訴訟関連のニュース映像を見ていた。涙腺直撃した。涙がぼろぼろ流れた。政府が訴訟しないと聞いたときの、ハンセン病元患者たちの様子が次々に映し出される。弾けるように喜びを表現している人はいない。どの人も初めはにわかに信じがたい表情を浮かべ、それから喜びの感情がさざ波のように広がって、そして絞り出すように喜びの言葉を述べる。その様子の背景に何度も絶望の底に突き落とされた、この人たちの今までが浮かび上がってくる。元患者の一人は「太陽は輝いた」という自作の詩を朗読し、今日から人間として生きることができます、と記者達に語った。 ハンセン病はその外見的な症状から、恐ろしい伝染病として忌み嫌われてきた。いくつかWebで資料を読んだところによると、家族の中で患者が出るとその家族は村八分となり、昭和6年に制定された「癩(らい=ハンセン病)予防法」により患者は強制的に隔離されたという。戦前、私の母が小さい頃よそから本を借りてくると、医者であった祖父は「らい病の人が触ったかもしれないから」といってその本を必ず日光消毒させたそうだ。医療従事者でさえハンセン病を伝染力の強い恐ろしい病気として認識していたことがこの話からもわかる。その当時は不治の病とされていたが、ほどなく米国で特効薬が発見され、しかも実際は感染力の非常に弱い菌であることも明らかになる。ところがほぼ同じ頃に日米開戦となり、日本には治療法がもたらされることはなかった。戦後間もなく日本に導入されたその薬によりハンセン病は劇的に治癒し、非常に治療しやすい病気であることを証明した。しかしそれにも関わらず、昭和28年に新たに制定された「らい予防法」では患者の隔離については改正されることなく、平成8年に至るまでその法律は生き続けた。 ここまでが今回私の知った経緯である。 さて今回の訴訟で政府は控訴を断念し、国の誤りを認める方針を決めた。小泉首相は元患者らとの面談で目に涙を浮かべていたという。もらい泣きしながらふと醒めた頭で「小泉さんの株がこれでまた一つあがったな」と考える。さらにこの光景どこかで見たことがあると思った。5年前のHIV訴訟である。あの時も細川政権が国民の大いなる期待を背負って登場し、厚生大臣だった菅直人氏の英断で薬害エイズの被害者達に国として謝罪したのだった。それを思い出しながら画面を見ていると、今回の決定の前にハンセン病元患者達が首相との面談を求めて、官邸に押しかけた時の映像が映った。集団の最前列にHIV訴訟の川田龍平氏の母である、川田悦子代議士の姿が見えてなんだか妙に納得してしまった。 鳴り物入りの新内閣。新しい政権下での首脳陣の決断。細川内閣の場合、HIV訴訟の件でもわかるように初めのうちこそ画期的な(よい意味での)パフォーマンスが見られたが、その後は尻つぼみになって結局ぽしゃってしまった。今回の件はどうも状況が酷似しているだけに、似たような末路を辿るのだろうか、などと余計な勘繰りをしてしまう。これを手始めとして悪しき因習を打ち破る政治を続けて欲しいものである。
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