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宇都宮2日目はうす曇り。ホテルで朝食とチェックアウト後、そのまま駅から美術館行きのバスに乗る。開館時刻を10分ほど回った頃美術館着。まだ人もまばらな中をゆっくりと見て回る。いつも思うのだが、ぱぴちゃんと一緒にデュフィを観るのはとてもお得な気分である。色々と教えてもらえるし、何より彼女から伝わってくる熱が気持ちいい。個人的には昨夜図録を確認して見落としていた作品や印象深かった作品を重点的に見る。 会場は大きく二つの展示室に分かれていて、画家としての生涯をなぞる形で初期の作品から順に展示されている。絵を学んでいた頃の自画像の気の強そうな顔、かっちりとした構成の重厚な色使いの風景画、あの飛びぬけて明るい配色の軽く明るい作風はどこにもない。やがて印象派、フォーヴィスムに傾倒し、途中おそらく絵の具すら満足に買えなかったであろう時期、商業デザインに携わっていた時期などを経て、その片鱗をうかがわせながらいわゆる「デュフィのあの感じ」が出てくるのは、展示の中盤以降ということになる。繰返し作品の中に出現するモティーフを検証しながら、かつばかげた冗談を言い合いながら3/4ほど進んだところでいったん切り上げる。 午後は昨日ぱぴちゃんのほっぺにチュッチュした、ポンピドーセンター学芸員ディディエ・シュルマン氏が「連作の画家−ラウル・デュフィ」と題しての講演を行うので、その前に少し早めにお昼にする。ここのレストランのランチを逃すわけに行かないのだ。美術館はそれ自体が林に囲まれているのだが、特にレストランは開口部が大きく、開放感にあふれている。料理はイタリアンといっても素材を生かしたあっさりしたつくりで、このロケーションとの組み合わせは至福。三人ともパスタの定食からそれぞれ選んでデザートにケーキ。美味。レストランの先客には、昨日内覧会に招かれかつ今日の講演を目当てに来ている人たちもあったらしく、私たちがテーブルに案内され歩いているときに、「ほら、昨日の人よ」とかいう会話がぱぴちゃんの耳に入ったそう。そりゃぁ、レセプションでゲストと長々とフランス語でお話してたら目立つわな。しかも三人とも荷物を少なくするためほぼ着たきりすずめ状態。内覧会の出席者は美術館のボランティアの奥様がたも多いそうで、よそ者は一目瞭然である。 食事の後アートショップで絵葉書などを見ていると、シュルマン氏とばったり。ぱぴちゃん昨日解読できなかった単語を教えてもらう。彼曰くぱぴちゃんは「やさしくて近代的なデュフィの戦士」だそうで、彼らは日当りがイマイチの稀有な画家の地位向上のために日夜奮闘する同志なのだ。講演会の前に再度常設展のデュフィに「会いに」行き、ボランティアが説明するギャラリートークに聞き耳を立てる。 講演会は早めにいって比較的よい席を確保。逐次通訳の女性も聞き取りやすく分かりやすい。講演はスライドで画家のいくつかのモティーフごとの連作を対比しながら、画家が表現したいものをより忠実に表現するために常に行っていたさまざまな試みを、順々に解き明かしていく。画家本人は規則正しいまじめな日常生活を送っていたそうで、時に常識や作法を外れたり矛盾したり、一見何にも考えていないような画風は実は表層的な印象に過ぎず、緻密に計算しつくされたものである、というのは興味深い。とはいうものの、内面ではさまざまな葛藤がありながら「な〜んか楽しい♪」と感じさせる奔放さもまた、見る側にとっての得がたい喜びである。 耳にここちよいフランス語とお腹に詰まったイタリア料理のまったり具合がいい按配で、哀しいかな途中でうつらうつらしてしまう。かたやスライドが上映される中、暗闇でせっせとメモをとる手を動かしつづけるぱぴちゃん。通訳の分だけ時間が余計にかかって、質疑応答も含めて講演会が終了したのは約2時間半後。 17時の閉館時間までさらに残りの作品を精力的に鑑賞。開館時間中ほとんどの時間を美術館内で過ごしていたにも関わらず、まだ足りない。展示作品の中から一つ選んで詩(あるいはメッセージ)を書いて提出すると絵葉書をくれる、という企画があり、なんとかでっちあげで絵葉書2枚組を手にする。ちなみに私が選んだのは「メキシコの楽団」という1951年の作品で、書いたのは「乾いた風/照りつける太陽/舞い上がる砂埃/通り過ぎる音楽/身体に刻まれるリズム/メキシコの午さがり」という文字の羅列。 閉館時刻ぴったりに出てバスに乗って駅へ。車中tenkoさんが時刻表を調べてくれて、18時9分発の快速で帰ることにする。私とtenkoさんは駅構内で餃子のお土産を買い、ぱぴちゃんはデュフィ展主催である読売新聞と、地元の地方紙を買う。地方紙はカラー写真と関係者のインタビュー入り。ぱぴちゃん大いに喜ぶ。 交通機関は順調で20時半には帰宅。湯当たりならぬデュフィ当たりでボーっと浮かされたような夜。
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