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2001年02月22日(木) 思い出かがらくたか

毎朝NHKの「おじゃる丸」を見ている。
いつもながらコドモに媚びていないストーリー展開だが、今日は、おじゃる丸が居候している家で、息子と父親がそれぞれもう使わないモノを思い出だからとあれこれ取っておきたがるのに対し、それを捨てると主張する母親はといえば、割り箸や空き缶や空きパックをいつか使うかも知れないからと食器棚に溜め込んでいる、というどこの家庭にもありそうな話だった。
ところで、私は末っ子なので住居計画と家族計画が折り合わなかったのか、自室とよぶスペースは論外に狭かった。殆ど納戸である。しかも「捨てるには惜しいから」という不要品がお古として断りなくやってきて、私より下はいないので、結局私のところに吹き溜まっていた。片付けるためにはある程度ワークスペースが必要なのだが、そんな場所もないので私の部屋はいつもゴミの山のような状態だった。初めてちゃんと収納スペースがある一定の広さ以上の部屋を持つ時まで、私は自分が片付けが下手でだらしない、欠陥人間だと本気で思っていた。
両親と兄夫婦は二世帯住宅に住んでいるが、住居スペースも収納スペースも我が家より広く、モノが多く、そしてまんべんなく散らかっている。両親の世代は戦時中を体験しているだけに、物資不足に対する恐怖もあるのかもしれないが、基本的に買いだめが好きである。荷物の量はかばんの大きさに比例するというが、家についても同じだろうと思う。狭い家はモノがあふれていると居場所がなくなるのでせっせと片付けざるを得ないが、そんな思いをしたことがない人々は処分せずにどんどんモノを増やしていくのだろう。
その反動なのか私は使わないものや着なくなった服をせっせとバザーに出したり伝手をたよって寄付したりしているのだが、もちろんそうするには手間も時間も時にはお金(送料など)も必要である。けれども、思い出だから、いつか使うから、と死蔵しているより価値のあるうちにどんどん使ってもらえるところに回した方が、何倍も活用されていいんじゃないかと思う。それでもし将来自分が必要となったときもどこからか回ってくるような気がするんだけど、そういうのは甘いんだろうか。


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