WELLA
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2000年08月07日(月) 第7話 警報のいざない

未明にサイレンが鳴った。
続けて無機質な館内放送が流れる。あらかじめ録音してあるものらしい。ただならぬ出来事に耳をそばだてるが、「警報が鳴りました。ってことはどこかに異常があるようです。たぶん避難したほうがいいでしょう。」というようないかにも緊迫感のないアナウンスである。
「はいぃ?」「避難、するの?」「うーん」「荷造り、する?」「いや、身軽なほうが…」「むー」
廊下の様子をうかがうと、何人か避難をはじめているがこれまた緊迫した雰囲気はなく、まぁ避難しとけ、という感じである。学会に参加している人なのか、軽い旅姿となっている人も居る。ドアの下にはすでに朝刊が差し込まれているが、それを持って避難するのは不謹慎な気がしてそのまま部屋を出る。

人々のあとをついていくと、その先は非常階段である。煙もないようだし、タオルを口にあてる必要もないだろう。無言でぐるぐると階段を下りていくと2階の前庭のようなところに出た。出たはいいが誘導も説明も何もないのでそのまま三々五々そこら辺に腰をおろす。海を渡ってくるひんやりとした風が気持ちがいい。さわやかな空気の中で新聞を読んでいる人もいる。しまった、やっぱり持ってくればよかった。おだやかな中にも静かな、何の情報も提供されない不確かな緊迫感が漂っている。
見るともなしに、非常階段から出てくる人を眺めていると、バスローブを着て頭にタオルを巻きつけた親子連れもくる。足元は裸足である。とるものもとりあえず避難してきた姿勢は評価できるが、もう少し考えないものか。
当日から学会のメインのプログラムが始まるので、前日からかなりの人数が宿泊しているはずなのだが、それにしては避難してくる人数は少ない。

しばらく前庭でぼんやりしたあと、何人かがホテルの建物に入っていった。別に何か起きている感じはしないし、第一ここにいても何の案内もないのである。館内放送も聞こえない。われわれも見切りをつけて中に入ることにした。ホテルのロビーに降りるとやっとホテルの従業員が一人いた。何もなかったのが当然というような表情でしれっとしている。何人かが窓の外を指差しているので一緒になって覗き込むと、ホテルの前に赤い消防車が一台停車している。うーん、やっぱり何かはあったんだ。近くを歩いていた若い女性が「I like it!」といって笑う。これといった出来事がなかったのは幸いだが、確かに消防車ぐらい見かけないとあまりにもむなしい避難行動である。

変な時間に起こされてしまったので、いまいち調子が出ないが、今日はボストンの運河を渡って反対側にあるハーヴァード大学を見物に行くことにしてある。
ハーヴァード大学はもちろんアメリカの一流大学として有名だが、隣にあるマサチューセッツ工科大学(MIT)とともに、所在地の地名がケンブリッジであることはあまり知られていない。というか私も以前は知らなくて、イギリスでとある会合で顔を合わせたMITからきたアメリカ人に「僕達もケンブリッジから来たのさ。」とからかわれてはじめて知った。ここボストンがあるニューイングランド地方には、ポーツマスやプリマスなど、清教徒がイギリスからそのまま持ってきた地名が多い。ここに大学を作ったとき地名をケンブリッジにしたのもうなずける話である。
今回の旅行ではこのハーヴァード大学があるアメリカのケンブリッジとイギリスのケンブリッジに行くことから、この読み物の「だぶるけんぶりっじ」というベタなネーミングが生まれたのだが、つまりそういうことである。
ちなみにハーヴァードというのは大学の創立者ではなく、貢献者の一人の名前である。イギリスのケンブリッジ大学のハーヴァードさんが卒業したコレッジのチャペルには、彼の姿が描かれたステンドグラスがある。
余談だがハーヴァードがイギリス人であるという事実は知らないアメリカ人も案外いるらしい。
英ケンブリッジでガイドをしている女性が米ケンブリッジをガイドの女性に案内してもらった時にその話をしたら米ケンブリッジのガイドは「違う違う、ハーヴァードは純粋にアメリカ出身のboyよっ」と言い張ったそうだ。あら、それじゃインディアンじゃないの、ぷぷぷ。とは私と一緒にその話を聞いたアメリカ人女性の弁である。

とにかくというわけでハーヴァード大学へ行くべく地下鉄に乗る。


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