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泣いても笑ってももう帰国である。 数週間前はあとわずかだと焦り、数日前は砂時計の最後の粒が滑り落ちるような感覚だったが、今となってはもはや淡々と時を過ごすだけである。 始めがあって終わりがあるように、まるでフィルムの逆回しを見ているように、ここで知合ったさまざまな人たちに順々にさようならといい、握手を交わし、ハグをする。 「日本に帰るのは幸せ?」と聞かれる度に「まあね。」と曖昧に答える。「でも家族や友人に会えるのはうれしいでしょ?」といわれる。懐かしい家族や友人達の笑顔が目に浮かぶ。温泉やお寿司も恋しい。ふるさとに帰るのがうれしくないわけがない。しかもすべて日本語で事足りる毎日が待っている。ちょっとしたおしゃべりに全神経を傾け、常に自分が何か間違った事を言ったり聞いたりしているのではないかとビクビクする必要はない。ストレス一杯の毎日から解放される。 私はただ「さようなら」を言いたくないだけなのだ。チャンドラーの言うように「さよならを言うたびに少し死ぬ」ならば、今の私はほとんど死にっぱなし、かなり危険な状態である。 一番仲良くしていた同じ訪問研究員のアメリカ人夫妻と、いつも行っていた中華料理店でお昼を一緒に食べた。彼らは私たちより少し早くケンブリッジを離れていった。離別の挨拶を交わすのがいやで、私たちはいつまでもぐずぐずと席に座って、知っている限りの外国語で「さようなら」をなんというか披露しあっていた。そうして時間切れ。何度もハグをする。おなじみの中華料理店のマネージャーにも今までどうもありがとう、と挨拶をする。 戻ってきたら私のところに泊まってちょうだい、といってくれる人がいる。すぐに電子メールを始めるからあなたと連絡が取り易くなるわ、といってくれる人がいる。運びきれない荷物を、快く預かってくれたり引き受けてくれる人がいる。困ったことがあったら何でも言ってくれ、と再三申し出てくれる人がいる。これを書きながら「からたちの花」の一節が頭に浮かぶ、「みんなみんな優しかったよ」。お世話になった日本人の人達とも挨拶を交わす。「またお会いしましょう」。 若い人達との別れはまだ辛くない。ほとんどの友人は電子メールを使うので、どこにいても簡単に連絡を取り合える。。今生の別れではないことはわかっている。彼らが日本に来るかもしれないし、私たちが彼らの住む土地を訪ねることもあるかもしれない。これがきっかけになるのだと思える。 病院のピアノ弾きでは、結局最後にお年寄り一人一人に声をかけて回った。スタッフの人達からは「さびしくなるわ」と記念品と寄せ書きのカードをもらった。バス停でもらったばかりのカードの文字を追う。色んな文字がにじんで見える。バスにごとごと揺られながら、私は今死んでいるなとぼんやり思った。 当初の目的通り英国人の友人がたくさんできた。語学学校や訪問研究員の集まりを通じて、英国だけでなく世界中にも友人ができたというおまけもついた。ただでさえ荷物が多いところにお餞別をもらったり、忙しい中お別れにお茶や食事に招いてもらったり、うれしい誤算もある。住所を交換しながらお互いに言う。 Do keep in touch(忘れずに便りをちょうだい) この言葉が社交辞令に終わるか終わらないかは、これからにかかっている。せめてクリスマスの時期にはカードを出そう、と気弱な決心をする。 とにかく私のここでの生活はこれで終わった。いろいろやり残した気もするし、充分やった気もする。終わりのような気もするし、始まりのような気もする。胸に去来するさまざまな想いを抱えて、私は日本に帰る。
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