WELLA
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1998年05月26日(火) はるかなる大英帝国

われわれの乗ったヴァージンアトランティック便は定刻をはるかに過ぎて、ロンドン、ヒースロー空港に到着した。

これというのもタイヤの交換で成田で3時間も待ちぼうけを食わされたためである。機内で繰り返される案内は「少々お時間がかかる場合が予想されます」の一点張りで、この場合の「少々」がいったいどの程度の時間なのか、さっぱりわからない。マクドナルドの「少々」とはレベルが違う。
止まっている間にも機内ではじゃんじゃん飲み物や軽食が配られ、「少々」が「相当」であることを覚悟させた。しかしそこはそこ、相手はイギリス人であるゆえ、不満げなそぶり一つ見せずに鷹揚に構える他はない。
何といってもイギリスである。大英帝国である。女王陛下の国である。君臨すれども統治せずである。我が家と同じである。あ、いや、それはともかく紳士の国である。テディベアとパディントンの国なのである。

前回のカトマンズ紀行とは打って変わった思い入れだが、これにはわけがある。
今をさかのぼること10余年前、私が初めて本州を出たとき、飛行機に乗って向かった場所が他ならぬロンドンだったのである。
そう、その頃はロンドンまでの直行便はなかった。
ヴァージンアトランティック航空だってこの世に存在しなかった。心細い思いをしながら格安チケット屋で斡旋されたアエロフロート便に一人乗ったのだった。あの頃はまだソ連が解体していなかった。
ばりばりの共産圏の貫禄のあるスチュワーデスにびびりながら、兵士が銃を構えるモスクワを経由してロンドンに着いたのは9時を回っていて、真冬のロンドンは夜の帳が下り、空から見える街灯のオレンジ色の光を、窓ガラスに額をくっつけて飽きもせず見つめていたのである。

今回私がイギリスに来たのは、夫の在外研究にくっついてのことなのだが、何を隠そう私はイギリスが大好きなのである。私が頼まれもしないのに、ローラアシュレイの花柄のワンピースを着、紅茶には冷たいミルクを入れ、休日にはせっせとガーデニングに精を出しているのはそういうわけなのである。
私の日常を知っている人々は、私が無理矢理夫にイギリス行きを決めさせたと思っている向きもあるようだが、それは誤解である。

ロンドン到着は午後9時。夏時間ゆえ、まだ日は落ちずあたりは明るい。一路ハイウェイをケンブリッジに向かう。牧草地帯に映える緑が美しい。自然と気分が高揚してくるのがわかる。

とにかく、こうしてわれわれのここでの生活が始まったのである。


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