WELLA
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1997年12月16日(火) 第16話 ネパール、食の攻防

バクタプルから戻って、そのまま ホテルのカフェで軽い夕食をする。ここは朝、昼、晩と3食 ブッフェ がある。いずれも日本円にして千円強。
シェフはなかなか勉強熱心らしく、ネパールや欧米スタイルの料理はもちろん、日本食モドキもある。
味噌スープ、細長い白米、漬けものという名のピクルス、西京焼きという名の魚のグリル、カナッペのようなsushiもある。これはつまり、無垢の太巻をスライスしてその上にキャビアやスモークサーモンなどを乗せたもので、一応ご飯は寿司飯風に甘酸っぱくなっている。
前にも書いた通り私は香辛料の類が苦手なので、こうしたブッフェの存在はありがたい。贅沢はいえないのだ。

一方、夫はカレーやキムチなどが好きで、ブッフェで毎日さまざまな種類のカレーが並ぶので
「いや〜ネパールでこんなにおいしいカレーが食べられるとは思わなかったなぁ」
とご満悦である。いや、ご満悦であったというべきか。今や彼も大人しくスープなどをすすっている。

スープといえば、ネパールの料理の中で数少ない私の好物となったものがこの手のスープである。一番ポピュラーなのはチキンとマッシュルームのクリームスープだろうか、これは大体どの店にもあるようで、大抵小さ〜いパンが二つそえられている。
このスープは店によって、順列組合せのように中身のバリエーションがあり、チキンがポークに変わったり、マッシュルームがほうれん草に変わったりする。
作り方も一様ではないらしく、クリームポタージュのようにとろりとしたものや、スープが透き通った部分とクリームの部分とに分かれてるものもあり、具も細かく切ってあったり、ごろごろと入っていたりする。

いずれにしても風味の高いまろやかな味で、ロシアンルーレットのような香辛料との戦いに疲れている私の胃腸を、やさしく癒してくれる。なにしろ食べて初めてその辛さに気づく料理の多いこと。
ウェイターに「これは辛いか」と聞いても無駄である。彼らはもともと辛さに慣れているので「いや、別に辛いことはないですよ。普通ですね」などと答える。
チッチッチ。それが間違いのもとなのだ。

パンを食べ、野菜スープとチキンスープを1杯ずつ飲み、果物を少し食べてぼそぼそと食事を終えた。

そうそう、もう一つ忘れられない苦い思い出、いや辛い思い出が「サラダ」である。あれは体調を崩す直前の昼食のことだった。
サラダは自分で好きなようにとれる。辛くない野菜をとって辛くないドレッシングをかければ全く問題がないのだが、当然面白みに欠ける。上にかけるトッピングはスライスアーモンドやクルトン、ケッパーの実などが用意されており、安全策もだんだん飽きてきたのでちょっとかけてみようと思ったのが運のツキだったのである。
その日はオクラを小口切りにしたようなものがあったので、それを何気なくかけてみた。オクラは国際的な食べ物であるし、そこにあることになんの疑問も抱かなかった。

さて、席に戻って一口食べてびっくり!である。
それはオクラなどとは似ても似つかぬ青唐辛子 だったのである。
…これってハラペーニョかもしれない。ハラペーニョってもっと大きくなかったっけ…などと思いながら、口から出すわけにもいかず心を殺してゴクリと飲み込む。
舌が痛い。ちぎれるようにヒリヒリする。慌ててミネラルウォーターを注文する。何か舌に載せていないと我慢できないほど猛烈に辛い。
夫にそういうと「どれ」などといいながらパクリと食べてしまった。夫も目を白黒させている。私が辛いのが苦手なので、そうは言っても大したことはないと踏んだらしい。オロカモノめ。

ミネラルウォーターが届く。夫の分をつぎ終らないうちに自分のグラスに手を伸ばしてゴクゴクと飲む。ウェイターが目を丸くしてこちらを見る。非常事態である。マダムはなりふり構わないのだ。グラスを満たし犬のように舌を漬ける。

今にして思えばあれが「 空白の一日 」の不吉な序章だったのか。


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追記:ところで「からい」も「つらい」も漢字は「辛い」なんですね。
本文中の「辛い」は「からい」の方です。ま、私にとっては「からい」=「つらい」ので、どっちでもいいんですが。


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