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1997年10月21日(火) 普通の人

以前住んでいたところで、ある知的障害者の団体のボランティアをしていました。(それはそうと、私はどうもこの「知的障害」って言葉はどうも好きになれません。好き嫌いじゃないとは思うんですけどね、なんかいやなんです。)
その団体はいわゆる「青年学級」と呼ばれるもので、区役所の生涯教育一般(つまり大人向けに公民館で開かれる講座など)を統括する部署が運営しいます。ボランティアといっても区の嘱託主事という身分で、参加回数に応じてわずかばかりの「謝金」も振り込まれます。
さらにいうと、源泉徴収もされていたんですが…。

設立主旨は、養護学級や養護学校の卒業生に休日に余暇活動をする場を作ろう、ということで、活動日になると平日には作業所などで働いている人達が、学級に集まってきます。
余暇活動ですから、当然活動内容は「遊び」です。一年を通して、いろんなことをやります。夏はキャンプ、冬は雪遊び、春にはピーナツ堀り、秋にはいも堀り…。普段の日は会場となっている中学校に集まってクラブ活動やバスや電車を使っておでかけもします。

ところで「障害者手帳」というのをご存じですか。
これは各都道府県毎に名称が違いますが、障害の種類や程度が記載されていて、身分証明書でもあり、これを呈示して運賃の割引が受けられたりします。
この手帳は申請をした人だけに交付されるもので、障害を持つ人全員が持っている訳ではありません。


ある日の活動は、隣の区までバスに乗っていくことになっていて、みんな手帳を持って集まってきていました。出発前にふと見ると、数人で手帳を見せあっています。その中の1人は手帳を持っていませんでした。それを聞かれた子はもともと手帳を持っていない、と説明したようです。すると、もう1人が尋ねました。


「ふぅん、じゃあ君は普通の人なの?」

普通の人…?
そう言った彼の顔は、ごく自然な屈託のない表情をしていました。
自分は普通の人じゃない、と認識している彼の気持ちはそこからはうかがえません。彼の中での「普通の人」の定義がどういうものかもわかりません。
わかりませんが、誰かが、あるいは私自身を含む社会が、そう教えこんできたことは確かでしょう。

当り前のようにそんな言葉を使う現実って, なんともいいようのない気持ちになりました。


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