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小さい頃、近所に「教会のおじさん」が住んでいた。といっても、ただ私の幼稚園の教会に通っているので、両親が勝手にそう呼んでいただけである。 本当の名前は「ナカダコウジ」といった。 ナカダさんは脳性麻痺だったらしい。体をくねらせながら松葉杖をついて、よく近所を散歩していた。父は庭に出ていてナカダさんの姿を認めると、家の中の私に向かって「玲子、教会のおじさんが来たよ」と呼びかけるのが常だった。私は靴を履いて出ると、ナカダさんと話をしながら一緒に家の周囲をぶらぶらと歩いた。子供の足はナカダさんの松葉杖の速さとよく釣あっていた。 ナカダさんは重い吃音だったので、話をするのも時間がかかった。好きな食べもの、兄弟、テレビ番組といった他愛もない話を、時間をかけてしながら、ゆっくりゆっくり歩いた。 やがて私が自転車に乗るようになると、ナカダさんよりずっと速く進んでしまうようになった。私はぐるぐると蛇行したり、自転車を押して歩いてナカダさんのペースに合わせた。今みたいに車の量もスピードも激しくなかった。のどかな時代だった。 一緒に歩いていると、たまによその子が「なんで杖ついてるの?」尋ねてきたりした。ナカダさんは「病気なんだよ」と吃りながら答えていた。それだけだった。誰もナカダさんをからかったりせず、かといって哀れんだりもしなかった。ナカダさんはその風景の中にいた。 一度家までついていって上がりこんだことがある。ナカダさんの年取ったお母さんは、お琴の先生をして生計を立てていた。家の中には押入を改造した専用の通路があって、お弟子さんがいるときには、ナカダさんはつい立ての後ろを這って移動する。ナカダさんは、外出する他は聖書の勉強をしたり、内職をしたりして過ごしていた。きれいな幅広のテープを使って聖書に挟むしおりを作るのが仕事だった。小一時間ほど内職を手伝って家に帰った。冬の寒い夕方だった。 いつの間にか、ナカダさんの姿を見なくなり、家は改築された。「お琴教室」の看板はなくなっていた。 あの頃、どんな気持ちで両親がナカダさんと交流させていたのか、聞かされたことも尋ねたこともない。特別何も考えていなかったのではないか。つまりそれほど、それは彼らにとって当り前のことだったのだ、と思っている。
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