WELLA
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1997年07月26日(土) 表現されない自由

その男は,ギターを弾きながら英語の歌を歌っていた。

アメリカ人だろうか、がっちりとした体躯の白人である。朗々と、のびやかな声でカントリー風に歌いあげている。男の前には、ギターのケース。ここに小銭をいれておくれ、と蓋をあけている。
男の声は拡声機を通してあたり一面を包み、少し離れたベンチには旅行客とおぼしき、これも白人のカップルが歌に合わせて体を揺らしている。休日の昼下がり、のどかな公園風景である。
やめて欲しい、と心底思った。

これが日比谷公園なら文句はいわない。渋谷のハチ公前だったら、小銭のひとつも投げ込んだかもしれない。しかしここは、公園といっても古都京都の観光地、八坂神社に隣接した公園なのである。その場にいたのは観光客ばかり。京都の一角にかろうじて残った古都の雰囲気を楽しんでいるのである。
そこへ白人のカントリーミュージック。
場違いである。

ええ、ええ、確かに表現の自由はあるでしょう。音楽に国境はないというかも知れません。だけど表現する自由があるならば、表現されない自由っていうのもあるわけです。

祇園の町並みを楽しみ、たまさかに見かけた芸妓さんの姿に「やっぱり京都ねぇ」などと、したり顔でうなずくささやかな京都の旅なのである。それが、なんの因果であんなアメリカンな、しかも拡声機を通した人工的な声に塗りつぶされなければいけないのか。

あえてガイジンさんと呼ばせていただこう。
あんたねぇ、メイワクだよ。


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