人は何故哀しくなるのか?
それは自分ではどうにでもならなくて、そして納得できないことを、 受け入れなければならないからである。 具体的にそれはどういうものであろうか。 ある人は言う、哀しい本質は「裏切られること」だと。
確かにそれは頷ける。裏切られること自体は、自分でどうにでもならなくて、 納得できないことであり、ただ受け入れなければならないからである。
でもそれが本質であろうか。僕は違う気がする。 その「裏切られる」という中には原因があり、 その原因は自分がもっている可能性があるからである。 「自分があのようにやってしまったことが、実はあいつを裏切らせた原因なのかもしれない」 と自分を省みる余地がある。
だから、「裏切られる」ということは、なってしまえば確かに自分ではどうしようもないが、 「裏切られる」前にどうにか出来たかもしれないし、だから、納得できなくて、 受け入れられないことではない。 だから哀しみを感じる物事の中には、自分を省みる余地がないほうがより本質的だと思える。 それは何か?それはどのようなものであろうか?
僕はそれは「死」だと思う。自分にとって大切な人の「死」だと思う。 これはどう考えても、原因に自分が入り込む余地が無いし、それに自分を納得させられない。
僕達は、ただその「死」を受け入れるだけである。そして、ただ哀しむ。 哀しい本質は「死」にある。
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