いつもの日記

2002年02月26日(火) 哀しい本質

人は何故哀しくなるのか?

それは自分ではどうにでもならなくて、そして納得できないことを、
受け入れなければならないからである。
具体的にそれはどういうものであろうか。
ある人は言う、哀しい本質は「裏切られること」だと。

確かにそれは頷ける。裏切られること自体は、自分でどうにでもならなくて、
納得できないことであり、ただ受け入れなければならないからである。

でもそれが本質であろうか。僕は違う気がする。
その「裏切られる」という中には原因があり、
その原因は自分がもっている可能性があるからである。
「自分があのようにやってしまったことが、実はあいつを裏切らせた原因なのかもしれない」
と自分を省みる余地がある。

だから、「裏切られる」ということは、なってしまえば確かに自分ではどうしようもないが、
「裏切られる」前にどうにか出来たかもしれないし、だから、納得できなくて、
受け入れられないことではない。
だから哀しみを感じる物事の中には、自分を省みる余地がないほうがより本質的だと思える。
それは何か?それはどのようなものであろうか?

僕はそれは「死」だと思う。自分にとって大切な人の「死」だと思う。
これはどう考えても、原因に自分が入り込む余地が無いし、それに自分を納得させられない。

僕達は、ただその「死」を受け入れるだけである。そして、ただ哀しむ。
哀しい本質は「死」にある。


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