「消費税を15%にします」と政府が言った。
各地で「デモ」が起こった。
この「デモ」というものは、本来ならば
「消費税を15%にしなければ、予算的にこの国がやっていけないし、 そうしなければ、僕達が受けられている国からの保護も薄くなる。 ということはとても理解できます。でも、消費税15%は困るんです。 とても困るのです。それを回避する事は本当にどうにかならないのでしょうか?」
の「でも」のことなんです。 「・・・理解できます。でも、消費税15%・・・」の「でも」のことなんです。 それらを名詞として使うためにカタカナにして「デモ」としただけです。
相手の考えも寛容に受け入れ、自分自身の立場をわきまえ、自分で考えることもして。 それら全部をやった後にでてくる「でも」のことなんです。
しかしながら、今の日本でにおける「デモ」の多くは、 寛容さとか、自分をわきまえるとか、自分で考えるとかを、 何もせずにただ盲信して「反対!」としてるだけである。
自分で何も考えなくとも、ただそれをする事でアイデンティティを確立できると信じている。 そんなアイデンティティなど虚像だ。 そんな虚像のアイデンティティの価値など消費税にも絶対満たない。永遠にそう思う。
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