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■ 胎嚢確認〜入院
その後数日は、メーカーによって出たり出なかったり、で、 あまり本気にしないようにしていましたが (異常妊娠の可能性もあるし、いわゆる化学流産、医学的には化学的妊娠と 呼ぶようですが、その可能性が50%以上あるのも分かっていたし) いちおう、可能性があるとは自覚していました。
けれど、通常、検査薬が反応する時期にすら達する前に、茶色のおりものが 出始めてしまいました。 おりものも気になって近所の婦人科へ行ったところ、そこには装置がなくて 確認できませんでしたが、その数日後、妊娠5週にはいったころ総合病院へいくと、 胎嚢がみえました。まだとても小さなものでしたが、とても感動しました。
なお、私は生理不順で、月経困難で、基礎体温も変なので、この夏にでも、 専門の病院へいって自分が妊娠できる体なのかだけでも検査しなきゃ、と 思っていました。まさか、自分に命が宿るとは、と、本当に驚きの気持ちで モニターを眺めたのを覚えています。
胎嚢がみえて数日後、鮮血の出血がありました。初診で、鮮血が出たら すぐくるよう言われていたので、いそいで病院へ行くと、胎嚢は前回より 大きくなっており、切迫流産という診断で、そのまま入院となりました。
入院は、安静のためのもので、動いていいのは数メートル先のトイレだけ。 (本当はトイレも禁止したいけど、それでは辛すぎるだろうから、 トイレだけは許可します、といわれた) 一日中寝たままの生活を続けても、出血はとりあえず、茶色に落ち着きましたが、 増えたり減ったりしつつ、全体として増え続けました。そして、かたまりが出て、 ふたたび鮮血にもどり、大量になり、私は覚悟を決めたのでした。
状態の悪さに検査が早まりました。とても嬉しいことに胎芽はあいかわらず お腹の中にとどまり、ゆっくりながら心拍まで見えたのでした。 この心拍が早くなれば、一安心。 大量出血は止まる見込みも無いまま、今度は希望を持って安静生活を 続けました。そして、ついに、心拍確認にたどり着き、退院を希望しました。
その後も実家で、自宅で安静を続け、出血はやがておりもの状になり、 そして、ついに止まりました。退院後の初通院で、しっかり胎児がみえました。 まるでだるまの様でした。心臓も動いており、ついに、危機は脱したのです。
*胎嚢 胎芽、胎児の入る袋。この確認により、臨床的に妊娠と呼ぶ
*化学的妊娠 妊娠検査薬で検出するホルモン(hCG)は陽性になるが、胎嚢の 確認ができずに終了する妊娠。着床ははじまったが、その後 育たなかったと考えられる。ほとんどが受精卵自身の異常が 原因で、非常に頻繁に起きている。 検査薬普及前は、妊娠と気付くことはなく、普通の生理として 認識されていた。一般の人は、化学流産と呼んでいる。
*異常妊娠 子宮外妊娠(子宮内膜以外の卵管、卵巣、腹腔、子宮頚部 などに着床する妊娠で妊娠継続は不可)や胞状奇胎 (絨毛になるはずの組織が胞状に異常増殖し胎児組織を 吸収するもので、特殊な場合以外継続不可。 きちんと処置を行わないと絨毛がんへ移行する可能性がある) をさして使っています。
*胎芽、胎児 妊娠7週までを胎芽、8週以降を胎児と呼ぶ。胎児と 呼ばれる頃にはえらやしっぽが消えて人間らしい姿となる。
*妊娠週数 前回の生理開始日を0週0日とする。排卵日が分かる場合は、 排卵日を2週0日とする。出産予定日は40週0日。 より正確な出産予定日を決めるため、おもに9-11週の胎児の 頭臀長(頭からお尻までの長さ)から妊娠週数を修正する。 0週- 3週が妊娠1か月、以後4週ごとに2か月、3か月…となる。
*切迫流産 流産しかかっている状態。実際に流産に進行するかどうかは 胎芽、胎児の生命力による。体を動かすと出血量が増えるため、 安静にするのが唯一の治療法。(薬も使うが効果のほどは…) 入院の利点は、安静が守られること、経過をマメに観察できる こと、流産に移行した場合、すぐに処置できることくらい。 妊婦の5人に1人程度が経験するが、8~9割は妊娠継続が可能らしい。
*流産 妊娠22週未満で妊娠が終了すること。 22週以降では、子宮外でも生存の可能性があるため、早産という。 全妊娠に対する率は15%程度(化学流産を除く)であるが、多くが 妊娠12週未満の初期流産、特に心拍確認前におこる。原因の ほとんどは胎芽、胎児にあるといわれている。(染色体異常など)
2004年09月15日(水)
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