昨日・今日・明日
壱カ月|昨日|明日
先月、引越しをした。マンションには一生住まないよ、なんて言っていたこともあったが、信念などどこへやら、あっさり妥協した。築30年の古さと、家賃のわりに広かったのと、日当たりが良くて窓から緑がたくさん眺められたので、決めることにした。とにかく時間とお金がなくて他にどうしようもなかった。 本当にこれからやっていけるのかどうか、おおいに不安だが、わたしの前にも後ろにも、いまや崖っぷちしかないのだから、前に進むには飛び降りるしかないのだ。飛び降りた場所に何があるのか知らない。何があってほしいのかもわからない。そこはどんな景色だろう。幸福も不幸も関係のない世界を生きるのは、どんな気分だろう。
まあ、いいや。と思う。朝、カーテンを開けて、目の前の緑を見て、朝の空気を吸い込むたび、そう思う。何をしてたって何を考えてたって、泣いてたって笑ってたって、時間は過ぎるし、夜は明ける。一国の首相がいなくても世界はまわるし、わたしが応援などしなくても、あなたの本は売れる。
昼休み、日傘をさして紀伊国屋へ行く。通勤途中に本屋がないので、苦手な紀伊国屋に頼るしか手がなくなってしまった。「暮しの手帖」を立ち読みして、ヘミングウェイ『武器よさらば』を買う。なんで、上下巻に分かれているんだ。昔、読んだときは確か一冊だったはず。帰りの電車でガルシア・マルケス『落葉』を読了。ほら、やっぱり、わたしたちはいつの時代も、空しく流れていく時間の前には、こんなにも無力なのだ。孤独のうちに衰退していくものは、哀れであるが美しい。
帰宅して、大切に集めてきた関連記事や資料や書評をファイルに整理する。A4の40枚のクリアファイル2冊に、ほとんどいっぱいになった。2年の間に、こんなにもたまったのか、と思う。こんなにたくさん。2年とは、これだけの重みのある時間だったのか。 今日読み終えた小説を本棚にしまいつつ、そう言えばあの日、少しだけガルシアマルケスの話をしたな、と思い出す。小説そのもののことではなくて、翻訳のことだった。別れ際のきわきわで、こんなこと話してる場合じゃないな、とわたしは内心思っていた。しかし、何を話せばよかったのだろう。あの時の、車内灯に照らされた、疲れてて、でも充実していた顔を思い出す。こうして、何度でも思い出すのだろう。そうやって、行けるところまで行こう。
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