昨日・今日・明日
壱カ月|昨日|明日
2006年06月07日(水) |
too drink to live |
一週間前くらいに、たぶん日曜日だったと思うけど、パソコンが起動しなくなった。画面がいつまでも真っ白で、ポンポンと叩いてみたけどウンともスンとも言わなくて、でもそのことについて真っ正面から取り組むのがイヤで、とりあえず放っておいた。 翌日かその次の日に、もう一度試してみたが、やっぱり同じ状態だった。日をおけばそのうちどこかで何かが変わって、自然治癒されるかと思ったが、ダメみたいだった。考え方がデジタルじゃない。 壊れたのかもしれない。 壊れればいい、と願っていたから、罰が当たったのかもしれない。扉は閉ざされた。 今日、ついさっき、どんなもんかしら、とやってみたら、ヨロヨロと動き出した。病み上がりの日記。動作がいちいち鈍くて小康状態という感じだが、こうして文字が打ててるんだからまあいいや。 根本的な解決になっていないが、それはわたしの(わたしたちの?)人生と同じだ。
最近のこと。 ボタニカル・ライフ。知人に、ヒマワリの苗をもらった。ベランダで育てるといいらしい。花を育てたことなどないので、どうしていいかわからないまま、近くのホームセンターへ出かけ、プランターと土を買ってきて植え替え、毎朝水をやっている。みるみるうちに背が高くなってきて、緑の葉が伸びてきた。でもまだ蕾はつけない。 ヒマワリが咲いたら、嬉しい、とか、感じるだろうか。わあ可愛い!、とか、思えるだろうか。枯れたらがっかりするんだろうか。花を育てる歓びって、何だろう。
本とその周辺について。 こないだ、本屋で、スタニスワフ・レム『捜査』(ハヤカワ文庫)を見つけて、買った。これ、前からありましたか?復刊したのかな。 武満徹『Vision in Time』も買った。タルコフスキーにふれているページがあったので。1ページだけだけど。 古本ではレールモントフ『ムツイリ・悪魔』(岩波文庫)を買って読んだ。レールモントフにはパステルナークほどはまらなかった。感傷的でないからかもしれない。 今は、熊野純彦『西洋哲学史』(岩波新書)とダイベック『僕はマゼランと旅した』を読んでいる。
映画。 ソクーロフの『マザー、サン』と『ファザー、サン』を、シネ・ヌーヴォで観た。 『マザー、サン』は母、死、静、自然、『ファザー、サン』は父、生、動、街、がイメージされて全く対称的なんだけれど、わたしは前者のほうが、圧倒的に好きだと思った。ベージュの画面に母も息子も溶けていくみたいな撮り方が、暗くて終末的なのに、救いがあった。遅かれ早かれ、どんなこともいずれ終わるのだ。全て土に還るのだ。だからジタバタすることは何もない。母と息子が夢の話をするのも好きだった。あと、相手の痛みを自分のことのように感じるところも。愛ってそういうもの? 『ファザー、サン』は、活き活きしすぎてて、さらにちょっと饒舌すぎるかな、と。
米原万里さんが亡くなったは、ショックだった。 あの日は、気ばかり使ったわりにはたいして面白くない飲み会があって、終わってからも飲み足らず、家で残り少ない焼酎を、一滴も飲みもらすまいとボトルを逆さにしてグラスに注いでいるときに、訃報をTに教えてもらったのだった。がっくりした。がっくりしたまま、飲んだせいか、翌日はひどい二日酔いだった。
とにかく今日は、曲がりなりにもコイツが動いたので、そして次にいつ正常に働くかわからないので、今できることはできる限りちゃんとやっておこうと思う。 扉はノックしないと開かないって、わかってるんだけど、応答がないのが怖くて、叩けないのだ。意気地なしでイヤんなる。愛は何かを奪いさるのか?例えば、勇気とか。 何でもいいけど、自然の力になど頼らずに、パソコンをちゃんと修理しよう。
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