Daily Journel@M403



<<
INDEX
MAIL
>>


2003年02月24日(月)    見返りを求めない心

実家の近くのコンビニに立ち寄った時に、ふと立ち読みした漫画(雑誌)の
中で見つけた一言が、頭の中から離れなかった一日。

見返りを求めたら、大事なことは手に入らない。

これって、真理だなぁと思うのです。最近特に感じます。
ここで言う「見返り」っていうのは、つまり、こういうこと。

・お金をかけた分だけ、満足感や充足感を求めること。
・「これだけやったんだから、これだけのメリットが返ってくるはず」
 ということを期待する心

人間関係だけでなく、仕事や、趣味や、お金の使い方、はては家族関係に、
マンションや組合などの役員・理事にいたるまで、結構色々なことに通じる
ことだなぁと感じます。

例えば、写真を趣味にするとお金がかかります。これは事実。
車の改造を趣味にする人は、もっともっとお金がかかります。これも事実。

じゃあ、お金がかかるからやらないのか?
これだけお金をかけたんだから、これだけのリターンは欲しいと思うのか?
仮にそうじゃなかった時に、失望感を感じたり、充足感は薄れるのか?

私は違うと思う。
「お金がかかるし・・・」という理由を持ち出す時、それはその人にとって
本当にやりたいことじゃないなと思うのです。
【自分が本当に望んで好きでやっていること】だったら違うと思うのです。
遠い場所へも出かけていくし、忙しくても時間を取ります。
好きだからこそ、無心の情熱がある。だからとことん突き進めるのです。

でも、そうじゃない時、人は見返りを期待します。
そうじゃないと、やってられないから・・・でしょうか?

だったら、私は自分が【見返りを求めるかどうか?】を判断基準にしたいと
思います。労力をかけた割にリターンが少ない場合に割に合わない!と
不満に感じるようなことは、【そもそも自分がやりたいことではない】はず。
そうであるならば、状況が許す限り、そういう立場には身を置かないように
したいと思います。

見返りを求めるということは、あくまで結果重視であって、それに至るまでの
プロセスを楽しめない気がして、ちょっとつまらない感じもします。

それに、好きなことって、採算なんて考えずに没頭しちゃいます。
好きなことを「お金がかかるから我慢する」なんて私には出来ません。(笑)
もちろん、金銭的制約というものは、多かれ少なかれ、誰にでもあるわけで
「出費は青天井!」というわけにはいかないでしょうが、それでも自分に
可能な範囲でやりくりしていくことは出来ます。

「とはいえ、世の中、そうそう好きなことばっかりやってはいられないよ。」
と思う方もいらっしゃるかもしれません。
でも、私は「世の中で、どうしても【自分でなければ出来ないこと】も、
そうそうないなぁ」と思うのです。

経験則による逆説的思考ですが、少々とっぴ過ぎるでしょうか?(笑)
どうしても気が進まないことには、適当な理由をつけて断ることも可能だと
思うし、逆に引き受けたからには無心で一生懸命にやりたいと思います。
尤も、私自身は、「頑張ってやっていることは必ず誰かが見ているもの」
だと思っていますけれど。



そうそう、漫画の中で、上記の言葉の後には、こんな台詞が続いてました。

手を差し出して、それで何かがフローしないことには興味がない。

フローするとは、手を差し出したことで何かが動いたり変化したりすること
を(ここでは)意味しているようです。

最近の私は、見返りを求めずテニス部の後輩に接していますが、誰彼構わず
公平に接しているわけではありません。そこまで暇なわけでもなく(苦笑)、
どうしても「お、この子は!」と思えるような後輩を優先せざるを得ない。

上の言葉は、そういう時の私の中での判断基準を巧みに表現している!と
思ってしまったのです。基準は、現時点での人間の完成度ではありません。
それよりも、一人の人間として接したことで、その後どういう風に人が
変化していくのかに興味があるのです。鈍感な人よりも、変化に敏感に対応
できるようアンテナを張っている人に惹かれます。

そういうことをつらつらと考えていたら、私の好きな日めくりカレンダーに
ある言葉を思い出しました。

人と人の出会いは物理だけど、出会った後の関係は化学だね。

人と人が出会った後、お互い化学反応を起しながら、フローしていく。
その過程が、人と人の付き合いの中で、私はとても好きなんだと思います。
だから、自分のHPでやりたいことも一緒かな。
単なる自己満足の場としてだけでなく、人と人の交流の場にしたいという
思いがあるのだと思います。茂吉cafeがまさにそうでした。



<<     INDEX     >>
M403.netMAIL


Design : maybe