2019年07月03日(水) |
Suicaエリアが狭いことを忘れていた |
早朝の阿武隈急行連結の東北本線に乗って梁川へ。 和吉じいちゃんの三回忌のため。 昨日からままんちとロクばあは福島入りしており 梁川の駅まで迎えにきてもらった。 新潟の伯父と、福島の叔母とお寺で合流。 一昨年じいちゃんが亡くなるまでは 年に2回ほどは福島に行く機会もあったし 母方の伯父叔母に会う機会もあったのだけど 今日の法事の後は、次にいつ会えるのかわからない。 ので、失業中で暇なのをいいことに 法事の日程をままんちから聞き出し、無理やり出席した。
説法もお経も、とても聞きやすいご住職で お葬式以来なんだかちょっと好きだ。 滞りなく法要が終わり、お茶飲み話で お堂の修繕に話が及び、50年前の棟上げは わたしの曽祖父の和平おじいさんが手がけたと知る。 最近キツツキに軒下と屋根を破られたんだって。 そんなことあるんだー。 帰りにご住職が嬉々として案内して見せてくれた。
お墓参りして、福島の叔母はそこでお別れ。 伯父夫婦とままんちロクばあとお昼ご飯を食べ、 ロクばあの妹のスエコおばちゃんに会いに、入所している施設へ。 スエコおばちゃんは、(まあ、大叔母なのだけど) 20年以上会ってなかった気がする。 そして今日「スエコ」ではなく「スイ」であることを知った。 ロクばあもそだけど 名前と通称があり、役所への届出の手違いらしが ややこしのだ。
ロクばあはあまり乗り気ではないよだったが、ままんちが 「『次来るときはお骨だ』なんて言うんだから (↑ロクばあがご住職との別れ際に言った) 会って帰らないと、後で後悔するんだから」と説得。 脳梗塞や認知症で、ほとんど発話できなくなっているのと 転倒での骨折で歩行困難になっていたスエコおばちゃんは 最初、ロクばあのことも誰かわからない様子だったが 話しているうちに、ちゃんと問いかけに反応して 相槌をうったりしていた。 ロクばあの兄弟は全部で7人いたが、今残っているのは 下から2人のロクばあとスエコおばちゃんだけだ。 また会えるといいねと思う。
風邪は治りかけだったはずなのに 福島にいる間にどんどん声が嗄れてきた。 騒がし食堂で伯父と話すときに声を張ったからか。 関係ないけど、帰ってきたら何故か大典も声が嗄れていた。
仙台まではままんちに乗せてもらう。 失業認定日なので、ままんちらを見送ってすぐに ハローワークに向かい、その後駅にも。 朝、Suicaで改札を通ったが、下車した梁川の駅は Suica不対応だったのだ。 阿武隈急行分の運賃を梁川の駅ではらい、 改札を出る手続きは、仙台駅でやらなければいけなかった。
ミニ典は夕食におやつラーメンが食べたいと泣いた。
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