二木会,御茶ノ水居酒屋,『ダブリナーズアイリッシュパブ』 |
持ち帰った機械部品カタログ校正のお仕事。今日は56枚に挑戦。 しかしお出かけのため17時まで。後は帰ってからやる。……つもり。
T叔父に誘われて知った『平成フォーラム・二木会』は平成元年から続いている第二木曜日の勉強会で、今回が第180回。 本日の講師は元日本経済新聞ベンチャー市場部長で現日本経済研究センター主任研究員の大塚将司氏。
大塚氏は2003年1月、突如社内メールを使って日本経済新聞社社長鶴田卓彦を告発、退任に追い込み話題になった。 大新聞のサラリーマン記者が、自社の、「天皇」とも呼ばれていたワンマン社長に喧嘩を売った、ことの顛末はいかに? 興味津々のテーマだが15分程遅刻。
企業の内部告発というと、現体制に干されている人物からとか、派閥抗争絡みだったりするのが常だが、大塚氏の場合そのどちらでもない、義憤にかられての反乱だった。 *詳しくは大塚将司著『日本経済新聞の黒い霧』(講談社刊)を。
日本ムラ社会では組織に反旗を翻したりすると孤独で惨めな結果に終わることも少なくないが、大塚氏は裁判で和解。懲戒解雇されたが復職し、給料も変らず。
そして日経改革は大きく進んだか、と思いきや鶴田の元秘書が幹部に複数いて、事件のほとぼりも冷め「夜の社長室(=赤坂の高級会員制クラブ)」が復活、元秘書を編集局に配置するなど宮廷政治体質は変っていないとか。
私の質問。 「年間3500万円の交際費を使い、1000万円の株式配当を個人で得ていた鶴田は何にお金を使っていたんでしょう?わからない、とのことでしたが、証拠はないけど多分女とか、政治好きだったとか、大塚さんは何かネタを握って喧嘩を仕掛けたのではないんですか?」
大塚氏。「わからないです。女好きはかなり好きでしたけどねえ」
大塚氏は「裁判の決着は玉虫色でしたから、すっきりとはしないですね」というが、私は痛快だと思うし、かっこいい喧嘩だったと思う。
朝日、読売など大手新聞各社の組織体質と企業体質の共通点と違う点の話なども大変面白く。
御茶ノ水駅近くの居酒屋にて懇親会。 他の皆さんは大手マスコミの給料とか車代とか、お金のことを話していた。 私は大塚さんに、組織対個人の喧嘩のいろいろな局面での判断、組織人としての立場とジャーナリスト魂の葛藤、「やった!」「やばい」「しまった…」などドキドキ話をもっと聞きたいと思った。
5月21日に母と喧嘩して以来連絡を取っていないT叔父と、池袋『ダブリナーズアイリッシュパブ』。
母は、T叔父が酷いことを言ったので追い帰したと言っていた。T叔父が何と言ったのか私に言わなかった。 「そうか。何か悪いこと言ったかとずーっと考えてたんだが、思い当たらなかった。でも、君に言わない、ってことでなんとなくわかった。怒らないでよ」とT叔父。 「わかりません。私も怒るかもしれませんよ」 「いや、怒らないでよ。君の今の仕事の状況。全く安定していなかった君のお父さんと一緒じゃないか、2人はそういうタイプの人間なんじゃないかって言ったんだ」 「それは事実じゃないですか」 「だろう?君のお母さんの見方は違うかもしれないけど、周りはそう見てた」 「母は父親と一緒にT叔父さんを援助した、という強い自負がありますから、T叔父さんに言われたくない、というのはあるかもしれないですね。私は威張り過ぎだと思うけど」 「愛する人のことを悪く言われたくないんだな」 「謝る事ではないと思うけど、何に傷つくかは人それぞれですからね」 「『謝ってた』とか言うとまた蒸し返すから、『気にしてた』って言っておいてよ」 「わかりました」
2003年9月5日に母に「親子の縁を切る」と言われて、仲裁してくれたのはT叔父だった。 今度は私が姉弟の仲裁役となるか。しかし、何をやってんのかね、我がファミリーは。
帰ってお仕事の続き……できるわけない。
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2005年07月14日(木)
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