| 2009年04月02日(木) |
アイシテル 〜海容〜 |
昨日、友達と食事してて話題になったのが、「アイシテル 〜海容〜」という漫画。 この間チラッと紹介したんだけど、結構友達と話し込んじゃったので、また書いてみたいと思う。 (かなり長文になるので念のため(笑))
4月からのドラマになるんで記者会見やったようだが、毎日新聞だかの記事では 「講談社マンガ誌「BE・LOVE」の連載が原作。 少年が少年を殺害してしまう事件を通して、加害者一家の再生を描き…」 とされていた模様。
一応訂正?しといた方がいいと思うんだけど、少なくとも漫画では「加害者一家の再生」が主題ではない。(ドラマでは「加害者」側メインになるらしいが)
どちらかと言えば被害者の母親側から語られる比重の多い作品。事件の詳細が明らかになるにつれて、加害者の母親についても明らかにされていく、といった書かれ方だ。
これだと事件が起きた直後の衝撃から、なぜこのような悲劇が起きてしまったのかという「原因」に徐々に触れていく形になるので、この漫画の作者は構成も非常に巧み。
この話、自分に子供がいるかどうか、またその子供の年齢がどのくらいかによって、感情移入してしまう「母親」が分かれるかもしれない。「被害者の母」と「加害者の母」と。
私はどちらかと言えば「加害者少年の母」へ共感してしまう点も多かった。 (ただ実際にこの女性がいたら、むしろキライなタイプ(笑)) それはなんとなく「社会から置き去りにされたくない」という焦りに対してかもしれない。
加害者母は仕事に情熱を持っていて(というか「仕事して輝くワタシ」が好き)、息子を持って仕事をやめてから「評価」を得られないことに不満を持っていた。
家事も子育てもやってもやっても誰も評価してくれない。なのに手を抜いたり、子供から目を離せばここぞとばかり「手抜き」と言われる。自分からすればキャリアを捨ててまでこんなに家族につくしているのに、という思いもある。 どこまでも追いかけてくる幼い息子が息苦しくて、逃げ込むところはベランダしかなかった。
母親が家裁調査官に対して 「子育てが楽しい?そんなの片手間に子育てをしている人の言うことです」(←ウロ覚えですが)と言うシーンがある。 なんだかこの台詞を読んでいたら切なくなってしまった。
被害者母の感情の移り変わりも非常に丁寧に描かれていて、当初は「加害者が憎い」の一点だったのが、情報が増えるにつれ、幼い我が子が成長した頃の夢を見るようになる。 その夢では可愛かった少年がクルっと振り返って「ウゼエ、ババア!」と叫ぶのだ。
そして家裁調査官も母親(彼女は登場する3人の母の中では、息子と一番信頼関係を結べている) この調査官が同僚男性から「なぜこの事件に関してそんなにも熱心なのですか?」ときかれる場面がある。 彼女の答えはこうだった。 「たぶん、安心したいからじゃないですか? 『ほうら、ウチとは違う』と」
残酷な話、あってはならない話だ。 だけど私からすると、実はこの漫画を読んで思うのは「家族のあり方」や「子育ての難しさ」についてではない。 この3人の母親全てに「同感」というより「共犯」感覚を持ってしまうのだ。 どこか「男にはわからないでしょ?」と言いたいような。
3人の息子たちを、3人の母がまとめて呑み込んでしまっているようで、どこか童話のような、奇譚のような、実は社会的なモラルについての物語ではなかったようにさえ思える。 誰かが舞台化したらいいんじゃないかね?これ。 それか描き手が山岸凉子だったら、また違うテイストになったんだろうな。
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