セルフライナーノーツ。

2005年08月31日(水) 容疑者≠警察官 室井慎次 (※ネタバレあり)


 正直、映画館で2時間座っているのに苦痛を覚えるほどの作品だった。
 だけど不思議なことに、OD2の時ほど腹を立ててる訳じゃない。(真下映画は未見)
 なぜなら     確かにそこにいるのは室井さんだし、新城だし一倉だしスリアミだし、お馴染みの警察庁VS警視庁の構図だったけれど、私にはまったくあの”踊る”を観ているようには思えなかったのだ。



 OD2の時にはあまりの違和感にむかつきを覚えながらも、私は一応、これが踊るの映画であることを認めてたんだろう。だから腹を立てた。
 溜息をつきながらも”公務員”であることを飲み込んで本店のお仕事をしていた筈の湾岸署員が、演習で本庁を負かしてどうなるというんだ。
 現場を理解していない制度を変えるために上に行こう、現場につとめようと理解した筈の男達が、”己の判断”を武器にして力を行使し始めてどうするんだ。
 TVシリーズとその他もろもろ(OD1まで)をかけて描いてきた信念を、その同じ作り手達がこんなにもみっともないシロモノに貶めてしまった。


     何を言おうと、私はただの一視聴者で、受け手側でしかない。正当な作り手が”これは踊るなんだ”と言うのであれば、それを黙って受け入れるしかない。
 だから必死に、どこかにある筈の”踊る”の面影をOD2の中に捜そうと何度も反芻して考えて、それでも欠片も見つけられなかった。
 だから私の中の踊るはOD1で終わっている。正確に言えば(視聴した)OD2まで、なのだろうが、私はどうしてもあの異分子を飲み下すことが出来なかった。
 それなのに今回の「容疑者」を観に行ったのは何故か。
 それは偏に、愛した(笑)室井さんの姿ならば見逃すわけにはいかないという勝手な思いこみと、ひょっとしたらこの作品で踊るは再び基本に立ち返っていてくれるかも知れない、そんな一縷の望みに賭けたかったのだ。


 さて今回は、脚本の君塚氏が同時に映画の監督も務めている。
 この映画が全く面白くなかった理由を、この”畑違い”の監督のせいだと言う人もいるようだが、私はそうは思わない。
 これは監督が悪いんじゃなくて、脚本が悪いのだ。
 さらにはっきり言えば、君塚氏の脚本はTVシリーズ以外の踊るには向いていないのだ。これは本放送の頃から、私がずっと思っていたことだ。
 君塚氏は人の感情の機微や、社会や人生に対するはっきりと結論の出せない答えや問題提起をシリアスに書くのが好きで、なおかつそれを得意とする脚本家だ。
 それは私も評価しているし、静かで重たい脚本は踊るシリーズでもそれ以外のドラマでもきっちり結果を出していると思う。
 けれど、この人は”事件”を書くのが苦手だ。しかも、大がかりで派手なものほど不得手なのだ。
 1時間のTVシリーズならまだ何とかなる、しかも踊るはほぼ1話完結型だったから、キーとなる事件そのものはお粗末でも構わなかった。
 けれど2時間以上の枠になればそうはいかない。スペシャルやOD1の頃でもすでにその兆候は現れていたけれど、一連のシリーズがヒットして、OD2ではさらに派手でドラマティックで大掛かりな事件を作り上げねばならなかった。
 その結果、シチュエイションや小道具ばかりに力を入れ、中身は無くて衣ばかりの事件を作り上げることになった。レインボーブリッジを封鎖するだのしないだの、大捕物の挙げ句に捕まった犯人のキャラクターも動機も薄っぺらで、明らかにとってつけた感が漂っていた。
 桜田門のお偉方もSATもSITも関係ない、湾岸署での日常茶飯事の事件とは違う。大風呂敷を広げたのなら、事件としての背景も結末もそれなりの形でケリを付けるべきだ。でも、この人にはそれができない。



 今回の映画では、室井の関わった事件そのものは別に大がかりでもトリッキーでもない。
 最初から容疑者は絞られている。殺された人間とその背後関係、キーとなる人物もわかっている。
 最後には事件の真相も犯人も明らかにされる。(同人誌でもあり得ない、明らかに不自然なやっつけ展開で!(失笑))
 でも君塚氏は、そこでも人の感情を最優先したい人なのだ。
だから、罪を人情でカバーしようとする。法律に人情で対抗しようとする。感情で現実を押さえ込もうとする。
 人の死があり、裁かれるべき罪があり、罪を犯した人間がいるのに、答えをうやむやに流そうとする。
 だがそれは、踊るの世界とは最も対極にあるものだ。それをやりたいなら、太陽に吠える男でもアブナイ二人組でもはぐれてる刑事でも、どっかから呼んでくればいい。
 室井慎次は、どんな状況にあろうと「真実が見えないから警察を辞める」などと口にできるような男だったか。
 また、そう告げたその口でそのまま、事件の真相も明らかにせずにうやむやにしてしまうような男だったのか。
 上を目指す男新城は、あんなにも容易く感情に流される男だったか。
 キャリアも平刑事も、当たり前のしがらみと不自由さの中で、それでも折り合いをつけ居場所を見つけて、それぞれのやり方で警察官であろうとするのが”踊る”だった筈だ。
 (思えばこの”踊る”のテーマの破綻は今回に始まったことではなく、TVシリーズ最終話で一警官に戻った青島を、室井が再び湾岸署に呼び戻した時から始まっているのだが。)
 言いたいことを言い切ってしまった作品に、こんな無駄な費用を注ぎ込み、無理なネタを捻出して、これ以上何を搾り取ろうというのか。


 さらに加えて言うならば、君塚氏には笑いのセンスが皆無だ。
 灰島事務所の面々、あれはいったい何だろう。崩していいところを間違えてるよ(苦笑)
 おかげで対する室井サイドすら、滑稽にしか見えてこない。警察VS司法の構図はこの映画の根幹になるものだから、一番おちゃらけにしていい筈がなかったのに。
 ゲーム大好き弁護士だっていていいと思うが、いくら遣り手だろうがあんな始終ピコピコやってる大人、まずを疑われるんじゃないか?(汗)
 背後の眼鏡軍団も、アングラ舞台みたいなわけわからん事務所内の造りも、ただただ失笑を買うばかり。
 よくまあ八島氏はあんな役引き受けたね(汗)すでにキャリアのある人だからいいけれど、あれは汚点にしかならんと思うよ。
 それにやっぱり、女を描くのも相変わらず下手だ。女管理官にしろヒヨッコ弁護士にしろ二股娘にしろ、女のことばを喋ってるのは誰もいなかった。
 とりあえず記号として女の形はしているけど、言いたい台詞を言わせる傀儡としては男と何ら変わりがないんだろうな、この人の描く世界では。




 現場と上層部の思惑が繋がらないのも、綺麗事ばかりでは動けないのも、正しい筈の真実が叫べないのも、それは警察に限ったことではなくどんな職業でも同じだろう。
 でも、それに僅かずつでも抗って行こうとする男達を描いたのが踊るという作品だ。
 その踊るを生み出したスタッフならば、出演者ならば、誰か、勇気を持って口にして欲しい。
 興収だけにつられるのはもうやめようよ。視聴者だって、駄作にいつまでも付き合ってられるほど馬鹿じゃない。
 本当にこの映画を面白いと思える?
 この映画を、踊るだと思える?
 今後も踊るのスピンオフを続けていくことに、興収面以外でのメリットが見いだせる?なんの意義がある?
     まさか、制作側全員が、これがひとつの映画作品として成り立ってるなんて思ってないでしょ?
 ねぇ?









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