セルフライナーノーツ。

2003年12月11日(木) うつくしいことば。


自他ともに認める文盲なワタクシ。幼少時に激しく活字中毒だったため、ある時”もうこれ以上は、どの本読んでも目新しいモンはないんだろうなー”という(勝手な)悟りの境地に立ってしまい(笑)、高校入学と同時にパタリと読書を止めてしまいました。
小・中では図書室年間利用回数第一位を誇り、市立図書館では司書さん方に顔パスのコドモだったのですが!(笑)
実際のところ、これくらいは日本人として抑えておけよ、みたいなレベルの本は中学までに読んでしまっているので、あとは趣味嗜好の範囲。それほど不自由はありません。
けれど。
たとえ趣味の範囲であれ、自分が文章を書く立場になると話は違います。
実生活だとか映画とかテレビとか音楽とかその他何でもいい、ストーリーやキャラ形成のヒントになるものはいくらでもあるけど、それを言葉に置き換えるとなると……
それはやっぱり、日本語なのです。文章を目にしないと、言葉は出てこない。
他の作家や作品に影響を受けた場合、一目瞭然にそれがわかるのは絵だけれど、文章にもそれはあるのです。好きで何度も読み込んだテキストや、あまりのインパクトに忘れられない言い回しが、きっちり並んだ活字の間からふと顔を覗かせる。
以前のジャンルの相方は英語に堪能で、翻訳の仕事もしているひとですが、彼女の書いたパロ本を初めて読んだ時、非常にシンプルで、でもどこか突き放した感のあるテキストが印象に残ったのを覚えています。後日、英文学に詳しいことを知ってああなるほど、と納得したことも。
そういう意味で、私が最も好きで影響を受けたいと強く願っている文章を書く作家は、連城三起彦氏。もう10年くらい、私的には不動の言葉の神様です。




今クール『恋文』がドラマ化されたのを知って、改めて文庫本を読み返し嘆息することしきり。(ドラマの方は、主演が私の激しく苦手なお二方だったので未見ですが(笑))
納められているどれもが、人の心の裏側を、優しく優しくはぐるようなお話です。裏の裏を読みあって、最後にどんでん返しのくるパターンなので、何本も読んでいるとだいたいパターンは見えてきてしまうのですが(笑)それでも飽きないのは、結果は読めても、その行為に至るまでの人の感情の動きや葛藤が、自分の予想を遙かに超え細やかに描かれているからだと思います。
しかも、わずか数十ページの短編のなかでそれを見せてくれる。(ハードカバー上下巻くらいの長編もありますが、個人的には短編がお勧めです)
そして、何より。日本語がほんとうに美しいのです。
美文、というものを好まない方もいるとは思いますが。そして、かくいう私も(同人以外の)大抵の美文は読んでいてどこか痒くなってしまうものなのですが(笑)、連城氏のテキストは一味違います。
動詞そのものが美しいのです。
形容詞をたっぷりつけて、ゴージャス感を出すのは簡単な話なのですが。(某菊○ナントカ氏のように…(笑))化粧顔じゃなくてすっぴんがキレイ、というのは人間でも文章でも滅多にお目にかかれないもので。(笑)
すっぴん美文の中でも私の大好きな一文を、ここでこそりと。


(前略)「暑いのね」意味のないことを呟き、夕闇を胸元へ扇ぎよせて団扇をとめ、胸を隠した。団扇の表に描かれた流水が、あなたの胸を背後に秘めてかすかにさざなみだっていた。流れの筋には銀粉が浮び、それが、夕曇りのどこにまだ夏の光がのこっていたのか、煌きらと光って、あなたの胸から幻の川が流れだしているように見えた。(後略)


『野辺の露』という短編からの一節です。主人公♂と義姉がビミョーな距離感を保ちつつ、夏の庭で鈴虫の音色を聞いている、といったシーンなのですが。
何が美しいって……”(夕闇を胸元へ)扇ぎよせて”という動詞に激しく萌え!萌え!萌え〜!!!(>ω<)
扇子がいかに美しかろうが義姉さんが艶っぽかろうが、そんなのはこの際問題外です(笑)
単に”扇ぐ”と言ってしまえば終わりの行為を、微妙なその場のニュアンスも含めて置き換えることのできる語彙の素晴らしさ!それなりに何でも対応出来てしまう、曖昧かつ柔軟な日本語のいい加減さ!(笑)
あらためて母国語の美しさを実感するワタクシです(笑)
美文っぷりとは裏腹に、そこらの眠たい恋愛小説とは一線を画したコワーイ心理戦が繰り広げられる小説が多いのもポイントの一つ。(笑)
まだ読んだことない、という方はまず、さらさら読める短編からどうぞvほどよくレトロな奥ゆかしさが新鮮でございます(⌒‐⌒)







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