セルフライナーノーツ。 |
|||
2001年08月11日(土) トンネルのむこうは。 |
|||
『トンネルのむこうは、不思議の町でした。』 。。。イトイ氏謹製だっけ?このコピー。 もう全然、”観たい”という気を起こさせないテキスト(笑) もっとも『千と○尋の神隠し』なんてネムいタイトル自体、大失敗だったんじゃないかと思うのだけど(^-^; という訳で、観て参りました、宮崎アニメ最新作。 まさか、金払ってまでジブリ作品観にいくことになろうとは夢にも思わなかったなぁ。。。(そもそも、アニメ映画に金払うこと自体何年ぶりだったのか。。。) しかも、こんなに大満足で帰ってこれるとは! そう、私は(従来の)宮崎作品はあまり好きじゃなかった。 ヒロインに共感ができない事が多いので、どうしても話の内に入り込めないのだ。 どうして彼女はこんなに必死に闘ってるんだろう?何を探そうとしてるんだろう?周りはどうしてそんな彼女を護ろうとするんだろう?とか考えてるうちに、総てが終わってしまう(笑) ストーリィ自体は感動的なんだけど、キャラクターの行動にそれまでに築かれた過去や背景がどうしても見えないのだ。ただ、書き手の都合の良いように動かされてるだけの気がして。 (小説で言うと、同人界でも不動の人気、高○薫が私にとってはまさに同タイプである(笑)) 。。。唯一『耳をすませば』は好きだったんだけど。 (詳しい知人に言わせればあれは"正確には宮崎アニメじゃない”んだってさ。そうなの?(笑)) ※以下ネタバレのオンパレードです。クライマックスに関係する部分は見えないよう表示しております。 (読みたい方はカーソル反転させて読んでくださいませ〜m(_ _)m) 今回のヒロイン・千尋は、これまでの凛として雄々しく、どれほど幼くても既に揺るぎ無い信念を持っていた他のヒロイン達とは違う。 まあ最終的には彼女も成長してゆくのだが、その過程や理由づけ(両親を救う・元の世界に戻る)がはっきり描かれているので、素直に共感できるのだ。 ブサかわいいルックスもイイv(笑) これがナウシカ顔やクラリス顔だったら、ハクに護られたりカオナシに付きまとわれたりするシーンがまた、全く別モノに見えてしまっただろう(笑) 襷掛けまで一人で出来るようになったんだねぇ。。。なんて、ついほろり。 つーか、カオナシって全くのストーカーだよなぁ、表面的には(笑)しかもヒッキーの(笑) でも、偶然メイキングで観た彼があまりにも可愛かったんで、映画に行く気になったんだけどね(笑) 初めは消え入りそうに細く、影も薄かった彼が次第に大きくなってゆくに連れ、これは、人間の欲望そのものの姿なんじゃないかな、と思った。 初めて自分に気づいてくれたひとに近づきたい、気づかれたい、好かれたい、もっと欲しい。 一番欲しいモノが手に入らなくて、他のもので間に合わせようとするけれど、物でもひとでも埋まらない。そうして気づけば、自分の居場所はなくなっている。 最後に自分の居るべき場所、やるべきことを教えられて、彼は嬉しそうに頷いた。 やっと見つけた、だからもうそこに千尋はいなくても構わないのである。 よかった、よかったねぇ(ほろり)。 列車に乗ろうとする千尋を追って海に飛び込むあの細い脚が、何とも言えずに愛らしかったのですv そして、麗しのハク様(笑)メイキングでアテレコ風景観た時には恐ろしい位の棒読みで、どうなってんのかひやひやしてましたが。。。何とかなってましたね(笑) 美少年で知的で優しく、時にはクール。。。と非の打ち所のない彼でしたが、同行の知人(非オタ)曰く、『変身前より変身後の方が格好イイ〜』!(笑)まぁね(笑) 最後に明かされた彼と千尋の秘密は、全く想像していなかったオチだったんだけど、私的にはすごくすんなり納得できた。つまり、 彼が千尋に対して見せてきたあの愛情は、千尋個人に対するものじゃなく、自然が万物に対して与えてくれる無償の恩恵の、一つの現れだったのだと思うのだ。 千尋でなくて他の子供(その川で遊んだことのある、ね)でも、同じように彼は護り、導き助けようとしてくれたんじゃないだろうか。 千尋とハク様の間にあるのは、恋愛感情とはまた違うものだろうと私は思う。 千尋の年齢には何の関係もなく。(ていうか、今時の10歳は彼氏持ちも沢山いるんだろうしねぇ(笑)) トンネルの向こうの町、奪われた名前、小さい頃から自分を見守り続けていてくれたという謎の少年、それらが示すのは”記憶”とか”思い出”とかの具現化したものなんじゃないんだろうか。 凄く仲の良かった友達、顔は覚えてるのに名前は思い出せない。 嫌な記憶をいつの間にか頭の中で巧くすり替えてたり、忘れない、と誓った筈の約束は、存在そのものが抹消されてたり。 記憶の容量には限界があって、新しいものがどんどん入ってくる代わりに消えていくものもある。忘れたくない、その時にはどれほどそう願っていても。 冒頭で、千尋が握りしめていた友達からの別れの花束は、やがてあの丘の上の新しい住宅地の日常にとって変わられる。 千尋が、ハクの護る川での記憶をすっかり忘れていたように。 でも、それでもいいんだよ、とこの映画は言っているような気がするのだ。 いいんだ、忘れても。いつかふっと思い出す時もある。 そうでなくても、自分自身の中に何かは残されてるんだ。 自分も何度か引っ越しを繰り返す度、そうやって友達を切り替えることに最初は凄く罪悪感を感じてた。 だから一生懸命、一度作った絆は全部切るまいとしていたのだ、同じテンション持続して。 そんなの、当然ムリだったんだけどね(笑) 忘れても、縁が途絶えてそれは別に悪い事じゃない、と悟ったのは随分早かった(笑) 冒頭が引っ越しのシーンから始まったからなのかも知れないけど、私はあの町と現実世界とを隔てるあの河に、そういう、どうしようもない時の流れを感じたのだ。 。。。ただの曲解かも、知れないけどね(笑) 脇キャラがゴマンと出てて、それがまたどれを観てもかわいい!(>ω<) 特にススワタリとおしらさまと変身後の坊!(笑) 背景も素人目にもはっきりわかる緻密な美しさで(やっぱり、建物描写が多かったからだと思うけど)、特に湯屋のシステムは本当にうっとりしましたv 表は遊郭の雰囲気なんだよね!(故五社監督マニアとしては、やっぱり。。。じゅる(笑)) そして裏は、鄙びた昔の日本家屋。 母方の祖母の家を思い出した。やっぱり近くに川の流れる鄙びた温泉街にあって、昔は旅館をやっていたそうなんだけど。 千尋やリンが寝泊まりしている部屋のあの縁側、あんな雰囲気が確かにあった。 年を経た木の肌触りは滑らかで、雨戸が重たくて、春には壁一面にお雛様が飾られ、夏には灯籠流しを見ながら花火をした。 祖母も随分前に亡くなって、その家ももう建て変わってしまったけど。 。。。やっぱり、あの世界にはそんな記憶の匂いがする。 つーわけで、私には珍しく大満足したジブリ映画。 子供と大人で解釈(理解できるポイントの多さ)の違ってくる映画だと思うけど、それでいいんだと思うな。 経験値の差は当然だし。 非常にわかりやすく描かれた、無気力な子供(千尋)、時に子供より常識知らずになる大人(両親)。 働くということに対する意識、よく読みもせずにサインする契約書、過保護な親に自我ばかり肥大した赤ん坊、環境破壊への警鐘。 そんなもの考えずにすんなりと、冒険もの、成長もの、お伽噺として観るのもまたよし。 暗喩の好きな私なんかには色々と探り甲斐のある、なかなか濃い作品でしたv それにしても最後まで、リンを男かも?と思ってた私って。。。バカ?(^-^; だって妙に声が低かったし(アニメの少年声)、”俺”って言ってたし。。。 いや、見た目はちゃんと美人だったけどさー。 俺オンナ苦手だからな、自分。。。(;^_^A |
|||
<< | >> | ||