2003年08月09日(土) |
死に行く女/忘れ去られる女 |
友達からの電話で突然、
『今日言いたい事は、 死に行く女と忘れ去られる女。 悲しいのは忘れ去られる女だ。』
と言われた。 ふむ。あたしもそう思う。 人は死んでしまうと美しい形のまま保存される。 とあたし自身は思っているのです。 (死に行く形等によっては変わってくる事はあるとしても) 記憶とは、どれだけ努力しても薄れて行くモノで 想い出とは、自分に都合の良い美しいモノばかりを 選りすぐるモノなのではないかと。 そうでなければ、辛すぎるんであろうとも思う。
『忘れ去られる』と言うのは正直相当悲しい。 同じ時間をいくら過ごしたと言っても、そのあらゆるモノが 忘れ去られると言う事は、結局はなかったモノと同じなのだ。 確かにその時間は存在していた。 けれど、自分自分には存在していた時間であっても 相手にとっては存在していない時間だなんて 何処を取っても悲しすぎる。
『忘れ去られる女』にだけはなりたくない。 ココロにいつまでも刻んでおいて貰えるなら 喜んでいくらでもあなたを傷つけましょう。 忘れないで。忘れないで。 憎んでも、忘れないで。 どんな形であろうともあたしを覚えていて。
なんて話を聞いた事があるけれど、それはそれで痛く悲しすぎる。
あたしは前者にはなれないし、なろうと思う時もないけれど 後者にはいつでもなれるのであろう。 過去を振り返るとして、答えなどないけれど 何度『忘れ去られる女』を経験しているんであろうか。 そんな事、想像したくもないけれどね。
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