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■ 2007年03月16日(金) 東海紀行―犬山→小牧→覚王山 <画像あり>
ちょっと前の予報では雨マークも付いていた本日ですが、岐阜で高龗神に祈った甲斐があったのか単に私が晴れ女だからか、時折晴れ間も見えるお天気。気温も昨日や一昨日よりは高くて、まずまずのお出掛け日和です。
名古屋を10時丁度に出る名鉄犬山線急行に乗り、まずは30分かけて犬山へ。そこで小牧線に乗り換え、2駅で目的の楽田駅に到着です。「がくでん」と読みます。どういう意味がある地名なのかしら。
駅を出るとすぐ脇に踏切。その踏切のすぐ横に「国幣中社 大縣神社」の社号標が建っています。そこが最初の目的地。この道を西へまっすぐ1.5kmほど行った所に神社はあります。 道は結構広いけど、大型ダンプがたくさん行き来してます。何処かで大きな工事でもしてるのかしら。駅から途中までは中央線が無くて、ダンプの離合はギリギリな感じでヒヤヒヤしたけど、やがて2車線になって歩道も出来ました。これで安全に歩けます。 緩やかな上り道を延々歩いて、突き当たりに鳥居。その脇には「式内大社 大縣神社」の社号標。大縣神社は、延喜式に記された名神大社で、国幣中社に列せられていたワケですね! 社号標でそれが良く判ります。知ってたけど。ついでに言うと、尾張国二宮です。 という由緒正しき大社・大縣神社。社殿も立派です(国重文)。尾張造を正確に伝えるというその社殿は、大縣造とも呼ばれる本殿が三棟造の特殊構造。確かに、拝殿・幣殿の後ろに屋根がみっつ連なっているのが見えます。 祭神は大縣大神。尾張開拓の祖神で、垂仁天皇27(B.C.3)年に濃尾平野を見下ろす本宮山頂より現在地に遷座したのだとか。てことは創建はいつなんですか。
そして境内摂社に姫之宮と大国恵比須神社があります。後者は大黒様とえびす様ですね。姫之宮は玉比売命と倉稲魂神を祀る社。女性の守護神としての信仰が篤いそうです。 その奥に小さな梅園があり、日曜日まで梅祭り開催中でした。でももうだいぶ散り気味だけどね。
こちらでも御朱印を頂きました。欲しかったのよ、ここの御朱印。尾張二宮ってのもありますが、何と墨書が神社名とかじゃなく「式内大社」のみなんですよ。「式内大社」なんてでかでかと(しかもそれだけ)書く神社なんて、他に知りません。誇りなのかなぁ。
左・踏切脇の社号標、中・大縣神社拝殿、右・鳥居横の社号標。 来た道をのろのろと下って駅へ戻り、1駅進みます。次の駅は田県神社前駅。駅名だと「田県神社」ですが正しくは「田縣神社」。こちらへ参拝です。 大縣神社に比べ、式内社だけど小社で旧官国幣社でもなし、と社格的には見劣りのする感が否めない田縣神社ですが、現在はこちらの方が圧倒的に有名です。何故かと言うと、かなり人の興味を引くお祭りをやっているのですよ、ここは。それも実は毎年3月15日、即ち昨日がそのお祭りだったんですが、お祭りとかの無秩序な人混みが嫌いなのと、祭り自体が若い女一人で行くにはちょっとアレなので、1日ずらしての参拝と相成ったワケです。
その祭りは「豊年祭」と言います。「田縣神社 豊年祭」でググってみました。ええと、一番無害に概要が判るのは、小牧市公式サイトではないかと。 とにかく、こんな神社なのでそういう(どういう?)筋では有名なのです。
鳥居をくぐり、右手に拝殿。鳥居左手の手水舎で手を洗って、振り返って拝殿に近付くと、拝殿の中にコレ。そう、これが豊年祭で担がれる神輿です。他のサイトでこの写真を見た時は、よくある神輿庫みたいに独立した建物に置かれてるのかと思ってたのに、拝殿に堂々と置いてあるのかYO! あまりにダイレクトで大らかなので、一人じゃなかったら笑ってます。絶対。 拝殿を左手に行き、その奥に奥宮があります。奥宮に至っては中がこの状態。社殿に掲げられた看板には「田縣の奥宮 千年の昔より遠近の人々願ひの叶ひしを喜びて、逸物を供える慣習あり、これをみて男子はその雄大な形相に益々発奮して仕事に励み、女人はひそかに伺ひみて願ひかければ良縁を得るまた子宝に恵まれるとぞ、生むは産むに通じて商売繁昌には霊験いやちこなり」と書いてありました(「いやちこ」とは神仏の御利益が著しいこと)。男性諸君はコレみて発奮して仕事に励むの? マジで? そしてここでも「子供が出来ませんように」と頑なに祈る私。今後とも日本の少子化に貢献する所存。
それから鳥居正面の社務所へ。2chでも「さすがにあの表紙は恥ずかしくて持つのはむりぽ」とか言われてる衝撃の御朱印帳の見本が掲示されていました。うん、これはムリだ! 手持ちの御朱印帳を出して御朱印頂きました。
ちなみに、田縣神社が男性のシンボルなら、さっきの大縣神社が女性のシンボル。実際、昔は田縣神社の神輿の女性バージョンの神輿が、大縣神社の豊年祭にも出ていたそうです。でも風紀上良くないとかいう理由で、なくなっちゃったんだと。何故女陰は風紀上良くなくて男根は良いのだ? どっちもどっちな気がするけど・・・。
小牧と言ったら、そういや航空自衛隊の基地がありますね。犬山市の大縣神社にいた時から、上空を明らかに民間機じゃないモノが飛びまくっています。田縣神社に来たら、でっかいのが結構低空で飛んでいきました。いっぱい。多分、C-130H輸送機じゃないかと思うんですが。
左・社号標と鳥居、中・拝殿、右、境内より多分C-130H輸送機。 駅へ戻って再び電車に乗り、終点の平安通駅まで。地下鉄に乗り換えて栄に出、お昼にしました。でもこういう繁華街って、何処で食べていいのか判んないね! よく考えてみれば、私は新宿だってデパートとかのレストラン街でご飯食べることが多かった! しばらくウロウロしてみたけど、結局昨日同様にパルコのレストラン街に行きました。何故か名古屋で北海道名物スープカレー。
再び栄から地下鉄(東山線)に乗り、覚王山へ。ここに日本唯一の無宗派寺院というお寺があります。覚王山日泰寺。覚王とは釈迦、日泰とは日本とタイのこと。ここは、1898年にインドで発掘され、インド政府から仏教国タイに贈られた仏骨の一部が祀られる寺院です。当時のタイ国王チュラロンコンより日本に贈られ、日本仏教全宗派が協力して、このお寺を建立したのだとか。だから宗派がない、のだけど、ここのお坊さんは一体何処で修行してくるのかしら?
名古屋人はここでお葬式するのがステータスらしいです。私が参拝した時も、まさに社葬が執り行われてました。東京で言ったら青山葬儀所か中野の宝泉寺みたいなモンか? 社葬は勿論、本堂ではなく法事なんかを執り行う専用の建物でやってたんですが、境内から参道からそこの会社の若い社員と思しきお兄さん方が黒服で立ってて、ちょっと気まずかったです。門出る時とかに丁寧におじぎしてくれちゃうんだけど、白のダウンに赤いマフラーの女なんか、どう見たって社葬と無関係じゃん! やめてくれ〜。 風が強くなっていたので、コートなしで立ってるのが寒そうでした。私も真冬の葬儀で「○○家」と書いた札を持って立たされたことがあるんですが、その時は喪主側の御厚意でコートOKでした。ありがたやありがたや。
さて、覚王山には有名なケーキ屋さんがあります。シェ・シバタ。場所なんか確認しなかったんですが、何とまあ、日泰寺の参道にありました。でもこれがもうすごい混み様で。3日連続でいっぱい歩いて足も痛いし、泣く泣く退散しました。時間もちょうど3時過ぎだったしなー。くそー外から見てるだけでもショーケースのケーキが神々しく光り輝いてたんだけどなー。 いつか絶対食べてやる!。・゚・(つд∩)・゚・。
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・過去の「今日」。
2006年03月16日(木) 父のA-1 <画像あり> 2005年03月16日(水) 名古屋経由東京行き 2003年03月16日(日) 思いのまま <画像あり> 2001年03月16日(金) 卒業旅行? <画像あり>
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