琴 星 商 事 日 乗
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2005年06月25日(土)
  北陸巡り <画像あり>

 朝、金沢を発ち、まず目指すはお隣富山県。南砺市(旧井波町)の越中一宮高瀬神社へ行きます。
 今日は高岡から羽咋へ抜け、能登半島を更に北上して總持寺祖院に行ってから福井に向かう予定でいるんですが、ここ高瀬神社は若干金沢−高岡間のルートから外れるので、行こうかどうしようか迷ってました。でものりさんが訪れた際の写真を見ていいなぁと思い、参拝を決めた次第。

 峠を越えて砺波平野に入ると、田植えを終えたばかりの田圃が広がり、空が広い。お天気だけどガスがかかっていて空はちょっと白め。でも広ーい空は気持ちいい。
 その広ーい空の下に、高瀬神社は鎮座しています。
 拝殿より後方、本殿の周りには「鎮守の杜」があるけれど、拝殿前や神社の周りはとても明るい感じ。深山幽谷にある神社も好きだけれど、平野に広がる田畑の真ん中にある神社も、明るさが清々しくていいなぁと思います。

 高瀬神社から砺波平野を北上して、高岡市へ。古城公園内の射水神社に参拝します。
 まだ10時過ぎ。でもとても暑い。そんな中、拝殿内では古式ゆかしく結婚式が行われていました。神楽奏上や巫女による浦安の舞の奉納。拝殿内は風が通るからそれほど暑くないのかもしれないけど、それでも振袖の参列者や白無垢の花嫁さんは暑いだろうなぁと思いながら見てました。

 さてこの射水神社。「延喜式」神名帳では越中国唯一の名神大社として掲載されている格の高い神社ですが、現社地に移転してきたのは、当然高岡城の廃城後のこと。元々の鎮座地・二上山麓には現在、二上射水神社が鎮座しています。なのでこちらにも参拝。

高瀬神社射水神社・浦安の舞二上射水神社
左から高瀬神社、射水神社・浦安の舞、二上射水神社。

 続いて同じ高岡市内の気多神社へ。この神社も(一説には射水神社も)越中国一宮を称しています。最初に行った高瀬神社も一宮。これは越中の国府が移転したことに関係しているようです。つまり、井波にも高岡にも一宮があったってこと。
 気多神社は、この後行く羽咋の気多大社の分社。境内には越中国総社跡伝承地もあります。昔、この辺が越中の中心地だったのは間違いないのです。

 それから能登半島の付け根を横切り、再度石川県に入って羽咋の気多大社へ。ここは、もし公共交通機関で来ようと思ったらかなり不便な所です。
 神社向かいの広場(大駐車場なのかも)には大きなテントが設営されていて、これから何かのイベント(だか会議だか)が行われる模様。神社横の駐車場に車を止め、正面に回って鳥居をくぐります。
 さてこの気多大社。こちらの公式サイトを御覧下さい。万葉集にも出て来る歴史ある(辺鄙な所にある)神社が、何を思ったのか若い女の子向けに猛アピールです。その甲斐あってか参拝客も年配の方より若い女の子のグループやカップルの方が多め。鳥居から続く参道の先にある神門には案内役の神職が控えており、「あちらからお参り下さい」と指示された先の建物内には、気多大社が掲載された女性誌(勿論若い子向け)のオンパレードに、恋愛成就なんかを謳った社、それに御守。何だかなーと思いつつその建物をあとにし、拝殿へ。いつも通り普通に参拝し、境内の奥へ。
 気多大社本殿の後方には、広大な常緑広葉樹の自然林が広がっています。その広さたるや約3.3ha。この中に奥宮があるのですが、ここは「入らずの森」(いらずのもり)で一般人の立ち入りは許されていません。遙拝所から木々を眺めるのみ。
 遙拝所近くの授与所には、お正月の巫女「幸娘」募集に関する女性誌の記事が貼られています。6月にそんなもの見せられても。しかも、その雑誌のモデルらしき女の子が幸娘の衣装を着る過程をレポしてたりして、金かかってそうです(笑)。辺鄙過ぎる上に冬の海岸で禊ぎもしなきゃいけないらしいので、人集まらなかったのかなぁ。
 ・・・何か商売っ気が見え隠れする神社です。もっと自然な感じが見たかったなぁ。ちょっと残念。

気多神社本殿気多大社気多大社奥宮遙拝所
左から高岡の気多神社本殿、羽咋の気多大社、気多大社奥宮遙拝所。

 ここから能登半島を門前町の總持寺祖院に向けて北上。途中、道の駅赤神で休憩しました。ここら辺の岩が赤いから「赤」神なのかな。
 道の駅の向かいは日本海。流石、瀬戸内海と違って綺麗です。底が遠浅の砂地みたいで、ちょっと南国チックな海の色をしてました。
 その少し先の蕎麦屋でざる蕎麦を食し、海を離れて總持寺祖院へ。

 現在横浜・鶴見にある曹洞宗第二の寺格を誇る總持寺。その祖院が能登にあります。明治31年春に七堂伽藍の大半が焼け落ち、それを機に布教伝道の中心を鶴見に移し、能登にも堂宇を再建して今日に至る訳です。つまり、祖院とはいえ、建物の古さは鶴見の總持寺と変わらないってことか。
 鶴見の總持寺には昨年訪れてますが、印象がよく似ています。造りが似ているのは、伽藍配置にもある程度決まりがあるからだと思うんですが、それを「似てる」と思うのは、伽藍配置だけじゃなく、植栽とか雰囲気も近いからなんだろうなぁ。
 香積台では僧侶がご婦人方に御詠歌の講義をされてるようでした。香積台は総受付、台所、浴室、東司を付属する總持寺の中枢部で、御朱印もここで頂きました。柱には大きなすりこぎとしゃもじ。それぞれ「己が身をすりへらしてぞ人のため 世のためつくす御佛の慈悲」「己が身は水をも火をもいといなく すくい上ぐるぞ御佛の慈悲」という歌が書かれた紙が貼ってありました。こう考えるとすりこぎとしゃもじって偉い。すりこぎは使わないけど、毎日熱いごはんの中に突っ込んでごめんよしゃもじ。

 總持寺祖院を後にしカーナビをセットすると、東尋坊に着くのは6時くらいになりそう。ならば、と寄り道をして金沢に戻り、市街の大野湊神社へ。社殿向かって右手にあった神馬舎の中には作り物の馬像。台座に載っていて「ころ」が付いてるんですが、引き回すことがあるのかなぁ。
 大野「湊」という割に内陸にあるな、と思っていたんですが、社務所内に飾られていた航空写真を見るとそうでもなさそう。

能登の海總持寺祖院・僧堂大野湊神社の神馬
左から道の駅・赤神前から能登の海、總持寺祖院・僧堂、大野湊神社の神馬。

 東尋坊に着いたのは、案の定6時。日本海に夕陽が沈む東尋坊を散策です。土曜日だけれど東尋坊タワーも土産物屋も全く開いてなくて、黄昏時という時間も相俟ってちょっと寂しい感じ(しかも案内所みたいな所には「生きる喜び」みたいな掲示物とかある)。でも東尋坊の崖の上には結構人がいます。柵なんかない高ーい岩場の上に座り込んで語り合うカップルや家族連れ。私たちも岩場に下り、崖から下を覗き込んでみます。高ぁ。これは飛び降りたら水面に到達する前に崖にぶつかって死ぬんじゃなかろーか。つーか自殺する人は一体何時頃ここに来るんでしょう? 人がいない時じゃないと、飛び降りようにも飛び降りれないよね。
 しばらく辺りを散策しましたが、三脚にカメラを構えて太陽高度がいい塩梅になるのを待つ人や、散歩をする人で結構賑わってます。でも土産物屋が全部閉まってるってことは、ここも斜陽なんでしょうか。景勝地なのに。

 今日の宿泊は芦原温泉。東尋坊から車で10分弱。東尋坊周辺の三国神社や瀧谷寺は、明日の朝イチで参拝することとしましょう。




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