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■ 2005年04月29日(金) 出雲路紀行1 <画像あり>
GW前半の3連休を利用し、出雲に行ってきました。 広島からだと出雲へは高速を使わず下道になります。隣県とは言え、境には中国山地。国道54号をひたすら北上し、なかなか越えることのなかったこの境界を遂に乗り越え、いざ島根県!
下道利用とはいえ、ずっと国道を走ります。島根の道はかなり整備されていて、快適なドライブ。県境を越えて10km程行ったところにある出雲蕎麦の有名店・「奥出雲そば処一福」でお昼。時間は11:50くらい。この時点でも結構混んでて待たされましたが、この後もっと混んできました。流石有名店は違う。
出雲蕎麦は「割子蕎麦」が有名です。直径15cmくらいの円形の器に蕎麦が入っていて、それが3段積み重なっているものに、青ネギ・のり・もみじおろし・鰹節・山葵などの薬味とそば湯が付くのが基本みたい。蕎麦の上にお好みで薬味を載せ、蕎麦つゆを掛けて(少なめの方がいいらしい)頂きます。出雲蕎麦の蕎麦つゆは濃いめで、関東人には嬉しい限り。やっぱ蕎麦は濃いつゆじゃないと。
満足して店を後にし、続いて目指すは旧佐田町(今は出雲市)の須佐神社。 須佐神社は、八坂神社や氷川神社なんかの祭神・スサノオを祀る神社の御本家ともいうべき神社。須佐神社の位置するこの辺が、スサノオなる神とその一族の本拠地だったわけです。54号を外れて才ノ峠(多分、塞の神の「サイ」でしょう)を越える道へ入り、県道325号・39号線を経由して須佐神社へ。 鳥居横に建つ社号標には「須佐大宮」。でも、神社としての規模はちょっと大きな村の鎮守程度。「大宮」というほど大きな神社ではありません(しかも凄い山の中)。でも周囲を山や緑に囲まれ、脇を川が流れ、玉砂利の敷き詰められた社殿前の空間なんかは、とても気持ちが良かったです。
須佐神社正面に、「天照社」が鎮座していました。社殿向かって右前、玉垣の中に気になるものが。金色の御幣が捧げられたその後ろ、全部で4つの石で出来た「何か」。これは・・・とぐろを巻いた蛇? 何の説明書きもなかったので詳細も事実も判りませんが、八俣大蛇を斬ったスサノオの姉神である天照を祀る社の境内に蛇の石造とはこれ如何に? 須佐神社の社務所にいらした方に伺えば良かった。
左から「一福」の割子蕎麦、須佐神社、天照社の石蛇? 県道39号をそのまま直進して国道54号に戻り、続いて目指すのは「桜」です。 いくら山間部とはいえ、ソメイヨシノの盛りは当然とっくに過ぎています。今は見事な葉桜。でも、この先の斐伊川の堤にある桜並木は一味も二味も違います。 「御衣黄」。ギョイコウ、と読むこの桜、全国でも大阪の造幣局など数ヶ所にしかない緑色の花を付ける桜なのです。その見頃が、ソメイヨシノから遅れること約2週間の4月下旬。盛りは少々過ぎましたが、それでもまだお花見する人がいるくらい、花を咲かせてました。でも花と葉が一緒に出ている上に花も緑だから、ちょっと判りにくいかも(^^;) あ、緑の花と言っても、全体が真緑ではなく、ピンクと薄い緑が混じってる感じです(下の写真参照)。
季節外れのお花見の後は、そのまま54号を北上して加茂岩倉遺跡へ。 加茂岩倉遺跡。1996年、39個もの銅鐸が一度に発見された日本古代史上非常に価値ある遺跡です。とはいえ、何しろ発見が僅か9年前。まだあまり整備されていません。遺跡まで車で行くことは現在は不可能。駐車場から400m、遊歩道(とは名ばかりの半山道もしくは畦道)を歩いて遺跡まで行きます。
駐車場を出て岩倉川にかかる橋を渡る時、川に蛇がいることに気が付きました。あたりでは青蛙の大合唱。多分、餌を狙っているんでしょう。写真を撮ろうとした私の気配に気が付いたようで、橋から離れた方の草叢へ泳いでいってしまいました。 出雲で蛇。この因縁めいた出会いの意味や如何に?(考えすぎ?)
遺跡までの道程は自然がいっぱい。クローバー、ゼンマイ、フキ・・・山菜採り放題ですよ。そしてふと目を留めたクローバーの茂み。・・・また四つ葉があるじゃないのさ!! 先日の近所の公園ほど遺伝子に異常がないようで、四つ葉ばかり数本見付けただけでしたが、何でかこの辺のクローバーは大きい。とっても大きな四つ葉のクローバーが手に入りました(笑)。
左から御衣黄、岩倉川にいた蛇、四つ葉のクローバー。 遺跡部分もまだ整備中といった感じですが、発掘時の状況が再現されています。土の上に転がってたり半分埋まってたりする緑色に錆びた銅鐸たち。高校の日本史の先生(女)が「土器を初めて見付けた人はドキドキしたでしょうねぇ」なんてお決まりのギャグをかましてましたが、コレを見付けた人たちはドキドキしたなんてモンじゃなかったでしょう。こんなモノが土の中からゴロゴロ出てきたら・・・血圧上がりすぎて倒れるかも(笑)。
続いて向かうのは荒神谷史跡公園。神庭荒神谷遺跡。加茂岩倉遺跡から遡ること約10年前、1984〜85年にかけて358本の銅剣と6つの銅鐸、16本の銅鉾が出土した遺跡です。ちなみに、358本の銅剣というのは、それまでに国内で見つかっていた銅剣の総数を上回る数。この遺跡がどれだけ凄いものかってことが判りますよね。
荒神谷史跡公園には今秋に博物館が開館するそうで、公園自体は現在も整備中。まあ博物館は開館後にまた来ればいいので、とにかく今日見たいのは、実際に銅剣・銅鐸・銅鉾が出土した現場。ここも加茂岩倉遺跡同様、発掘時の状況をレプリカの青銅器で再現しています。向かって左に銅剣358本(のはず。数えてないけど)、約7m右に銅鐸6つと銅鉾16本。それらが綺麗に並んでいるんですから、これは間違いなく意図的に埋められたもの。
これらの遺跡により、出雲が国譲り神話の舞台となるような理由が考古学的に説明出来るようになったワケです。その時代、日本で何があったのかは、やっぱり宮内庁が管理する陵墓を掘らなきゃ判らないと思うんですが。今の皇太子殿下、確か日本史やってたように思うんですが、一言「掘ってみようよ」なんて言ってくれないかなぁ(言わないよな)。
ちなみに、神話の頃(弥生時代?)は宍道湖や中海はもっと大きくて瀬戸内海と太平洋のように左右とも日本海に繋がっていたようです。荒神谷遺跡はその海(入海)の南岸、出雲大社は北側の「島」(小さい四国みたいな感じ?)の小さい半島の付け根に位置するような感じだったようです。一畑電鉄が通ってるような平らな辺りは海の底だったんですね、きっと。
左が加茂岩倉遺跡の銅鐸、真ん中は荒神谷遺跡遠景、左は上から撮った銅剣の出土現場。 そこから「出雲ロマン街道」(正式名称は簸川南広域農道)を西へ、次に向かうは西谷墳墓群。ここに弥生時代2番目に大きい1辺約40mの四隅突出型墳丘墓・西谷3号墳があります。 もっと鬱蒼としたところだと思っていたんですが、ここも現在史跡として整備中のようで、周囲の木々は伐採され、古墳そのものも整備されているようでした。でも祝日だから人もいないし、各墳丘墓の説明板くらいしか設置されていないので、ごめんなさい墳丘墓の上に登りました(エヘ)。 まずは西谷3号墳。下から見たって形とかよく判らないし、取り敢えず上に登ったら全体像もよく判るかも、と思ったんですが、流石1辺40m、上に登ってもただの広場のようで、隅にでっぱりが付いてることしかわかりませんでした。 上からも下からも全体の写真を撮ることが出来なかったので、隣の1号墳に登って、3号墳の全体写真を撮りました。 これら古墳に眠る方々、どうも大変失礼致しましたm(vv)m
どうでもいいですが、出雲路、変な名前付けた道が多すぎです。前出の「出雲ロマン街道」(しかもただの農道)だけじゃなく、出雲神話街道(国道54号のこと)、出雲マロン街道(栗の産地なんでしょう)などなど。そのうち「出雲ミステリー街道」とか出来そうです。もれなく殺人事件の舞台になるでしょう。
更に西へ進んで出雲市中心部を抜け、一気に海岸まで。日本海です。目指すところは長濱神社。「国引き神話と妙見信仰の宮」(by神社パンフ)だそうで。御祭神・八束水臣津野命の八大神徳。それが勝利、災厄回避、商売繁盛、子授け・安産、不動産守護、農林水産守護、交通安全・旅行安全、動物愛護。てことで、ペット守なんて御守も授与してました。こ、これは見たことない。
左は西谷1号墳の上(オイ)より西谷3号墳、右は長濱神社。 それから海岸線を北上し、稲佐の浜へ。ここは、天津神タケミカヅチノミコト(表記は建御雷神・建甕槌命・武甕槌命など)が国津神大国主命に国譲りを迫った地。国譲りに反対した大国主の子・建御名方神がタケミカヅチと力比べをして海に岩を投げ合って出来たという「つぶて岩」は、ここ稲佐の浜から2km程北にあります。建御名方神はその後敗走し、信濃の諏訪まで逃げて「もうここから出ない」と誓って諏訪社に鎮まったとか。 どうでもいいですが、日本海ってやっぱり波荒いですね。瀬戸内海じゃ台風の時くらいしかこんな高波来ないんじゃ?ってな波が押し寄せてました。丁度風向きがいい感じに高波を生み出してたようです(しかも結構強風だったので)。サーファーがいたくらい。
そのあと、出雲大社の正面を通りました。参拝は明朝を予定。取り敢えず、正面と日本一という大鳥居だけ。でも岡山の最上稲荷の鳥居の方が大きいような気がする。周囲の景色にも影響されるだろうから、感覚だけなんですが。きっとこっちの方が大きいんでしょうね。
左は稲佐の浜。右手前の小島は弁天島。真ん中は出雲大社正面。右は出雲大社の大鳥居。 道の駅大社ご縁広場(すごい名前だ)で少し休憩し、旧JR大社駅を見に。もう随分前に廃線になったように思ってたんですが、1990年まで使用されてたんですね。とてもそうは思えないレトロな駅舎。D51まで停まってました。
それから、大正天皇(当時皇太子)に献上して気に入られたことから全国で唯一「献上そば」の名を許されているという「献上そば 羽根屋本店」に蕎麦を食べに行きました。普通の割子(630円)と石臼挽き割子(800円)があったので、石臼挽き割子を食べようと思ったら、まだ18時前なのにもう売り切れたって(TT) 仕方ないので普通の割子でガマン。そばがきも頼みました。 ここの割子に付いてくる薬味のもみじおろしは、唐辛子の入ったもの。お昼に行った一福は人参を使ったものだったので辛味が大根のだけだったけど、私は唐辛子入りの方が好み。お蕎麦も、普通の割子だったけど美味しかったです。クソ、石臼挽き割子、リベンジしたい。
左は旧JR大社駅正面、真ん中はホーム。右は羽根屋の割子蕎麦。 今回の宿泊は、玉造温泉。温泉街からはずれた宍道湖畔に位置しながら、温泉街に位置する姉妹旅館から温泉を引いているというホテルに泊まりました。温泉であれば安宿(しかも偏食家なので素泊まり出来るところ)で良い派なので、温泉街にある立派な宿じゃなくていいのです。部屋も広かったし、温泉も良いお湯だし、何より部屋風呂も温泉! これって温泉旅館でも珍しいんじゃないかと思うんだけど! あと部屋にあったお茶菓子「山陰名菓 因幡の白うさぎ」、美味しかったです。後で知ったことですが、出雲の土産菓子として売り上げナンバー1だとか。「因幡」の白うさぎなのに。
明後日、天気が悪いそうなので、明日なるべく多くの神社に参拝すべく、6時起き7時出発で頑張ります。
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・過去の「今日」。
2003年04月29日(火) 20ン年ぶりの会話
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