琴 星 商 事 日 乗
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2005年04月26日(火)
  事実だけを淡々と

 昨日の昼前からずっとテレビを見ている。勿論、尼崎の脱線事故。尼崎に夫の伯父一家が住んでいるのだが、安否は昨日夕方までに確認出来た。

 昨日は被害者の救出、現場の様子など、スタジオと現場や中継ヘリとのやり取り。刻一刻と増える負傷者・死者。それをただただ遠く離れたところで見守る。私は正直、このような事故が起きた時は、現場の中継とほんのちょっとの実況、それだけでいいと思っている。

 一夜明けた今日。各局、特に民放は、それぞれ専門家と称する人たちを集め、「事故原因の究明」に躍起になっている。未だ車内に閉じ込められている人もいる。事故の鍵を握る運転士の安否も不明。事故調査委員会の正式な報告もなく、というより、調査すらまだままならない筈。だって救助作業すら終了していないような状態なんだ。まだ現場に取り残されている人がいる。その人たちや、その救助に当たる人々を置き去りにして、報道は先へ先へと突っ走る。

 まるで言い争うように飛び出す言葉たち。「運転士の未熟さ」「置き石で脱線するわけがない」「誰が責任取るのか」「我々は命を預けてるのに」。もういい加減にしてくれ。

 事故は既に起こってしまっていて、多くの命が失われた。未だ救出叶わない人もいる。現場を見てもいない連中が、揃いも揃って机上論で言いたいことを言いまくる。悪いのは誰か。そんなのは後でいいし、誰かを悪者にすれば済むことじゃない。なのに何なのこの状態!

 何処か1局くらい、淡々と現場の救助活動の様子を放映してくれればいいのに。
 何故こんな事故が起こったのか? そんなのはスタジオでいくら言葉を並べても答えなんて出る訳もなく、現場で調査している専門家に任せるしかない。

「普通に会社に行こうとしてね、命を取られるなんて!」
 それはそうだ。でも、我々の日常は、いつだって危険と隣り合わせなのだ。このような電車の事故が起きることも、これだけ多くの命が同時に失われることも、非常に稀なこと。それは確かだけれど、その辺の道で車が事故を起こすことは毎日何処かで何件か起こっている訳で、自分がそれに巻き込まれない保証は何処にもない。
「これじゃ電車に乗れないですよ!」
 声を荒げるコメンテーター。それなら道も歩けないし、車にも乗れない。事故に遭う可能性を考えていては、身動きなんて取れやしない。「なら乗らなきゃいいだろ」。心の中で毒突く。

 こんな時に机上論や仮定でものを言っても仕方ないじゃないか。どんなにテレビで声を荒げたって、所詮スタジオにいるのは、被害者とは何の関係もない連中だ。被害者の声を代弁しているつもりかもしれないが、そんなの本当に代弁でしかないか、代弁にすらなっていない。被害者や遺族の心の痛み・体の痛み、そんなもの、体験していないのに判る訳がないじゃないか。想像力の欠如? そうじゃない。彼らを思い遣ることは出来る。でも、彼らの痛みは彼らにしか判らない。まるで自分のことのように他人の痛みを語るヤツなんて、信用出来るもんか!

 お願いだから誰か、事実だけを淡々と私に伝えて。「意見」なんて、今は求めていない。現場で起こっていることを、私は知りたいのだ。余計な情報をインプットされることによって、私自身の判断も鈍る。事故の原因は、正式な調査によってのみ導き出せる筈だ。その報告を後で伝えてくれればいい。

 やっぱり、「ニュース」じゃない報道バラエティ番組は見られたものじゃない(昨日も殆どNHKを見ていた)。解説者とかコメンテーターなんてものは最小限でいいのに。こうやって民意はマスコミに誘導され、世論が形作られていくんだと思うと、これから起こるかも判らない列車事故より、全国に垂れ流されている善意を装った悪意の方がよっぽど恐い。

*****
 被害者の心身の傷が早く癒えますよう、そして犠牲者の御冥福を心よりお祈り致します。私には祈ることしか出来ません。だから、ただ祈らせて下さい。
 そして夜を徹して救助活動を行っている消防や警察関係者の方々、本当にお疲れ様です。


**************
・過去の「今日」。

2003年04月26日(土) 新装府中開幕 <画像あり>

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