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■ 2004年12月18日(土) 私なりの靖国問題 <画像あり>
中国や韓国から「小泉靖国参拝やめろ」コールが続いております。これだけ言われてんだから小泉もやめりゃいいのに、と思うのが私の気持ちですが、抑も、靖国神社とか護国神社とかって何なんだろう、と思うわけです。
神社一般の話ですが、個人的に、「人」を神として祀っている神社は余り好きではありません。と云っても、八幡(応神天皇)とか天神(菅原道真)クラスになると、もう1,000年を超える信仰の歴史があって、その過程で既に「人」とは異なる性格を付与されていると思うので、気になりません。でも戦国武将だったり、藩主一族だったり、軍人だったりは、そこに祀られているものを「神様」とは到底思えないのです。東郷神社とか乃木神社とかで挙式する人は、自分が何に永遠の愛を誓ってるのか判ってるのかしら?とか思っちゃうんですよ。それを言い出すと明治神宮(祭神明治天皇他)だってちょっとおかしいんですが、まあ戦前まで天皇は現人神ですから、やっぱりただの軍人や一般国民とは全く性質が違うワケで。
靖国神社や護国神社は、主に第二次大戦での戦没者を祀っているんですよね。日本人は元々、人は死んだら「個」としての性格を徐々に失い、先に亡くなっているご先祖様の霊と一体化して「祖霊」という名の神になり、子孫やその土地を護ってくれると考えていました。靖国や護国神社の祭神も日本の誰かの「先祖」であるから日本の誰かの「祖霊」であって、その点ではやっぱり「神様」なのかもしれません。でも、「祖霊」という概念は、その家やムラ(集落)といったかなり狭く限られた範囲内でのみ通用する概念で、国とか都道府県とか旧国(出雲国とか武蔵国とか)みたいな広い範囲で共有出来る概念ではないと思います。戦争で亡くなられた方、そりゃあ手を合わせて冥福を祈りたい気持ちは判ります。今後はあんな悲しいことがないよう平和を祈る気持ちも判ります。でもそれ以上でも以下でもない。戦没者に初詣に行ったり合格祈願に行ったり、東郷元帥や乃木大将に永久の愛を誓うっておかしくないですか?
正直に言いましょう。私はあれらを神社だとは考えていません。小泉さんもそうなんでしょう。二拝二拍手一拝という神社の正式な参拝法を取らなければ政教分離の原則に適うとか訳判らんこと言うのは、言い訳がましいですがそういうことだと思います。だったら、端からそんな宗教的参拝法を採らない「もの」にしておけば良かったじゃないですか。 靖国神社や護国神社。あれは「神社」の名を冠して神社の形をしていますが、戦没者慰霊のモニュメントなんです。原爆慰霊碑とか摩文仁の丘にある平和の礎なんかと同じなんです。それが神社の格好をしてるからおかしなことになるんです。だって戦没者は戦没者であって、追悼するものでこそあれ、奉るものではないでしょう? 神様ではないでしょう? 私の直系血族に(知ってる限りで)戦没者はいませんが、例えば自分の祖父が戦死してたとして、やっぱりそれは神社に祀られるような神様にはならないと思うんです。
靖国神社や護国神社に参拝するのは、日本人の私でも正直抵抗があります。靖国神社には昨年行ってしまいましたが、護国神社はまだひとつも行っていません。避けています。日本がかつて侵略した国の人が首相の靖国参拝を不快に思うのって、とても自然な心理だと思うんですよ。だって日本人の私が参拝することに抵抗を覚える所なんですから。
神社の名を捨て、神社建築を廃し、宗教的なものを一切シャットアウトして石碑と「平和祈念館」みたいな建物のみにする。そういう形なら首相が訪れて花を手向けようとも文句言われないんじゃないかと思うんですけどねぇ。
何か思想的に偏ってそうですか? 私(笑)。ちなみに御霊信仰とかも判った上で言ってますよ。戦没者は御霊ではないと思いますから。尚、議論するつもりは毛頭ありません。
靖国神社、2003年秋。日本人じゃない方も結構来てました。 ここは青空より曇天の方が似合う気がする。
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・過去の「今日」。
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