きっと どこかで
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先日の話の続きになるが、他人を思いやることのできる人間になるためには、まず、自分を好きでなくてはならないそうだ。自分を好きでいられる人間に育つためには、人から愛された(と思う)経験が必要だと思う。
親が子供のために厳しいしつけを行う。親は子供のことを思ってやっていても、それが、「この親は自分につらい思いばかりさせる」としか思えなければ、親がやっている本当の気持ちを知らずに大きくなっていく。そして、親を恨むようになるかもしれない。
だから、厳しいしつけを行う必要がある子供でも(ほんとにそんなに厳しいしつけが必要なのかと思う私だが)、親の愛情を、その子供にわかる形で示してあげる必要があると思う。
自分の命を大切にしよう、という授業を、我が子は今学校でしているが、自分の命を大切に出来て、初めて、他の人の命も大切だと考えることが出来るのだと思う。
私は、自分自身で死を身近に感じたことがある。(もう死んでしまうのではないかと思ったことがある。)その時、「私が死んだら、子供達はどうやって育っていくのか、旦那はどう暮らしていくのか」ということが頭をよぎった。そして、このまま死にたくない、と思った。死んだら天国へ行けるなどということは思わなかった。きっと死んだらもう私の魂も終わりになってしまうのだ、と思うとつらかった。こんな時、宗教を信じている人は、死ぬのが怖くないんだろう。私は死ぬのが怖かった。
私は自殺しようとしていたんじゃないよ、過去に、持病の発作で死ぬような思いをしたことがあるのだ。
また、どんな宗教でも、自殺は禁止していると思う。自殺は一番罪が深いことなのだ。どんなにつらくとも、生きていかなければならないのだ。宗教では、そのつらいことは、修行なのだとか、試練なのだとか言うらしい。そして、神様は、その人が耐えられないほどつらい試練はお与えにならないそうだ。
宗教から離れて話をするなら、つらい時は、それぞれ、相談機関がある。適切な相談機関へかかって話を聞いてもらって、解決の方法を考えていけばよい。
そして、がんばってる自分を、自分でほめてあげよう。自分のいいところ、書き出してみてください。誰にでも、必ずあるはずだから。
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