無責任賛歌
日記の表紙へ|昨日の日記|明日の日記
2006年11月26日(日) |
九州国立博物館開館一周年「『海の神々』 ~捧げられた宝物~」展 |
昨日、久しぶりに亀の水槽を洗った。 水槽というよりは泥槽になってはいたが、もちろん泥の正体はこいつらの糞である。
掌サイズだったころの可愛らしさはどこへやら、今やこいつらは10センチを越えたデカガメに変貌してしまった。玄武と龍宮という名前を付けていたが、初めは大きさに差があって区別がつきやすかったのだが、今はどっちもどっちのでかさで、顔をよく見比べないと分かりにくくなっている。
こいつらが、エサを与えりゃ、あっという間に食い尽くし、小便と糞を怒涛のごとく垂れ流すのだ。 おかげで、水槽を洗って、小一時間も経たないうちに、水槽はもう白濁してしまっている。循環ポンプも屁の役にも立ちゃしない。つか、こいつら二匹で寄ってたかってポンプぶっ壊してくれるしよ、もっと上等で頑丈なやつを買わなきゃいけないじゃないか。
そんな状態だったので、一週間ごとに水槽を洗うのが面倒くさくなり、かなり長い間放置していたのだが、水がこれだけ汚くなっても、エサをしばらくやらずにおいても、こいつらはまるで平気の平左なのである。 元気が有り余っているかのように、何とか水槽から脱出しようと、敷き詰めた小石を掘ったり、立ち上がって壁をよじ登ろうと、バタバタ暴れまくっているのだ。生命力が強いドーブツに例えられるのも無理もないと思われる。こりゃ、川とかに捨てられた亀が生態系を壊すのも当然だろう。 人間よりずっと図太いわ、亀(笑)。
私が亀より先に死んだら、しげ。は躊躇なく亀を捨てるんだろうなあ。 しげ。の代わりに、いざというときは亀をもらってやってもいいよって方、いませんか?
> <核>「保有ノーだが議論は容認」が最多6割 毎日世論調査 > http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061127-00000006-mai-pol
> 毎日新聞は25、26日の世論調査で、自民党の中川昭一政調会長や麻生太郎外相らが提起した「核保有」議論についても尋ねた。その結果、核保有自体には約8割が反対する一方、議論に対しては「核保有すべきでないが、議論はしてもよい」との回答が最多の61%にのぼり、容認派が多数を占めた。 > (毎日新聞) - 11月27日3時5分更新
「世論」が知性と無関係であることは歴史が証明しているところであるが、その最大の特徴は、「先読みができない」点にある。 「世論」は常に近視眼的で目先の欲求しか見据えてはいず、10年のスパンでものを見ることすら不可能である。せいぜい半年か1年、先を見通すのが関の山で、実質、論というよりは直感に近い。 個人個人では深謀遠慮な人々も散見するというのに、総体としてはあまりものを考えているふうでもない烏合の衆となりはてるのは社会学的な研究対象の現象としては面白いかもしれないが、その中に身を置いている一員としては、いささか居心地が悪くなるのである。
このように書いているからと言って、私が核保有に賛成だとか、議論することに反対なのだとか、短絡的に判断しないで頂きたい。私は「世論は必ずしも論理的な思考に基づいてはいない」ことを指摘しているまでのことで、その内容の是非を判断することとはいったん、次元を異にして考えなければならないのである。
端的に言うと、まずもって大衆は「核保有」になぜ反対なのか、その理由について綿密に考えているわけではない。下手をすると、「かくをもっているといつかはばくはつしてきけんです」とか「かくみさいるはせんそうにつながってひとがしぬからもっちゃだめです」とか、甚だ幼稚な認識しか持っていない場合も多かろう。 第二点。「議論はしてもいい」と言うが前記のような殆ど直感でしかない認識力で、いったいどんな議論をしようというのか、具体的な内容を想定しているのだろうか。 議論というのは、自らの拠って立つ理論を明確にした上で、相手の反証も予め想定し、更にその反証も用意して、自説を主張するのでなければ成り立たない。「議論してもいい」と仰る方々がみな、その筋道を具体的かつ建設的に想定しているとは私にはとても見えないんだけど。 「話し合いは必要だ」という戦後民主主義的イデオロギーに盲目的かつ脊髄反射的に従っただけの、思考停止状態に陥った状態での発言ではないのか。
日本人の議論下手が始末に悪いのは、「やってみなけりゃ分からないじゃないか」と、往々にして議論をすっ飛ばして出たとこ勝負に走ってしまう傾向にあることで、結果として「やってみる前に分かりきっている結末」に陥ってしまう。 先の戦争が侵略戦争だったか自衛戦争だったか、そんなイデオロギーはどうでもいいが、戦略的に考えれば真珠湾攻撃の時点からミスだらけだったことは今や明白な事実である。幕末以来、薩摩と長州の単細胞に支配され続けてきた弊害が先の戦争でも如実に現れてしまったと見るのはあながち的外れではなかろう。
前置きが長くなったが、「核保有には反対だが議論はしてもいい」という、一見理性的に見える主張は、実態としては殆ど「何も考えていない」人たちによって口にされている、ということである。 もちろん熟慮の上でそう主張している人たちもいるだろうが、困ったことに両者の違いは結論だけは一致しているので、表面的には区別が付かないのである。 「ただ話し合えばいい」と口にするだけで、中身を考える力もない連中に「核」を持たせたら何を仕出かすか。それが怖いから、簡単に「核を持つことも想定して」とか「議論だけならしてもいいんじゃない?」とか、軽く口にはしたくないのである。
要するに「議論をすることに反対じゃないけど、その相手が馬鹿ばっかだったらどうするのよ」ということなのだ。「世論」は基本的に正邪の判断とは無関係だと認識する必要があるんだけれど、困ったことにある一定の「力」だけは持ってるんだよねえ。 「政治家」と呼ばれる人たちが本当にしなければならないことは、「世論」をある一定のレベルで尊重しつつ、自らは100年先の未来を見据えて、我ら愚民を意識誘導してとりあえずの平和と満足を与えてくれることなんだけれども、そんな技術を持ってないやつらばかりだからなあ。
先日の福岡市長選挙で落選した前市長・山崎広太郎が敗戦の弁をこう語っていた。 「私個人への反感を跳ね返せなかった」 個人的に嫌われてるって分かってるんだったら、選挙に出て無駄金使うなよ。それだって公費じゃねえか、と、やっぱり「やってみなけりゃ分からないじゃないか」で人工島だのオリンピックだのとぶち上げてきた単細胞はようやく退陣したのであった。 大衆レベルの政治家ばかりの国で、「議論」が果たして成立するのかってところから始めないといけなくなってるんじゃないかね。「世論調査」ってのは社会学的には意義のあることだけれど、一般人の政治論の判断材料として考慮するのは控えた方がいいのである。
今日は朝からかなり強い雨。 本当はしげ。と太宰府の九州国立博物館まで「開館一周年記念特別展 『海の神々』 ~捧げられた宝物~」を見に行く予定だったのだが、例によって例のごとく、またしげ。が渋りだした。 しげ。はもともと、博物館や美術館の類にはたいして興味を持っていないので、自主映画撮影のロケをダシにして、むりやり連れ出すつもりだったのだが、それも雨天のせいでオシャカになった。 いったん、出かけるのを中止しようかとも思ったが、今回は“海の正倉院”沖ノ島の遺物が展示されるということで、ひとりで見に行くことにする。 それでも雨が上がる昼まで待ったんだけどねー。しげ。結局、てこでも動かないのであった。 「大橋までは送ってあげるよ」というありがたいお言葉を頂いて、西鉄大橋駅へ。途中、雨に降られることもなく、無事、太宰府に到着する。
以下、簡単に展覧会の内容と、感想などを。
「1章 海から生まれた神」 > 海人(アマ)あるいは海部(アマベ)と呼ばれた古代の海の民は、海に住む神霊を祭っていました。『古事記』・『日本書紀』(記紀)では、黄泉の国からもどったイザナギがミソギをした時にワタツミ(綿津見)神とツツノヲノ命が海から出現したといいます。ワタツミノ神は海人族の阿曇氏の氏神であり、ツツノヲノ命は住吉神とも呼ばれ、航海の守護神でもありました。
住吉神社の総本山は大阪だけれども、歴史は福岡の方が古い。 博多古地図が展示してあって、住吉神社が昔は海に面していたことが分かる。住吉神は記紀における「ツツノヲ三神」のことだが、この「ツツ」は「津々」のことではないかという説がある。 本来は「筒」の字を当てているから、これは「舟」の暗喩であり、海を女性に見立てれば当然これは「男性器」の象徴でもあろう。 沖の宗像三神が女性なら、港の住吉三神は男性だと考えるのが自然で、ここにも古代人の性の大らかさが表れていると思うのである。
「2章 海上の守り神」 > 海の民の中からは航海を生業とする人々も現れました。記紀では宗像三女神が航海の守護神として生まれました。海上交通の要衝にある沖ノ島や厳島は、島そのものを航海の神として祀られています。また灯台のように目印となる山も信仰の対象になりました。金比羅神はその代表でしょう。また、近世には宝船の絵とともに七福神が流行ります。恵比寿は鯛を抱えた姿で親しまれる漁業の神、弁財天も水辺に祀られ、ともに福運の神と崇められています。
「エビス」はもともと「異界の神」で、それが福をもたらすというのは、まさに「カーゴ・カルト(積荷信仰)」だ。 「海から来た神々」にはやっぱり渡来人のイメージがあったんだろう。というか、日本人のルーツはやはり海の彼方にあって、いわばかつての故郷を神格化し、憧憬を表したたものが全国の恵比寿信仰になったんだと思う。
「3章 海神の伝説」 > 伝説でよく知られているお話しが、浦島太郎と海幸彦・山幸彦の物語でしょう。記紀によれば、ヒコホホデミノ命(山幸彦)がシオヅツノ翁の助けによって海神の宮へ赴き、海神の娘トヨタマ姫と結婚します。そこで釣針と糸や塩満瓊と塩涸瓊を手に入れて、兄のホスソリノ命(海幸彦)を降伏させたのです。シオツツノ翁はツツノヲノ命と同じ神と考えられ、神功皇后の伝説でもツツノヲノ命が助力しています。
浦島太郎の本名は「住吉浦嶋子(スミノエノウラシマノコ)」。住吉神と同じものと考えてよい。 彼を龍宮に案内するのは亀だが、もともとの伝説では亀は乙姫そのものだった。 山幸彦を発見するのは海神の宮の乙女たち、神功皇后を朝鮮に誘うのは、妹のソラツノヒメノミコト。 「ソラツヒメ」は「虚空津比売」と書き、天空と海を繋ぐ壮大な名前を持っている。しかもその姿は裸形。「女」の原型的イメージがここにあると考えるのは穿ちすぎだろうか。 そもそも、渡海に「女性」が必要だったのはなぜなのだろう? 天孫ニニギノミコトの道案内はサルタヒコだが、彼に渡りをつけたのは日本最古のストリッパー、アメノウズメだ。ヤマトタケルノミコトは、海を渡る際に、妻のオトタチバナヒメを犠牲にしてしまっている。 海は全ての生命の源であり、女の腹から生まれない命はない。そういう思想が、女性を海女とし巫女とした進行に結びついていったのか……と想像する。
「4章 外来の神」 > 媽祖(まそ)とは、中国の沿海民から絶大な信仰を集める航海の女神です。航海中はその神像を必ず同伴して供養し、航海安全を祈りました。九州でもかつて中国人貿易商たちの活動が活発だった地域に媽祖像が伝来し、今も篤く信仰されています。
媽祖は時代的には十世紀ごろに実在した女性ということだが、海難を予言したというから、やはり巫女的な存在だったのだろう。「媽祖」という漢字にも「母なる女」のイメージがある。 人間はすべからく、最後は母に帰るものなのだろう。魂のルフラン♪(笑)
「5章 海の彼方のユートピア」 > 沖縄をはじめ南島では、海の彼方にやすらぎに満ちた楽土(ニライカナイ)があり、そこは祖先の原郷という信仰があります。沖縄ではこのニライカナイの神が、海を渡ってやってきて豊穣をもたらすと考えられています。この信仰は太平洋の島々に広がってもいます。
海神信仰の原点は沖縄に残っている。 ニライカナイは日本人の原風景でもあるんだろう。いつかはそこに帰ることを夢見る、日本人の「約束の地」なのである。
帰宅して、ドラマ『氷点』を見るが、石原さとみの大根役者ぶりに呆れる。 この人、今のうちに鍛えておかないと、使いものにならないぞ。
2004年11月26日(金) みんなみうらじゅんが大好き/DVD『マダムと泥棒』/『トップをねらえ2!』1巻 2002年11月26日(火) 再爆走②/広げなくても広がるリング/『低俗霊DAYDREAM』4巻(奥瀬サキ・目黒三吉) 2001年11月26日(月) そろそろこの日記タイトルにも飽きてきてるんだけど/『社会派くんがゆく!』(唐沢俊一・村崎百郎)ほか 2000年11月26日(日) オタアミが出て来た日/第3回オタクアミーゴス・IN・九州
日記の表紙へ|昨日の日記|明日の日記
☆劇団メンバー日記リンク☆
藤原敬之(ふじわら・けいし)
|