無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2006年11月10日(金) 『イッセー尾形のつくり方2006in博多』ワークショップ」二日目/博多弁・ア・ゴーゴー!

 ワークショップ二日目。

 仕事を定時に引き上げて、電車に飛び乗る。
 地下鉄への乗り換えは、昨日もそうだったが、駆け込み乗車だ。
 そうしないと、6時の開始時間に間に合わない。
 要項には「遅刻OK」と書いてあるが、そう書かれてあると、「絶対に遅刻なんかしてやるもんか」という気になる。
 天邪鬼なことだが、気分はまさに「生徒」になっているということだ。世の学校関係者も、「遅刻? 好きにすれば?」と生徒に言ってみたらいかがか。それで誰も来ない教室で先生が泣くことになっても私は知らんが。

勢い勇んでイムズ会議室に到着したが、森田さんはまだ来られていなかったので、拍子抜け。
それどころか、集まっている参加者もまだ五、六人である。
パイプ椅子にちょこなんと座っているしげ。に聞くと、昼間は演劇学校の生徒が大挙して来ていたとか。「若い子がいるとやりにくい」とか言ってるが、昼の部から来たかったなー、と真剣に思う(笑)。

 昨日はイムズホールの方で、肩慣らし的に、「自分の両親を演じる」「夫婦喧嘩の気まずい雰囲気を出す」「自分と反対の人を演じる」「自分が無視したい人」「くつろいだ部屋の中に闖入してくる人」などを演じさせられた。
 基本的に脚本のない即興芝居だから、「演じる」ことはシロウトには難しい。
 そこで、「身近な他人のイメージ」を借りる。それはいいのだが、本番で客の中にその演じた知り合いがいないことを切に願ってしまう。どうしてもその人のエキセントリックなところを真似してしまうからね。

 いや、厳密には「イメージを借りる」というのは「真似する」のとも違うだろう。
 実際にその人が語ったことをそのまま口にするわけではない。森田さんは、「イメージが借りられれば、言葉は自然にどんどん出てくる」と仰る。実際にそのモデルの人が喋った言葉ではなく、「その人ならこう喋るだろう」という言葉が紡ぎ出されていくのだ。
 私が「これが自分だ」と思っている「自分」もまた、仮構された一つのキャラクターに過ぎない。逆に言えば、「私って口ベタだから」とのたまう方は、「口ベタな自分」をイメージしているから喋れなくなっているのだとも言える。
喋れる人をイメージすれば、人は喋れるようになるのである。

 イッセーさんは今日はイムズホールで本番の舞台があるので、今日は来られない。
 五分遅れでやって来られた森田さん、また新しい人が参加しているので、心がまえのようなことを仰る。
 「内容のあることを喋ろうとするでしょ? そうすると途端に言葉が出なくなるよね。でも好き勝手に喋ってる人の喋りってのは内容なんてないの。世の中、内容のあることのほうが大切だって風潮があるじゃない? そうじゃなくて、内容のないことの方がずっといいんだって芝居を作ろうかって思ってるの」

 「内容のない芝居」というのは、「無意味な芝居」という意味ではないのだろう。
 内容なんてないのに、何か面白い。シロウトばかりなのに、なぜか目が離せない。予測不可能の舞台。そういうものが目指せればいいのかもと思う。

 最初は「夫婦喧嘩」。これがうまく乗っていかない。それで「学校の先生」を演じてみる。その口調のイメージを持ったままで、夫にすり変えていく。
 「かなり高級なことをしてるからね」と仰る通り、「イメージのスライド」を即興でやるというのは「シロウト」をただの「シロウト」として捉えたのでは、とても要求できないことだろう。「シロウト」だけれども「人間なら」生きるために必要となるスベの一つ。
 そんな気がする。
 いつものことだが、練習が始まると頭が真っ白になってしまう。

 「沖縄でワークショップやったんだけど、誰も沖縄民謡のこと知らないのね。本島の人はもう風習なんかが分からなくて、(別の)島の人が知ってたりするの」
 何の話かと思ったら、「博多らしさを出していこう」ということらしい。
 具体的には「方言」を取り込んでいく練習である。

 小松政夫さんのエピソードを引いて、「あの人ね、人がもういやだと思ってることが分かんないのね。飲み屋で『もう帰るから』って言うと、『え? どこへ帰るとですか?』って言うのよ。絶対に人のことを悪く捉えようとしない。それが博多の人の特徴でしょ?」
 そんなもんだろうか、と思うが、そのあと即座に「そういうことにしようよ」と仰ったので、一同大爆笑。これで雰囲気が出できた。順番に「博多の人」を演じ始めたのだが、みな自分の嫌いな人や鬱陶しい人を演じているのに、どこか「愛敬のある人」に見えてしまう。
 私も、職場の苦手な同僚を何人か真似してみたが、森田さん、即座に「優しそうでしょ?」と仰る。

 博多弁で、「夫婦喧嘩」をしてみる。
 「方言のね。ニュアンスを捉えていこうと。言葉は何言ってるのかわかんないんだけどさ、ニュアンスは伝わるのよ。それは博多の人が演じて、博多の人が見るから通じる空気。そういう物を出していこうと」
 会話の中で、「よかろうもん」や「すかーん」が飛び交う。ワークショップには他県の人たちも何人か混じっているが、やはりそういう人たちにはこの「ニュアンス」がうまく出せない。ただ怒鳴っているだけ、真似ているだけで、博多人の微妙な感情が伝わってこないのが如実に分かる。
 なるほど、これが「血」ということかと感心していると、森田さんがまさしく「これが『血』なのね」と仰った。
 「人を見る目がある人」というのは、こんなにも的確で凄いものなのか。


 睡眠不足のはずなのに、眠気が吹っ飛んだ三時間が終わる。
 外は雨。地下鉄を使わなければならなくなったしげ。が、露骨に「バス代の方が安いのに」という顔をするのが可笑しい。

 明日は昼から、6時間。昼から参加できるのが嬉しい。

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