無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2004年07月23日(金) 『キャンディ・キャンディ』が“今のところ”リメイクされない理由

 昨日よりは少し体調もよくなったものの、相変わらずの炎天下、まる一日仕事を続ける気力は出ず、半日で早退。しげに迎えに来てもらう。
 しげは病院帰りで、例の障害者申請を行ったばかりだとか。
 「どんな特典が付くのかなあ、楽しみ〜」としげははしゃいでいるが、「特典」って言うのか、そういうの。ネット時代のありがたいところは、この手の情報についても、いちいち専門書を紐解かなくてもだいたいのことはつかめることである。調べてみて、初めて精神障害者(統合失調症患者)に、1級から3級までの段階があることを知った。1級の方がクラスが高い。問題はしげの症状がどの程度か、ということなのだが、このあたりの判断が難しい。

〔1級〕
 精神障害が日常生活の用を弁ずることを不能ならしめる程度のもの。この日常生活の用を弁ずることを不能ならしめる程度とは、他人の援助を受けなければ、ほとんど自分の用を弁ずることができない程度のものである。
 例えば、入院患者においては、院内での生活に常時援助を必要とする。在宅患者においては、医療機関等への外出を自発的にできず、付き添いが必要である。家庭生活においても、適切な食事を用意したり、後片付けなどの家事や身辺の清潔保持も自発的には行えず、常時援助を必要とする。
 親しい人との交流も乏しく引きこもりがちである。自発性が著しく乏しい。自発的な発言が少なく発言内容が不適切であったり不明瞭であったりする。日常生活において行動のテンポが他の人のペースと大きく隔たってしまう。些細な出来事で、病状の再燃や悪化を来たしやすい。金銭管理は困難である。日常生活の中でその場に適さない行動をとってしまいがちである。


 これは完全な「ヒキコモリ」状態の人を言うのだろう。と考えれば、明らかにしげは1級ではない。自分で外を出歩くことはできるし、常時付添いを必要ともしていない。けれど、部屋の片付けなんかをなかなか自発的にはできないから、ここの領域にちょっと踏みこんでいる面はある。

〔2級〕
 精神障害の状態が、日常生活が著しい制限を受けるか、又は日常生活に著しい制限を加えることを必要とする程度のものである。この日常生活が著しい制限を受けるか、又は日常生活に著しい制限を加えることを必要とする程度とは、必ずしも他人の助けを借りる必要はないが、日常生活は困難な程度のものである。
 例えば、付き添われなくても自ら外出できるものの、ストレスがかかる状況が生じた場合に対処することが困難である。医療機関等に行くなどの習慣化された外出はできる。また、デイケアや援産施設、小規模作業所などに参加することができる。食事をバランス良く用意するなどの家事をこなすために、助言や援助を必要とする。清潔保持が自発的かつ適切にはできない。社会的な対人交流は乏しいが引きこもりは顕著ではない。自発的な行動に困難がある。日常生活の中での発言が適切にできないことがある。行動のテンポが他の人と隔たってしまうことがある。ストレスが大きいと病状の再燃や悪化を来たしやすい。金銭管理ができない場合がある。社会生活の中でその場に適さない行動をとってしまうことがある。

〔3級〕
 精神障害の状態が、日常生活又は社会生活に制限を受けるか、日常生活又は社会生活に制限を加えることを必要とする程度のものである。
 例えば、一人で外出できるが、過大なストレスがかかる状況が生じた場合に対処が困難である。デイケアや授産施設、小規模作業所などに参加する者、あるいは保護的配慮のある事業所で、雇用契約による一般就労をしている者も含まれる。日常的な家事をこなすことはできるが、状況や手順が変化したりすると困難が生じてくることもある。清潔保持は困難が少ない。対人交流は乏しくない。引きこもりがちではない。自発的な行動や、社会生活の中で発言が適切にできないことがある。行動のテンポはほぼ他の人に合わせることができる。普通のストレスでは症状の再燃や悪化が起きにくい。金銭管理は概ねできる。社会生活の中で不適切な行動をとってしまうことは少ない。


 ……また、めたらやったら基準が細かいねえ(゚o゚)。
 しげの場合、だいたい、この2級と3級のどちらか、という感じだ。
 日常的な家事は殆どできない、というところが顕著なわけで、そこを考慮すれば2級かなって感じだが、金銭管理にうるさいことを考えると3級かなあ、とも思う。この1級の差で受けられる「支援」(「特典」ではない。当たり前である)はと言うと、そこんとこの詳しいところはよくわからなかった。1級、2級だと、生活保護の対象になるようだが。少なくともバスや電車の運賃や、電話料金なんかは安くなりそうである。毎月の医療費が安くなるのは一番ありがたい。
 映画料金が割り引きになるかどうかはその映画館次第だと思う(^_^;)。


 食事は「庄屋」で。昼間なのでランチがある。唐揚げにほうれん草のお浸し、肉じゃががそれぞれ小鉢になっていて、カロリー的にもまあまあ。それに肉じゃがとかは、しげがピンハネしてくれるので、食い過ぎになることもない。外食を「庄屋」だけですませられれば、カロリー計算はあまりしなくてすむのだが。
 「積文館」に寄って、本を何冊か購入、「レッドキャベツ」で水を汲む。「どうせカメの水やろ」としげは膨れっ面で車の中から出て来ない。いや、人間サマもちゃんと水は飲んでますがね。
 カメの野郎はエサの食い方が汚くて、せっかく小粒のエサを撒いてやっても、いっぺんに二つも三つも食おうとして食いきれず、ボロボロと口の端からこぼしている。おかげで水の汚れが激しくて、三日にいっぺんは水を換えないとすぐ濁ってしまうのだ。今、レッドキャベツのボトルは1.5リットル入りを四本使っているのだが、この分だともう一本増やさないといけないかもしれない。
 ……なんだかまた、しげから「カメごときに」と文句つけられそうだなあ。


 いかにもリメイクが作られてもおかしくない大ヒットマンガでありながら、未だに実現していない作品の筆頭に『キャンディ・キャンディ』を挙げる人は多いと思う。若い人にはピンと来なかろうが、『ベルサイユのばら』には「とても付いて行けない」と拒絶反応を示した男の子でも、『キャンディ』にはハマッた、という人、意外に多いのである。それは『キャンディ』が、『嵐が丘』だの『家なき子』だの『君の名は』だの、古今東西のロマン小説の典型を換骨奪胎し、大河ロマンとも言うべき雄大なスケールの中で、少女の成長を繊細に描いていった、その構成力に拠るところが大きい。
 ……いや、当然私も持っておりますとも、「愛蔵版」で(^_^;)。
 ご承知の方も多いと思われるが、『キャンディ』のリメイク、あるいはアニメの再放送が行われないのには、著作権に関わるある事件が介在している。それは、『キャンディ』の作画を担当したいがらしゆみこ氏が、原作者の水木杏子氏の許諾を得ないまま、キャンディの絵を使ったポストカードやプリントクラブ、文具など、もろもろの商品販売の二次使用を許可し、「果たしてマンガの原作者には絵の著作権が存在するのか?」という点を巡って裁判で係争することになったあの事件のことである。1998年から始まったこの裁判は、地裁、高裁判決を経て、結局、いがらし氏が敗訴することとなった。
 しかし、この件が尾を引いて、現在、東映アニメの再放送権が契約切れのため更新されていないばかりか、原作マンガも今は出版停止の状態である。このままの状態が続けば、やがて「『キャンディ・キャンディ』? それお菓子のマンガ?」なんておもしろくもない勘違いを言い出す若い人だって、いずれは現れるかもしれない。
 絵に関してのみの二次使用なら、原作者に著作権はない、としたいがらし氏の主張はいかにも苦しかったが、それを堂々と押し進めていったあたり、「うまい話」をいがらし氏に吹きこんだゴロツキがいたんじゃないか、って気はする。けれど、仮にそんな人物がいたとしても、話し合いの過程で事情は明白になっていったと思われるから、結局、裁判に持ちこまれても争うことを辞さなかったいがらし氏は、やはり「そういう人」だったのだろうと判断せざるを得ない。マンガ家が、自分のマンガを大事にしていないのは何とも哀しい限りである。
 「金に釣られた」いがらし氏へのしっぺ返しはさらに波紋を呼んでいる。一昨日21日には、東京高裁で、この一連の事件のせいでキャラクター商品を販売できなくなったとして、埼玉県の玩具メーカーがいがらしゆみこ氏と著作権管理会社への損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決があった。原告の主張はほぼ認められて、高裁は、約170万円の支払いをいがらし氏たちに命じた。
 判決理由として述べられたのは、「被告のいがらし氏には、原作者と被告との間に、別の訴訟が係争中だったことをメーカーに知らせる信義則上の義務があった」ということである。「義務」とは言っても「信義」の問題である。要するに「原作者に一言、『今度こんなグッズが出るのに許可出したいんだけど、どう?』と言っとけばよかった」ということである。たったそれだけのことを怠ったために、『キャンディ』の再放送は途絶えてしまったし、リメイクの話も宙に浮いてしまった。結局、いがらし氏は、自分の手で自分の作品をアニメ化することすら困難にしてしまったのである。
 もちろん、一番被害に会ったのは、「ファン」である。『キャンディ』は、少女を主人公にしたマンガとしては、それまでにないロマンに満ちたドラマとして、数々の少女小説の傑作、『赤毛のアン』や『ハイジ』、『あしながおじさん』ほかの名作に比肩、あるいは凌駕する内容を持っていたと思う。それを、作画担当の人間のこすっからい「欲」のせいで、我々の手から『キャンディ』は奪い去られてしまったのである。その罪の重さを、いがらし氏はどれだけ感じているのだろうか。
 ほとんどの裁判が結審、あるいは和解し終わっている現在、再出版、再放送、リメイクの道は開かれているはずであるが、一度「ケチ」の付いた企画に乗ってくる出版社、アニメプロダクション、スポンサーは少ないかもしれない。実際、『おジャ魔女どれみ』シリーズの終了のあと、どうして東映アニメが『明日のナージャ』という、見るからに“キャンディもどき”な作品を世に送ったのか、ということを考えると、『キャンディ』リメイクは現実味の乏しい話かとも思えてくるのである。
 ……まさかなあ、差別問題にも引っかかってない作品が出版、放送すらされない事態になるとはなあ、ちょっと信じられない話だけれども、実際そういう事態になってしまっているのだよなあ。『キャンディ』を未読の若い人、もし読みたかったら、古本屋巡りをしてごらんなさい。まだ多分、入手できないこともないと思うから。


 読んだ本。
 マンガ、筒井康隆『筒井康隆漫画全集』。
 吉崎観音『ケロロ軍曹』6〜8巻。
 田中保左奈『暗号名(コードネーム)はBF(ベイビーフェイス)』2巻。

2003年07月23日(水) 神ならぬ身なれば/映画『不連続殺人事件』/DVD『レトロスペクティヴ シティボーイズライブ! 1992−1994』
2002年07月23日(火) 夫婦ファイト!/『コリア驚いた! 韓国から見たニッポン』(李元馥)/『ロングテイル オブ バロン』(柊あおい)ほか
2001年07月23日(月) 猛暑に耐えるくらいならクーラー病の方がいい/『(週)少年アカツカ』(赤塚不二夫)ほか



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