無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2003年05月13日(火) すっ飛ばし日記/リズムな男の死

 しげがいつの間にかパソコンを新しくしている。
 こないだから「パソコンが故障したよう、ネットにつながらないよう」と泣いていたのだが、業を煮やして思いきって買っちゃったらしい。小金溜めこんでやがったな、こいつ。
 でも新しいのを接続したのに、またぞろこいつがネットにつながらない。仕方がないので、しげは今、私のパソコンを使っているのである。
 こういうとき、私は何の手伝いも出来ないのでひたすら無力感を感じるのみである。やっぱりもちっとパソコンの基礎知識くらいは入れとかないといけないよなあ。


 翻訳家の井上一夫氏が、昨12日、肝硬変のため死去。享年80。
 訃報はいずれもイアン・フレミング『OO7』シリーズやエド・マクベイン『87分署』シリーズの翻訳家として紹介しているが、その遺作が何だったか、書かれているものを見かけない。作家や役者についてし、そういった記述は詳しいが、翻訳家については配慮が行き届いていないように思える。
 記録を調べてみると、その翻訳をほぼ一手に引き受けていた『87分署』シリーズは、1997年の『ノクターン』を最後に、山本博氏にバトンタッチされている。このころから体調を崩されたのだろうか、この時点で既に74歳だから仕方ないとは言えるのだが。
 翻訳小説を読んで、「この訳者の文章はうまい!」と唸さらせるような経験は滅多にない。もともと文法体系の違う言語を訳すのだから、ある程度は不自然な面が残るのは仕方がないにしても、意味不明の文章を羅列されてはたまらない。以前も書いたことのある井上勇氏の訳などは最悪であった。
 私が「この人の訳なら」と信頼できたのは、清水俊二氏や長島良三氏など数少ない。それは誤訳が少ないという基準での判断ではなく、「日本語としてこなれているか」「文にリズムがあるか」という点にあった。そしてそれは井上氏の訳にも強く感じたことである。ともかく井上氏の文章は美しかった。

 一例を挙げる。
 ジェイムズ・ハドリー・チェイス『ミス・ブランディッシの蘭』(創元推理文庫)の冒頭部分(ついでだけど、このタイトルの訳も省略が利いている。本来は『ミス・ブランディッシに蘭は捧げず』。ちなみに映画化された時のタイトルは『黒い骰子』(1948)、『傷だらけの挽歌』(1971)である。) 

> ことの起こりは夏の朝、七月のある朝のことだった。朝日はもやの間から、早くも顔を出していて、舗道にじっとり置いた露は、すでにかすかな湯気を立てている。町の空気は、すえたようにそよとも動かない。激しい暑さ、日照り続きの青空、なまぬるい誇りっぽい風――まったく七月というのは、やりきれん月だ。
> 眠りこんだサム爺さんをパッカードに残して、ベイリーはミニーの食堂に入っていった。ベイリーは機嫌が悪かった。まえの晩に深酒をしたあげくのこの暑さでは、気分は少しもよくならない。舌はざらざらするし、目はごろごろする。
> はいってみると、食堂には客はひとりもいなかった。まだ早いし、女が床掃除をすませたばかりのところだった。掃きよせたごみをまたいではいると、ぷんとくる料理と汗の匂いに、ちょっと鼻の頭にしわをよせる。
> カウンターに寄りかかっていた金髪の女が、ピアノの鍵盤みたいな歯を見せて、にっと笑った。そばに行くまで、そいつは映画女優みたいなしなを作って待っている。そのうちに、熱がさめてしまったのか、くせの強い黄色の髪のカールをたたいて伸ばしながら、薄いドレスをすかして大きな胸をベイリーのほうにふり立てる。
> 「眠れなかったんでしょう?」女はいった。「まったく、すごい暑さね……」
> ベイリーは女に苦い顔をしてみせると、スコッチ・ウィスキーを注文した。女はカウンターの上にびんをぱたんと置くと、グラスを押してよこした。
> 「坊や、うまくやったんでしょう?」女は軽口をたたいた。「きのうの晩、無理しちゃったんでしょう? 顔を見れば、わかるわよ」
> ベイリーはぴんとグラスをとると、テーブルへ移って尻をすえた。じっとおもしろそうに見つめている金髪を見かえす。
> 「何かすることがあるんだろう。おれのことはほっといてくれ」

 「ことの起こりは(7音)夏の朝(5音)、七月の(5音)ある朝の(5音)ことだった(5音)。朝日はもやの(7音)間から(5音)、早くも顔を(7音)出していて(5音)、舗道にじっとり(7音)置いた露は(6音)、すでにかすかな(7音)湯気を立てている(8音)。」
 七五調を基調に、音を漸層的に重ねながら畳みかけるようなリズムを作り出していることがおわかりいただけようか。
 これがもともとの日本語ではなく、翻訳文なのだから恐れ入る。部分的には意訳も行われているのではないか。

 これだけでは納得いかない方のために、もう一例。
 パット・マガーの『探偵を探せ!』(創元推理文庫)の冒頭である(ちなみに、本作の原タイトルは“Catch me if you can”。最近も同じタイトルが映画に使われたねえ)。これは、『蘭』ほどに七五調に拘ってはいないが、別の意味で短い音の組み合わせが単なる情景描写以上の効果を生み出している。 

> 九月末のその夜、魚網荘の二階正面の寝室を窓からのぞいたら、胸打たれるような家庭的な光景が目に映っただろう。暖炉にちょろちょろ燃える薪の薄明かりで、旧式な四柱式大寝台に横たわっているフィリップ・ウェザビーと、そばの小さな揺り椅子に腰をおろしているその妻の姿が見えたに違いない。よくよく見れば、フィリップの頬が紅潮して息苦しそうなところから彼が病気だということはわかったろう。それにしても、見る人間が男だったら、チクリと羨望の念を禁じえない――その女の心配そうなまなざし、ときどき夫の額に汗ばんで垂れかかる髪をかき上げてやるやさしい手つき、「眠るのよフィル、眠りなさい」と呟く彼女の胸の底から出る歌うような調子がうらやましくなるのだ。

 擬音の使い方もうまいが、単語の選定も自然。元の単語は分らないないけれども、「まなざし」「かき上げてやる」「やさしい手つき」という言葉を、「視線」「かき上げる」「手の動き」などと置き換えてみれば、効果の違いは歴然だろう。語り手の「うらやましくなる」感覚がより読者に伝わるのがどちらか。
 翻訳ってのはこうじゃないとね。

 最後に、代表作、『OO7』シリーズの第一作、『カジノ・ロワイヤル』(創元推理文庫)の冒頭をご紹介。

> 午前三時、カジノの匂いと煙と汗は吐き気がするくらいだ。やがて、はげしい賭けからくる――食欲と不安と神経の緊張のあかみたいなものがたまってできた、魂のただれのようなものに耐えられなくなり、五感が目をさましてそれに反発する。
> ジェームズ・ボンドは、急に自分が疲れているのに気がついた。ボンドはいつも、心身の限界を心得ていて、それによって行動しているのだった。そのおかげで、うっかり気をぬいたり、勘が鈍くなったりするような、へまの種になるようなことからまぬかれていられるのだった。

 40年も昔の訳文だけれど、なんとみずみずしいことか。
 でも、ちょっとだけ気になるのは、創元版のボンドの名前の表記は「ジェームズ」なのに、ハヤカワ版の時は「ジェイムズ」と、なぜか書き分けられていること。もしかして有名な話なのかもしれないが、寡聞にして私はその理由を知らない。それぞれの出版社の意向に沿ったためかもしれないけれど、同じ訳者で表記が違うというのは何となく収まりの悪いことである。今回の訃報に関してもそこまで突っ込んで書かれているものはなかった。
 『ミステリマガジン』で追悼特集でも組まれれば書かれるかもしれないけれど、こういうちょっとしたことでも、気にかけてくれる人がいてほしいものなんだけれど。


 うちの中にゴミ袋が溜まり始めている。出るたびに捨てにいけばいいのだが、私もしげもすぐに忘れてしまうのである。いや、私の場合は単なるど忘れであるが、しげは、「ゴミ捨てられない病」なのである。
 「だって、人に見られたら、『あいつ。ゴミ捨ててやがるぜ』って思われるし」
 思わん思わん。仮に思ったとしても、それがどうだというのか。
 これも視線恐怖症の一種なんだろうな。
 ……でも、このたまってるゴミ、ホントにどうしましょ。

 久しぶりにナマでアニメ『キノの旅』を見る。もう五話まで進んでるのか。話は線路の上の三人の男、働かなくてもいい国、多数決の国、どれも原作では皮肉の利いている話で、これを組み合わせたのはなかなか慧眼。
 録画し損なってた分は、鍋屋さんにダビングしてもらっているのだけれど、なかなか見る機会がない。リアルタイムで見るやつを優先させると、どうしても録画分が後回しになってしまうのである。鍋屋さん、申し訳ない。


 CSヒストリー・チャンネルで『バイオグラフィー・サタデーナイトライブ』前編。「バイオグラフィー」シリーズが個人ではなく番組を特集するのは珍しいが、それだけSNLがアメリカの文化に定着しているということなのだろう。
 これまでいったい何十人、何百人の人間がこの番組に関わったかは分らないが、その全員にインタビューすることは1時間番組前後編ではとてもムリである。ジョン・ベルーシの初公開のカメリハなど貴重な映像もあったが、勢い、どこか説明不足で隔靴掻痒、という印象になってしまうことは否めない。
 それでもチェヴィー・チェイスの結婚による降板劇について、プロデューサーのローン・マイケルズが「今でも彼とは変わらない友達さ」と屈託なく語っているのに対して、当のチェイスが沈鬱な表情で「やはり、何かが変わったよ」と呟いていたのには胸を打たれた。
 しげの好きなダン・エイクロイドはインタビューなし。過去の映像がちょっと流れただけなのは残念だった。

2002年05月13日(月) アッパレパソコン大合戦/『アニメージュ』6月号ほか
2001年05月13日(日) 愛の嵐/DVD『BLOOD THE LAST VAMPIRE』コンプリートボックス



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