無責任賛歌
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2003年02月08日(土) |
敬三の乗る船/映画『シミキンの無敵競輪王』/『ワンピース』27巻(尾田栄一郎) |
スペースシャトル・コロンビア号の空中分解事故の後追いニュース、段々矮小かしてきている。 米連邦大陪審が5日、コロンビアの地上に落下した破片を盗んだとして、窃盗罪でテキサス州東部の住民2人を起訴したとの報。 「記念」に取っておくつもりだったのか、どこぞで売りさばくつもりだったのか、事情は明かされてないが、どうせ世間の「良識派」の人たちは「人が死んだというのに、なんという不謹慎な」と怒るんだろうね。 もちろんそれは「正論」であるし、別にそういった意見自体に反駁するつもりは全くないのだが、ただ誰がどの口でそれを言うかな、とは思うんである。 みなさん相変わらず「冥福」祈りまくってますけどねー、祈ってるだけなんだよねー。チャレンジャー事故のときもみんな祈りまくってたけれど、それで何かが変わったかね。「祈り」ってのは自分で考えることを放棄してる行為でしょ? 「自分以外の誰か」に頼ってるだけだよね? イヤな言い方になるけどさ、祈ってることで事故について考えることをやめちゃう人がほとんどだったんじゃないの? 伊丹十三が『お葬式』を作ったときに言ってたけどさ、「葬式」って、死者を悼むためのものじゃなくて、集まった人たちの人間関係を再構成するためのものだってんだね。それは実感するよ。死者について泣くことだって、結局はその人の存在を過去に押し流すための作用なの。 ここで、安易に祈るだけの人を私が批判しようと思ってるわけじゃないってことはちょっと強調しておきたいね。だって、実際、シロウトは祈って忘れることしかできないでしょ? NASAに今後の改善について建設的な意見が言えるわけでもなし。ただ、こないだも書いたことだけどさ、それは事態を傍観するしかないってことだから、ヤクザに絡まれてるねーちゃんを助けないってことなんだってことは自覚しとこうよってことなの。 野次馬根性と対岸の火事を決めこむことしかできない人間ばかりだってのに、誰に今回の犯人を「盗人」と非難できるのかね。 いやね、こんなどーでもいいことまで(多分こっそり破片を拾ったやつなんてもっとたくさんいるはずである)ニュースにしてるマスコミ自体、今回の事故をどんどん風化させていくことに大きな一役を買ってるんだよ。所詮は他人事のスタンスなのよ。 でもさ、破片が人体に及ぼす悪影響も懸念されてるってことだからさ、いっそのこと、未知の病気が流行するようにでもなれば面白いと思うけどね。そうなったら、他人事ではすませられなくなるよねえ。祈ってる余裕なんてなくなるよねえ。日本人の「祈り」の正体なんて、その程度のものなんだよ。
朝からCS日本映画専門チャンネルで『シミキンの無敵競輪王』。 もう「シミキン」が誰かってことから説明しないとわかんない時代になってるんだよなあ。と言っても、私も知識として知ってるだけで、実際に映画に出てるのを見たのはこれが初めてだ。 清水金一、というのがフルの芸名。浅草オペラの清水金太郎、続いて柳田貞一の門下となり、戦前から喜劇役者として活躍した。エノケンは兄弟子にあたり、映画での共演もいくつかありはするが、後、森川信の「ピエル・ボーイズ」に参加した後、古川緑波の「笑の王国」に加わる。戦後は主に堺駿二と組んで(すぐに喧嘩別れしたらしいが)30本以上の映画に出演、子供たちのアイドルとなった。 全盛期の人気は、エノケン・ロッパを凌ぐほどだったらしいが、1950年代に入ると人気は下降。本人の性格の悪さも祟ってか、晩年は不遇だったようだ。昭和41(1966)年死去。 『無敵競輪王』は1950年の制作、堺駿二とのコンビを解消した直後で、シミキン最後の主演映画。柳家金語楼・渡辺篤・小林十九二・三木のり平・朝霧鏡子が共演。脚力だけが自慢の貧乏学生が競輪選手として成功するまでを描いた、そう面白くもない喜劇。シミキンという人はタレ目で面長、茫洋とした表情の人だが口跡はハッキリしている。今見るといかにも善人っぽくはあるが、そう体技にキレがあるわけでもなく、どうして爆発的人気を誇っていたのか、この一本だけでは判断できない。 脚力のあるところを示すギャグが随所に出てくるのだが、輪タク(自転車で引く人力車。これも戦後の風物である)を引いたまま電車に追いついたりとか、工場の足漕ぎ式の蓄電器が爆発したりとか、そしてクライマックスの競輪シーンもそうなんだが、全て特撮などによるゴマカシだからまるで説得力がない。どちらかというとワキの役者の方に目が行く。 柳家金語楼は東宝映画の伝統のような調子のいい社長役を好演しているし、渡辺篤もこのころは後の黒澤映画出演時の飄々とした味わいとは違って、インケンで尖がってる役を軽快な動きで演じている。三木のり平はこのころからタイコモチっぽい(^o^)。『午後の遺言状』のボケた演技もすばらしい朝霧鏡子の娘時代のかわいらしい姿も見られた。 あと、タイトルバックが杉浦幸雄のマンガ。これが金語楼などはよく似ているのだが、肝心のシミキンが似ていない。辛辣な諷刺画で知られた杉浦さんにしてはちょっと手抜きの似顔絵であった。
映画に行こうと思っていたのだが、体調が優れず中止。 いつもは私にくっつきたがって離れたがらないしげが、朝から私を何となく邪険にして「今日は出掛けんとね」なんて憎まれ口を叩く。 「出かけなきゃいかんのかね」と言い返したら「邪魔やん」とミもフタもない返答をされる。 どうしてだろうと思っていたら、鴉丸嬢が来るとのこと。 「……何しに?」 「チョコ作りに」 そのコトバを聞いた途端、戦慄が私の背中を走った。 いや、そんな大袈裟な話ではないのだが。
話は、一週間ほど前に遡る(おお、何だか司馬遼みたいな展開! ……どこがや)。 外から帰ってきたしげが何やら銀色に光る怪しいものを「抱えて」いる。 よく見るとそれは金ダライ。ちょうどドリフのコントでいかりや長介の頭に落ちてくるような、やや平べったい感じのアレである。 「何だよ、それ」 「見てわからん? タライ」 「タライは分るよ! 何に使うのかって聞いてんだよ」 普通、こんな質問は愚問である。タライと言えば、赤ん坊やペットを洗ってやるとか、洗濯に使うとか、用途は限られている。 けれど、うちには赤ん坊も動物もいないし、ましてや、あの電気洗濯機すら使いこなせない無精者のしげが、タライで洗濯しようなどと考えるはずもない。 だからこそ、しげ with TARAIという姿が異様に見えたのだが、一拍置いて答えたしげの言葉を聞いて、私は耳を疑った。 「バレンタインチョコの型だよ」 「……はああ!?」 ちなみに、そのタライの直径は48センチ。深さも5、6センチはあろうか。これを型にチョコを作るって……いったいどれだけの量のチョコが必要になるのだろうか。 いや、量の問題ではない。 「……おまえ、本気でそれでチョコ作るん?」 「いかんと?」 「いかんって……モノには限度ってものがあるやろ。やめとけよ」 もちろん、一度暴走し始めたしげが、私の言うことなど聞くはずもないことはわかっちゃいたのだが……。
てなことがあったのが1月31日のこと。 私もタライのことはすっかり忘れていたのだが、やっぱり本気でタライチョコを作る気なのだ。 私も私生活の中でバカな冗談を言うのは好きである。バカなプレゼントをして、相手がちょっと困ったような顔を見るのも楽しかったりする(←悪趣味)。 しかし、しげのは「冗談」でそんなモノを作るのではない。 しげはマジなのだ。 そもそも一昨年、直径30センチくらいのバスケットボール大の球形チョコを作った頃からしげは壊れていったのだが(もともと壊れているという説もあるが)、よしゃあいいのにそれを「挑戦」と受け取った其ノ他くんが、見事に食べ切ってしまったおかげで、しげは自分の行為が「正しい」と思いこんでしまったのだ。 しげは既にこれを「プレゼント」だとは思っていない。「真剣勝負」である。其ノ他くんがハッと気がついたときには遅過ぎた。しげの作るチョコは毎年「エスカレート」していく。そしてもう、後には引けないところまで追いつめられてしまっているのだ。ここで「もう結構ですから……」なんてことを言い出そうものなら、しげはショックでいつまでもいつまでも泣き続け、そのあと心に誓うだろう。 「コ・ノ・ウ・ラ・ミ・ハ・ラ・サ・デ・オ・ク・ベ・キ・カ」 そして其ノ他くんのウチの前に、毎年2月14日になると、中にたっぷりチョコを埋め込んだ呪いの藁チョコ人形が置かれ続けることになるのだ。
昼前にやってきた鴉丸嬢、私の暗い表情とは裏腹に、嬉々として、チョコをいかに壊さずに作るかのレクチャーをしげにしている。自分の彼氏が苦しめられるハメになるというのに、何を喜んでいるのか。 「いいじゃん、面白いから」 とけらけら笑っているが、この子もしげが「本気」だということがまるでわかっていないのだ。
チョコ造りの合間に、鴉丸嬢、本棚を何気なく見て、『蟹工船』のビデオを見つける。 「何? この『カニエぶね』って。蟹江敬三が乗ってるの?」 そう言って大笑い。 バカだバカだと思っていたけどこんなにバカだとはなあ。思わず「オレ、40年生きてきて、『蟹工船』を『かにえぶね』って読んだやつ、初めて見たよ」とイヤミを言う。 悪い子じゃないんだが、自分の無知を全く恥じないところが鴉丸嬢の人間としての成長を妨げてる気がしてならない。知識がないことは恥でもなんでもないが、無知を咎められて何も反省しないのは無知よりもずっと罪悪である。 鴉丸嬢、中島らものファンだったらしく、らもさんの逮捕を嘆いている。その気持ちは分るんだが、「大麻くらい、いいじゃない」と不穏なことまで口走るのはどうもねえ(^_^;)。そのうちどこかで舌禍事件を起こすんじゃないかと、それも心配である。もっとも、私もつい口が滑っちゃうことってやたらと多いんで、あまり人のことは言えないんだけど。
しげ、鴉丸嬢を送って行ったので、晩飯は博多駅まで出張ってラーメンを食う。そう、博多で一番不味い餃子を食わせるアノ店である。 なんでそんな無謀なマネを、と言われそうだが、そんなのただの気まぐれであって理由なんてない。強いて言えば、急に思いっきり安い食いもんが食いたくなったってだけのことである。もっともそれはラーメンだけのつもりで、餃子まで食う気はなかったのだが、これも天のイタズラか、ラーメンだけ頼んだつもりが、セットで餃子も付いてきた……(゚゚)。 相変わらず皮はベトベト、中の具は生煮えと、食えたシロモノではない。けど食い残すわけにはいかないので、吐き気を抑えて食う。そこまでして食わんでもいいように思うが、ともかく私は食いものを残すことくらい嫌いなことはないので、仕方がないのだ。で、食えばともかく食えるものである。 しかし、定連でこの餃子食ってるやつもいるのかなあ。いったいどういう味覚してるのか、一度聞いてみたいんだが、ムリな話だしなあ。 誰か福岡在住者で、「そんなに不味いならいっちょ俺が食ったろか」ってバ……いや、アドベンチャラーはおられないだろうか。率直な観想をいただきたいものである。
マンガ、尾田栄一郎『ONE PIECE ワンピース』巻二十七(集英社/ジャンプコミックス・410円)。 スカイピア編に入ってから、以前にも増して、ずぇ〜ん、ずぇん、面白くなくなってるって感じてるの、私だけですか。 キャラクターもドラマ展開も前に出て来たパターンの二番煎じ、三番煎じだし、何よりルフィたちがここに何のためにいるのかがハッキリしないままお話が進んでいる。読んでるこちらは何か事件が起こっても、「ふ〜ん、それで?」ってな気分なのである。 ラストでメンバーがバラけちゃうのも、「もうやめてくれ」って言いたくなるくらい、ジャンプマンガで繰り返されてきたことだ。こんな陳腐なドラマになっちゃっても修正する気配すらないのは、尾田さん、もう余裕なくなってるんじゃないか。 早いとこ、最終シリーズに行っちゃおうよ。本人は「100巻越すネタがある」と『オモ!』で豪語してたけど、それ錯覚だから。もう才能は尽きちゃってるから、次の連載、今から考えとこうよってば。(2003.3.9)
2002年02月08日(金) サルでもわかる『ハリポタ』/『パワーパフガールズ』2巻(クレイグ・マクラッケン原作)ほか 2001年02月08日(木) ザッツ・エンタテインメント!/2000年度キネマ旬報ベスト・テン
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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