無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年07月18日(木) 芸能界の宿便/『名探偵コナン』38巻(青山剛昌)ほか

 野村沙知代が浅香光代と渡部絵美を相手取って、名誉毀損の民事訴訟を起こしたとか。
 ハズしてねえよなあ、と感心しながら笑っちゃったのだけれど、これは野村沙知代が自分のキャラをハズしてないということであって、世間的には今更またサッチーミッチーかと、どうにも困ってるんじゃないかと思う。
 何しろ、これを報道しているスポニチの記事からして、サッチーの肩書きは「元タレント」である。アレがタレントだったかどうかも疑問だけど、「元」だぜオイ。そうまでして肩書きをつけなきゃならんのかと思うが、ニュースの送り手としても困ってるんだろうな。
 はっきり言っちゃえば野村沙知代なんて、もう終わっちゃってるのだ。というか、終わらせたいのよね、世間はもう。なのにまた出てくる。しかも以前と全く変わらないキャラで。これはもう、「困ったねえ」としか言えないのではないか。さっきからほかの表現がないかと考えてるんだがあとは「参った」くらいしかない。いや、降参したわけじゃないからやっぱり「困った」だね。うーん、困った(~ー~;)。
 昔はみんな、サッチーに対して本気で怒ってたんだろうと思うのだ。彼女が嫌われ始めた始まりが何だったかはもう忘れたが、経歴詐称疑惑だのなんだのあったよね。個人的には豊島園かどこかのCMで水着になったとき、あの人絶対誰かに刺されるぞと思ったが、意外に世間は寛容であった。もっとも、あんなのと刺し違えて人生棒に振るバカもそうそういまいが。
 問題はそこなのである。
 誰もがサッチーを悪役の象徴として見てはいたが、さて、ではアレが悪人として大物であったかというとそこまでは言えない。RPGでアレがラスボスだったら、倒す前にそのゲーム買わないと思う。倒してカタルシス覚えるかって言ったら、覚えないね。まず、ゲームに費やした数時間が人生の無駄であったと実感するだけだろう。
 要するに、アレって「クソババア」の粋を一歩も踏み出ちゃいないのだ。あんなのの講演会になぜかオバサン連中が集まってたってのも、ババアんとこにババアが群れてたってことなんで、不思議でも何でもない。傍若無人で自分が正義、他人を蹴り倒してトンズラこくババアはそのへんにだってゴマンといるし、多分、今、コギャルとか呼ばれてるバカオンナどもも数年後にはそうなる。で、残念ながらこいつらは法律では取り締まれない(-_-;)。手を出せば傷つくのは自分のほうだということもよーく解ってる。
 だから、サッチー、ミッチーの争いは、視聴者にとっては渡りに船だったわけだ。毒をもって毒を制す(^o^)。スポニチの記事、浅香光代の肩書きも「タレント」だったぞ。無知ではあるが、サッチーと同列にしか見られてないってのも事実だ。ネコの首に鈴をつけるのを別のネコにしてもらった感じか。
 最終的に脱税というコツブな罪で起訴。っつーか、元々たいした悪人じゃないんだから、これが限度だろう。それでも世間はホッとした。溜飲が下がるというより、「やっと終われる」感が強かったのではないか。
 マスコミもつい悪ノリしすぎていたのだ。
 時代は常に悪役を必要とする。現実に巨悪というか、ほんまもんの悪役はホレ、おソトを見回せばいくらでもいるのだが、ホンモノに噛みつくのは怖いからできない。だからサッチーだのムネオだの、コツブで叩きやすいキャラを用意して妥協する。ビフテキが食えないから吉野家の牛丼でガマンするようなもんか。
 でもそんなのって、言ってみればただの虫抑えだしね〜、長持ちゃしないしさせるわけにもいかないのよ。なのに腸のどこかに宿便みたいに残ってたものだから、早いとこ流したかったんだよねえ、マスコミは特に。
 けど、流しきれなかった(^_^;)。おかげで屁が臭い臭い。祭り上げたマスコミもすっかり持て余して、その臭い屁にやられているのだ。で、私ゃそのマスコミの「困った」ぶりを見て「いい気味だ」と思ってるのである。どーでもいー悪人を仕立て上げて、もっと責めなきゃならない悪人を見逃してきたツケがちょっとだけ回ってきてるのだ。少しは困って屁を嗅いでろや。


 昼、同僚たちと季節外れの慰労会。
 近所の寿司屋から出前を頼むが、久しぶりに食う回転でない寿司はやっぱり美味い。
 2500円のワリにネタが小さい気はしたが、まあ、それは言いっこなしか。


 今日もしげ、ハラを壊して迎えに来ない。
 どうしてこうもしげがハラを壊すかと言うと、太っているからである。
 近年、しげの体型は著しく紡錘形をなしつつあり(ディバインですな)、当然のことながら、ハラの部分が最も外気の影響を受けやすくなっている。
 シャツはハラとの摩擦によって徐々に薄くなり、そこへ風が当たるものだから、しげのカラダの中で最も体温が低くなるのがハラなのである。
 寝ているときは更に顕著で、布団との摩擦でシャツは容易に捲れあがり、鏡モチ三段がさねのハラが毎晩お供えされることになる。
 これでハラを壊さなかったらウソだ(^_^;)。ハラ巻き買えや。
 そんなアホしげであるが、ほっとくわけにもいかないので、コンビニでファイブミニほかハラ薬を買って帰る。なんか親切しすぎって感じ?


 なんだかもー、書きたくもないニュースがまた一つ。
 女優の戸川京子さんが亡くなった。しかも自殺。
 夕刊見たときにはお姉さんの戸川純の間違いじゃないかと思ったが、間違いなく妹さんの方だ。理由は分らないけれど、発作的なものじゃないのかなあ。あの姉さんをほっといて先に逝くってのがとても信じられない。
 特別、ファンだったってわけでもない。何のドラマに出てたかと思い出そうとしても、こないだ見た『ケンちゃん』シリーズ再放送に子役で出てたなあ、ってくらいのもので。ああ、最近では『ガラスの仮面』の紫のバラの人の秘書さん。原作じゃ超美人なんだけど、戸川さんだと少しキャラが弱くなってないかとかシツレイなこと思ってたなあ。お姉さんと違って、個性的な役は似合わない人だったような印象なのである。
 なのに、やっぱりショックを禁じえないのは、伊藤俊人さん、ナンシー関さんに次いで、戸川京子さんまでって印象があるからだろう。30代後半、40歳になったばかりでの死なのに、あまり夭折って感じがしない。みんな、どちらかというと、人生にくたびれて、何かふっと心に穴が空いた瞬間に死が襲って来たって感じなんだよ。
 私も自殺を考えない日はない。これは本当で、子供のときからの習慣みたいなものである。いろいろカラダにケガだの病気だの持ってると、これは自然なことなんで、あまり深刻に取られても困るのだが、それでもこうして生きているのは、生きてる人との絆がどうかってことより、「生きてる理由もないけど死ぬ理由もないしなあ」といういささか消極的な理由だったりする。交差点なんかで、「ここで一歩踏み出したら車にはねられて死ぬなあ」とは思うけれど、それを思いとどまっているのは、死ぬのが怖いってことより、周囲やあとに残ったものたちに「事件」を提供してやるのがばかばかしかったりするからだ。私ゃ自分の人生の意味をいちいち他人に云々されたかないからね。私の人生のモットーは「できるだけ意味のない人生」だから、人知れず死んでくのがいいです。「あれ、あの人って生きてるっけ死んでるっけ」。そう思われるのが理想なんだよね。
 こういういい加減な生き方してるほうがかえって死なないものなんであるよ(^_^;)。
 戸川さん、もしかしたら一生懸命生きてきて、なんかふと「人生の意味」なんてこと考えちゃったのではないか。もしそう考えさせるきっかけが、お姉さんの存在だったりしたら悲しすぎるんだけれど。今は戸川純さんがあと追いなんかしないことを祈るばかりだ。


 テレビで『サトラレ』を初めて見るが、展開はほとんどオリジナルみたいね。
 設定さえあれば原作どんな風に改変してもいいっていう傲慢さが表れてるみたいで幻滅。神田うの、何の役なんだ。
 これ見てるのって、本当に原作ファン? オダギリジョーファンは見てんだろうけど。


 マンガ、青山剛昌『名探偵コナン』38巻(小学館/少年サンデーコミックス・410円)。
 なぜか表紙のコナンのコスプレはスタン・ハンセン。本編でプロレスが題材になってるからだろうけど、ハンセン知らない人にはイカレたカウボーイにしか見えないんじゃないかね。
 さて、もう毎回ツッコミしてくれと言わんばかりの『コナン』なんだけれど、今巻もどこから突っ込んだらいいものか(^^)。
 でもねー、最近はもう、『コナン』に関しては読んでも感想書かないですましちゃおうか、という気もしてきているんである。いやね、この日記読んでる人で、本気で立腹してるコナンファンがいて、クレームが凄くって……というのはウソで、もう毎回書くことが同じになっちゃってるからなんだよね。一応、ミステリのマナーに則ってトリックを具体的に書かないようにして批評してるんだけど、それだとおおざっぱな感想しか書けないから、変化のつけようがないんだよ。
 概ね「動機が弱い」とか「トリックがちゃっちい」とか「トリックが物理的に不可能」とかで、要するに「幼稚」ってこと。
 そんなに貶すんなら、読まなきゃいいじゃないかと言われそうなんだけれども、「幼稚」ではあっても、「卑怯」じゃないから読むわけですよ。青山さんが新本格などに毒されていない、昔ながらのミステリファンだってのは、巻末の「名探偵図鑑」に取り上げられている探偵たちのほとんどが、1950年代までのミステリ黄金期に発表された作品に登場しているものからチョイスされていることからもわかる。「犯人はあの人だ!」でヒキを行うのも、エラリー・クイーンの「読者への挑戦状」の故智に倣ったものと受け取れる。青山さんのミステリ作家としての創作態度がフェアであることは間違いないのだ。

 問題はねえ、挑戦状を送られたってさあ、「どうせ適当な動機で適当なトリックで適当な犯人なんだろ?」って結末が予測されちゃってマジメに受け取る気になれないってことなんだよねえ。
 えーっと、まんしょんのいっしつから、だいじなだいじなかけじくがなくなりました。それまでそのへやのおばあさんが、おひなさまのひなだんにさわっていました。さて、かけじくはどこにかくされていたでしょう?
 ……このトリックを見抜けない読者がいると思いますか? 私ゃもう、見抜きたくもないです。青山さんが読者を小学生のみに限定しているのならともかく、いくら何でも幼稚過ぎる、という批判が出てもしかたがないよ、これじゃ。だいたい、こんなの、警察がすぐに見つけちゃうからコナンの出番なんてないって。
 周囲の人間をみんなバカにして、一人だけ名探偵に仕立てるなんて、一番安易な方法だ。いっぺん純正なコナンファンに聞いてみたいんだけれども(私の周囲にいるコナンファンはたいていただのアホなんで参考にならん)、ミステリとしてあれを評価してるのかね? まあ『探偵学園Q』よりマシだってことは認めるけどね。

 黒の組織とはまた接点が切れちゃいましたねー、これでもう50巻だって60巻だって行っちゃいそうな気配ですね〜。サンデーの連載の中では最長不等距離を達成しそうですかね。まだ『おそ松くん』は抜いてないと思うよね?(誰に聞いてるんだ)
 ちょっと笑ったのは、雛壇の事件のときに、少年探偵団の連中にコナンが、「どうして大人相手に喋るときだけ声のトーンや口調が幼くなっちゃうんですか?」「不気味だぞおまえ」と突っ込まれているところ。
 作者が意識してるかどうかは知らないが、これ、アニメ版の高山みなみ批判になってるぞ(^_^;)。本人がこのエピソードのアニメ化のときにどう感じるか、聞いてみたいもんだ。

 裏表紙折り返しの名探偵図鑑、もうネタが尽きてきたのか、「黒門町の伝七」。
 いきなり「『よよよい、よよよい、よよよいよい、めでてえな!』と二本締めで事件解決を祝う」とか書いてるけど、それ、テレビだけの設定で原作にはないんだってば。イラストも中村梅之助の似顔絵だし。
 こういういい加減なこと書かれると、青山さんのミステリファンぶりも底が浅いよなあって感じしちゃうよね。まあ、「原作は陣出達朗でなくて捕物作家クラブ」って書いてるところはよく知ってたなあって思ったけど。


 マンガ、青山剛昌原案・平良隆久プロット・阿部ゆたか・丸伝次郎まんが『名探偵コナン特別編』15巻(小学館/てんとう虫コミックス・410円)。
 一応こちらは完全に子供向けだろうから、トリックがチャチでも文句はつけないよ。モノによっては本編より出来いいのもあるし。
 ただ、子供向けなら子供向けとして、殺人の表現と動機などの扱い方にはもちっと気をつけてほしいようにも思うけれど、あまりそのことを強調すると、モラルでがんじがらめにしちゃうことにもなりかねないから、あまり言わないでおこう。
 あとは特別編らしく、もう少しゲストをうまく使ってほしいってとこかな。新一の父ちゃんや小五郎の奥さん、せっかく出したのにあまり目立ってなかったぞ。

2001年07月18日(水) 夏到来! ……って暑いだけだって/『夢の温度』(南Q太)ほか



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