無責任賛歌
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2002年05月28日(火) |
素敵なあなた(はあと)/CD『ぼういず伝説』/『コメットさん☆』DVDBOX2ほか |
風邪が全然治らない。 しげが「クーラーかけて寝てるからだよ」と言うが、寒気は全くないのだ。熱もない。 ただただ咳が止まらずノドが痛くて、鼻が詰まって息ができず、頭痛が頭を横殴りするように響いて、そして腹を下して血便が出ている。 なんだかこのまま死んじゃった方が楽なんじゃないかと思えるくらいに気分も鬱になる。 それでも今日はなんとか仕事に行こうと、着替えまではしたのだ。 けれど、立ちあがって2、3歩歩いて、猛烈な目眩に襲われた。 そのまま椅子に座りこむ。こりゃダメだ、と判断してまた職場に欠勤の電話を入れる。 上司から「いい加減で体調を整えないと」と言われるが、定期的にメンテにゃ出してますよ。オーバーワークがメンテに追いつかないんですってば(-_-;)。
坊屋三郎さんが25日、心不全のため死去。享年92。 名優、清川虹子さんを追いかけるような死だった。 これで「あきれたぼういず」のメンバーは第1次、第2次、第3次含めても全て鬼籍に入ったことになる。 しかし、新聞記事にも「あきれたぼういず」メンバーと書いてあるが、もうどれだけの人が「あきれたぼういず」のことを覚えているのだろうか。例の「クイントリックス」のCMですら、1974年、もう30年近く昔のことなのである。 だいたい坊屋さんのことを「コメディアン」と呼ぶこと自体、本当はおかしい。「あきれたぼういず」はボードヴィルチームである。肩書きをつけるなら「ボードヴィリアン」が至当だろう。こういうことに記者が拘らなくなっているのも、現代ではボードヴィルショーが絶滅してしまっている悲しい事実を証明している。 ったって、私だって、「ぼういず」の歴史は生まれる前のことで、母から話に聞いてただけのことだ。「自分が見聞きしたことのないものは語るな」と言う小林信彦の言に従えば何も言えないことになるが、それでも世の中には奇特な方々がいて、「あきれたぼういず」のCDなんつーものを出してくれてたりするのである。 この『ぼういず伝説』を聞く限り、彼らをして、まさしく日本のマルクス・ブラザーズであったと呼称しても決して誉めすぎにはなるまい。戦前の収録だと言うのに、一曲に詰め込んだギャグのこの膨大さはなんということか! しかもただただナンセンス、よくも検閲だらけの戦前にこれだけパラノイアな録音が許可されたものだと感嘆する(実際はこれでも相当、発売禁止になったものも多いらしい)。どれだけ狂ってるかはぜひとも現物に当たって頂きたいものである。
けれど、今やその「ぼういず」のメンバー自体を書き記さなければ、ワケがわからない。と言っても私だってCDの解説を引用せねば殆ど書けやしないのであるが。 稀代のボードビリアン川田義雄(晴久)、坊屋三郎と弟の芝利英(モーリス・シュバリエのもじり)、益田喜頓(バスター・キートンのもじり)の4人が第1時ぼういずで、昭和12年の結成。彼らは関西の吉本興行の、東京進出の看板だった。 しかしわずか2年後の昭和14年、新興キネマが川田以外の三人を引きぬき、山茶花究と組ませて第2次ぼういずを結成する。 旗揚げのとき、彼らはマルクスブラザーズに扮したそうだが、グルーチョが芝利英、ハーポが坊屋三郎、チコが山茶花究。じゃあ益田喜頓はゼッポかと言うと、「馬」だったそうな(^o^)。 戦時中は敵性語禁止のために名称を「新興快速舞隊」に変更して活動したが、18年、芝利英が応召(後、戦死)したため活動停止。しかし戦後の22年、残る三人でカムバック、26年の解散まで活動した。母が記憶しているのはこのころの「ぼういず」だったろう。 川田は「ぼういず」の顔だったが、そういう事情で在籍していたのはわずか2年でしかない。しかし、後に「川田義雄とミルク・ブラザーズ(後に川田晴久とダイナ・ブラザース)」を結成。このグループのテーマソングが有名な『地球の上に朝が来る』であるが、『ぼういず伝説』にはボーナストラックとして、この曲も収録されている。
坊屋さんはもともとオペラの松本芳能里の弟子で、本物のオペレッタをこなしたこともあるという。 なのに「ぼういず」の『四文オペラ』ではその美声を聞かせるどころか東北ナマリで「オペラはお寺ではないのでありますぞヨ」なんて言っている。驚くのはその早口と声真似の域の広さだ。ポパイとブルートとベティ・ブープを一人で演じ分けるなんてトンデモナイことを既にデビュー曲の『4人の突撃兵』の中で披露している。 ぼういずの中では正統派の川田、芝のボーカルの合間にチャチャを入れるように高瀬実乗の声真似なんかしているが、もちろん実力がなければできることではない。 『嘘くらべ』の一節、坊屋さんのボーカル部分も相当狂っている。 「風は北風ポンプじゃダメだよ、氷の柱で火の手を包み、包んだ火の手をチョイと丸め、ウーウーウーウー、火事の団子か氷の団子かお団子団子で火事団子」……歌詞を読めばまあ、何を言ってるのか分らなくはないのだが、耳で聞いてると早口過ぎて何が何やら解らない。 四人が四人とも、この調子で捲くし立てるものだから、聞く者はただただその勢いに巻きこまれるしかないのだ。……ライブで見られたら本当にすごかったろうなあ。 晩年、大林信彦映画の常連になったけれども、随分もったいない使われ方をしていたように思う。もうちょっとギャグの見せ場を作ってあげてもよかったんじゃなかろうか。歌のシーンも。
伊藤俊人さん追悼でまたまたビデオ『君となら(再演)』を見返す。 伊藤さんは主役の斉藤由貴にかつてフラレた床屋の職人の役。 芝居全体の中では小さな役だけれど、嘘に嘘が重なった末に、最後にカタストロフを迎えるきっかけを作る役でもある。三谷幸喜さん、東京サンシャインボーイズを解散した後も、劇団の役者をオイシイ所に使っているのだ。ギャグも効いている。 ……ほんの5年前の姿だ。 このとき35歳のはずだけれど、20代に見える。演技が若いのだ。 惜しみても余りある。
DVDBOX『コメットさん☆』、鼻ミズ垂らしながら後半43話まで全て見る。 うーん、やっぱり王子様の正体はケースケにしておくのがセオリーだったよなあ、と通して見ると改めて思う。というか、そういう伏線を張ってたんだから、そうしないと視聴者の期待を裏切る形になるって考えなかったのかなあ、脚本のおけやさん。初めから王子様はケースケともシュンとも別人にするつもりだったって、ホント? それにしちゃ辻褄が合ってないし、何のためにそうしたのか効果が分らない。王子様とコメットを「結ばせない」ための手段なのか? 「ケースケの過去は謎」とカゲビトに調べさせてるんだから、「別に謎でもなんでもなかった」ってのはただの詐欺じゃん。やっぱり、打ち切りが決まったための混乱が設定にも変化を与えちゃったって気がするなあ。
しげがパソコンの前でいきなりけたたましく笑い出したので、何ごとかと思ったら、AIQのエロの冒険者さんのサイトを覗いていたのだった。 「はははははは!(しげはホントにこんなふうにけたたましく笑う。多分、頭のネジが半分くらいネジ切れてるのだ)」 「エロさん、なんかおもしろいこと書いてるの?」 「違うと。エロさん、サイト名変えたんよ」 「……なんて?」 「……見てん」 で、見てみた。 昨日までは『元祖エロ倶楽部』と書かれていたその部分には……。
「素敵なあなた」
ぶはははははは! いや、笑っちゃいかんのかもしらんが、笑ったのは事実だから仕方がない。 何を思ってエロさんがサイト名をこんなふうに変えちゃったのかは分らないけれど、エロさんが飛ばしてきたここしばらくのギャグの中で最大最高のものであることは断言できる。 トップページに「アンドリュース・シスターズの同名曲から取ったものです」と注意書きがあるが、そんな言い訳、このタイトルとナマズの写真のミスマッチで吹っ飛んでしまう。 なんだか私ゃ、エロさんがタキシード着て、フランスの高級レストランかどこかでギャルソンやってて、「いらっしゃいませ、素敵なあなた」とお客さんのレディーに手を差し伸べてる様子を想像しちゃったんだが、シツレイな想像だろうか。 いや、ホントにウケたんですって。笑いすぎてクシャミまで出ました(そりゃ風邪が悪化してんだ)。
2001年05月28日(月) 才能がないなんて言い訳だ/DVD『チャーリーズ・エンジェル』
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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