無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年05月24日(金) カニの味がわからない/『かしましハウス』7巻(秋月りす)/『焼きたて!! ジャぱん』2巻(橋口たかし)

 24日、女優の清川虹子さんが肺出欠で死去。享年89。
 記事にはどれも「喜劇女優」と書いてあって、もちろんそれは清川さんにとって名誉なことではあるんだろうけど、私はもう清川さんの「喜劇」の演技ってのを殆ど覚えてない。喜劇俳優の常で、清川さんもトシ取ったら「演技派」に転向してったからね。
 映画での一番最後の演技は多分『ガメラ3』なんだろうけど、あれも全然喜劇じゃなかった(見方によっては喜劇とゆー指摘はこの際ナシね)。
 ただ、私は喜劇俳優が「演技派」に転向するのが長い目で見て必ずしもいいことだとは思えないのだ。下積みが長いから、演技の基礎は普通の役者よりよっぽどできているし、ソツなくこなせちゃうんだけど、そのせいでかつての「喜劇役者」としての質が問われなくなることも多いからだ。
 森繁久彌の代表作が『三等重役』でなくて『夫婦善哉』や舞台の『屋根の上のバイオリン弾き』になってしまうというのは、結局は「喜劇」そのものが普通の芝居、映画に比べて一等低いものと見られることにつながっていきかねない。
 ましてや、喜劇役者が「政治」に参加しようなどというのは自分というものを全く履き違えてはいないか。十年以上前、清川さんが年金党の顔として立候補した時、「ああ、この人は何も考えてない」と落胆したものだった。当然のごとくこのとき清川さんは落選している。存在自体が「滑稽」になってしまっては、もはや喜劇役者としては死んだも同然だ。
 言っちゃなんだが清川さん、どんなに顔出ししてても、実質的にはもう何十年も「忘れられた」存在ではなかっただろうか。もっとハッキリ言えば、清川さんでなければならない役なんて一つも演じていないのである。『楢山節考』では何の役だったんだ、清川さん。
 清川さんを正当に評価しようと思えば、代表作といわれる『アジャパー天国』あたりを見なければならないだろうけど、残念ながら未見。DVDは出てるから欲しいんだけど、このあたりの映画を買ってたらもうキリがないので買い控えてる。


 風邪、最悪の状況になるも、仕事は休めず。
 咳やクシャミはひっきりなしに出るわ、鼻水は止まらないわ、これでマトモな仕事ができたら立派なもんだ。
 風呂にも入らずヒゲも剃らず、という状況で職場に行ったら、さすがに同僚たちから「お具合悪いんですか?」と言われる。
 具合が悪いのは今週ずっとなんだけれど、やっぱり態度で示さないとわかんないものなのだな。
 ハナミズで息ができないから喋りがどうしても「この゛件についでば、の゛うしばしょうか」みたいな感じになる。まんまマンガのキャラだ。
 ここまでくるともうひたすら帰って寝たい、としか思わない。
 体調がいいときには決して仕事に対して意欲のない人間じゃないとは思うんだけど、たかが風邪一つでこんなに世の中に対してどーでもいー気分になるものなのか。
 だからと言って結びつけるのはちょっとムチャなんだが、私は「安楽死」には基本的には反対の立場だったりする。
 「苦しいからもう殺してくれ」って言うのは裏を返せば「苦しくなかったら死にたくない」ってことだから、「死」を望んでるとは言えないからだ。本当にその人が「助からない」と断言するのって難しいと思うんだけどどうか。 


 女性の年齢を本人に面と向かって問うことはシツレイに当たる、というのが一応、「世間一般の常識」ってことになってるらしい。
 私自身はこの常識というヤツが今一つ理解しがたくて、「女性のトシ聞くののどこが悪いのか?」と内心考えたりしている。別段、私ゃ相手が若かろうが年寄りだろうが、それで対応を変えたりはしないし。
 でもそれは「私」の場合なんであって、女性を年齢で品定めするアホな男ドモが、世の中にはウヨウヨしてるってこともわかっちゃいるのだ。合コンなんかでさ、相手のトシがわかんないときはベタベタチヤホヤしてたのに、自分より年上(と言っても1、2歳程度)だと知った途端に、「なんだ、オバサンじゃん」とそれまでの態度をコロッと変えてつっけんどんになっちゃう男、結構いるもんね。そんな態度取られたりしたら、そりゃ女性は傷つくだろう。女性が自分のトシを隠したがる心理も理解できなくはない。
 けれどそれは、悪いのはあくまで偏見の眼で見る男の方なんであって、それに迎合するように女性が年齢を隠したり、サバ読んだりしてちゃ、女性自らが「女の価値はトシの若さである」と認めることになりはしないか。
 年齢を堂々と言って、それで男の態度が変わるようなら、苦労せずに相手の人格のレベルが計れてちょうどいいと思うがどうか。

 なんでこんな話題を切り出したかと言うと、ウチの職場にもそんなスットコドッコイがいたりしたからだ。
 つい先日、いかにも無遠慮なセクハラバカが、やっぱり「ねえ、トシいくつ?」と同僚の女性に向かって聞いていたことがあった。そのときちょうど間近にいた私が、女性が返答に窮している様子を見て、「そういうことはあまり聞くもんじゃ……」とか助け舟を出した。
 そのことに感謝されたのかどうか知らないがその女性、今日になって、世間話している最中に、「私、昭和49年生まれなんです」と仰ったのだ。
 実際、その方がおいくつかなんて気にもかけていなかったのだが、なんとウチの女房よりも若かったとは……。
 思わずビックリして、私はとっさに叫んでいた。
 「昭和49年って……『メカゴジラの逆襲』のトシじゃないですか!」

 し、し、しまったあああ!
 私がオタクだということはできるだけ職場の同僚には隠していたのにいいいい!
 せめて「『アルプスの少女ハイジ』の年ですね」とか「『宇宙戦艦ヤマト』の年ですね」とか言ってたら、まだキズは浅かったかもしれないのに……あまり変わらんか(T∇T)。
 
 さすがに『メカゴジラ』には同僚の女性も、クスクス笑っている。あまり引いてはいない様子なのがラッキーだった。ここはなんとか話題を変えねば。
 「ちょうどそのころは山口百恵の映画に入り浸ってましたねえ、私は。『ひと夏の経験』がヒットして、『伊豆の踊子』が封切られたのが昭和49年ですよ。56年に引退するまで、ほぼ全ての百恵映画は見に行きましたねえ。何しろ友和とコンビを組んでない『初恋時代』とか『エデンの海』とかまで見に行ってましたから」
 と、ここまで喋って、ハタ、と気がつく。何となく同僚の女性、困惑しているような表情。
 え?
 ついてけないの? 話題に。
 待てよ、『伊豆の踊子』の年に生まれたってことは、この方、もしかして……。
 えええ?(゜゜;)!
 ……恐る恐る聞いてみる。
 「……すみません、もしかしたら、山口百恵って、よく知らないなんてこと……ないですよね?」
 ところが同僚の女性、申し訳なさそうに眉根を寄せて……。
 「すみません、三浦友和と結婚した人ってのは知ってるんですけれど……」
 ……うわあああ、自分の同僚に山口百恵を覚えてない世代がもう紛れこんでいたとはああああ!。

 油断していたのだ。
 しげもこの女性とほぼ同世代なのだが、しげと会話するときには、私はあまり世代のギャップを感じずにすんでいた。なんとなれば、なつかしモノの大好きなしげは、自分が生まれるより十年程度過去の歌手とかドラマなどもよく知っていて、私の振る話題にも全然平気で付いて来れていたからだ。
 しかしよくよく考えてみたら。
 今年、大学を卒業したばかりの22歳の新社会人たちは。
 昭和55年(1980)生まれだったりするんである。
 もろ戦後生まれじゃねーかよう(この場合の「戦争」とは、当然「一年戦争」である)。
 昭和40年代生まれってことで「若いなあ」なんて思ってられる時代じゃなくなってきてるのだ。平成だってもうすぐそこだ。

 ちょうどそこに通りかかったもう一人の女性の同僚の方(こちらは私より年上)に向かって、私は思わず叫んでしまっていた。
 「ねえ、聞いてくださいよ、この方、『山口百恵をよく覚えてない』なんて言うんですよ!」
 年上の同僚、一瞬絶句したあとおもむろに、
 「……私も母に聞いたことがあるだけで……」
 女性はやはり年齢に関してはいつまでもどこまでも見栄を張りたがるものなのかなあ。


 何かにつけ、しげは私にヤツアタリしてばかりいるが、今日も迎えの車の中で「アンタはいつも冷たい」とブー垂れている。
 「いつも無愛想にしか返事せんし」
 「地顔だよ、これが」
 「人のこと、『フフン』と鼻で笑ってる」
 「おまえの思い込みだ」
 「思いこみでもそう見えるんだもん」
 「だったらおまえも、目つき悪いの直せよ」
 「普通だもん、これが」
 「自分のことだけ棚に上げるな!」
 他人の欠点をあげつらう人間ほど足元が見えてないとはこのことだ。


 少しでも栄養を取っておかないと、と「かに一」で夕食。
 前回来たときはカニは食べなかったが、今日はたらふく食うことにする。
 けれど鼻は詰まってるし目眩はするしで、美味いんだかどうなんだか全く解らない。これじゃカニの食い損だと考えるのはやはり根っから私が貧乏人だからか。
 頭がボンヤリしていたので、カバンを店に忘れたことに気がつかず、ウチまで帰ってきてしまう。しげから「カバンは?」と言われるまで、手に何にも持ってないことにさして違和感も感じてなかったのだからこれは相当、重症である。
 店に戻ると幸いカバンはちゃんと店の人が取っておいてくれていたが、明日は絶対医者に行こうと決意して、あとはひたすら寝る。
 DVD『PPG』の続きを見ているうちに爆睡。


 マンガ、秋月りす『かしましハウス』7巻(竹書房/バンブー・コミックス・620円)。
 中表紙のイラスト、裏にも逆版で同じ絵が描いてあって、透かしてみるとピッタリと1ミリのズレもない。スゴイ技術だぞ印刷屋さん。
 本にこういうオアソビがあると、ホント、嬉しくなっちゃうね。
 本編の方は相変わらずの四姉妹ものだけれど、さすがに7巻経ってもみんな全くトシを取らないと、ひとみ姉さんの「ダイエットできないお嫁に行けない」ネタも鼻についてくる。……トシ取ってないんだから結婚できないの当然じゃん、とツッコミ入れたくなるね。
 『OL進化論』と違って、こちらは少しずつでもトシを取らせていったほうが物語に起伏が生まれてよかったと思うがなあ。『サザエさん』みたく何十年も続けることも想定して、時間経過をあまり厳密に描きたくなかったんだろうけど、そりゃおこがましいと言うものだ。キリよく10巻くらいで終わらせること考えた方がよかないか。
 特に巻末の『ゴローと歩けば』の出来がいいだけに、「時の流れ」が「必要」だとも思うのだ。


 マンガ、橋口たかし『焼きたて!! ジャぱん』2巻(小学館/少年サンデーコミックス・410円)。
 あー。なんかキャラクター、作りこみすぎ。
 江口寿史のトーマス兄弟みたいなライバル店の店長はまだいいとして、あの仮面の総支配人はなんなんだよ。これが実はヒロインの生き別れの兄だったりしたら笑うぞ。
 画力はあるけど相変わらずキャラクターと話造りがなんかズレてるよなあ。
 それでも「使える」料理マンガとしては一応読めはする。炊飯器でジャぱん2号、一度作って見ようかな。

2001年05月24日(木) 幻想の帝国(改)/『作画汗まみれ』(大塚康生)ほか



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