無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年02月09日(金) お姫様を探せ!/アニメ『タッチ・CROSS ROAD 風のゆくえ』ほか

 ここ二、三日、パソコンに某所から何10通ものメールが届くという変な事態が発生していた。どうやらイタズラモノがウチのメールアドレスを某所に勝手に送りつけていたらしいのだが、そういう被害が何千件もあったらしいのである。メールチェックした途端に「22件です」と表示が出て、「なんじゃこりゃあ!」と思わず叫んでしまったが、女房も何をトチ狂ったか「私じゃないもん!」と言い出す始末。当たり前だ。自分ちのパソコンにメール送りつけて喜ぶバカがどこにいる。……ホントにいたら寂しいぞ。
 昨日でどうやら事態は片付いたらしいのだが、ネットやってるとこういう被害に遭うこともあるのか。まあイタ電みたいなものかと今んとこのんびり構えちゃいる。徒らにネットそのものを犯罪の温床みたいに言うやからも多い今、慌てふためいてそういうアホな連中を喜ばせるようなまねをする必要もあるまい。

 朝6時、早めに起きると、女房がパソコンの前で恍惚としている。歓喜と疲労が同時に入り混じって固まっちゃったような……要するにイッちゃってる顔である。
 ひと月かかってようやく『花嫁はエイリアン』のデータをUPできたのが嬉しいのはわかるが、それにしても何て表情してんだ。気が抜けたときの女房の顔というのはアブナイ度75%なので、慣れない人が見たらちょっと怖いであろう。
 成果のほうは見ての通りである。しかもアレでまだ満足していない。鬼だな(^_^;)。
 しかしこれをすべてのダン作品についてやるつもりか。いったい何年かけるつもりだ。下手をするとライフ・ワーク……そのつもりなんだろうな(^o^)。

 ある本を読んでいると、ヤマトタケルについて気になる記述があったので、『風土記』『日本書紀』をあたる。
 『古事記』では「倭建命」、『日本書紀』では「日本武尊」と表記される、三船敏郎と高嶋政宏が演じたことで有名な(^o^)人物だが、歴史的にはほぼ伝説上の存在、ということになっている。日本で最初に女装した男だったりもする(^_^;)。
 いや、気になって調べたのは別に女装の歴史ではない。ヤマトタケルの妃、オトタチバナヒメ(弟橘比売)についてである。荒海にその身を投じ、海神の怒りを鎮めたとされる日本神話上最も悲劇的なヒロインであるが、実はそれ以外の事蹟については殆ど知られていない。
 ところが『常陸国風土記』にあるというんだねえ、この夫婦の仲睦まじい御幸の描写が。その本の作者は、海に沈んだはずのオトタチバナがなぜかその後もタケルと行動を共にしている、と書いていたのだが、ちょっとビックリして調べてみたところ、ホントにあった。でも名前がちょっと違う。「大橘比売」。
 さて、これを弟橘と同一人物としてみていいものかどうか。伝説上の人物の整合性を考えるのはあまり意味がないようにも思うが、あえてどちらの記述も事実とすれば、これは素直に別人と見たほうが自然ではないのか。「オトタチバナ」を失ったタケルが、名前のよく似た「オオタチバナ」に惚れた、と考えることだって出来るわけだし。『古事記』や『日本書紀』に「オオタチバナ」の名が見えないから同一人物だろう、と考えるのは実は根拠がない。女一人の名前が記録から消えることくらい、当時はザラだからだ。
 この手の我田引水は梅原猛あたりが最も得意とするところで、例えばタケルの双子の兄、オオウスノミコト(大碓命)の妻だったエヒメ(兄比売)・オトヒメ(弟比売)のうち、オトヒメが即ちオトタチバナヒメであったとし、更に海に身を投じた後は竜宮のオトヒメ(乙姫)になったという……。
 これはアレですな、為朝が琉球に渡ってキングシーサーになったとか、義経が大陸に渡ってジョン・ローンになったとか(ちょっと違うか?)いう意識が働いてそうですな。残念ながら、『日本書紀」をあたれば、オオウスの二人の妻の名がエトオコ(兄遠子)・オトトオコ(弟遠子)で、オトタチバナとは別人であることがハッキリ分るのである。自分に都合のいいデータだけ集めればどんな結論だって出せるよなあ。
 ついでに『筑前国風土記』を見てみる。福岡の「糸島」の地名、神功皇后が三韓征伐の時にこの地の人々のことを「いそし(よく働いて仕えている)」と呼んだのが「イソ」の地名となり、更になまって「イト」となった、と説明してある。
 でも変だなあ、『魏志倭人伝』には既に「怡土国」という地名が出てきてるんだがなあ。
 これ、「『博多』は『羽のかたち』をしているから『羽形』」というのと同じようなもので、あとから来歴をでっち上げた可能性が高いな。神功皇后ゆかりの地ということでハクも着くし。
 第一、三韓征伐はおろか、神功皇后の実在自体眉唾なのである。日本の天皇でほぼ実在が確実視されているのは、「倭の五王」、おそらくは神功皇后よりも6代ほどあと、雄略天皇のころにまで下らないといけない。あまり「万世一系」と威張らないほうがよいのである。

 昨日から映画に行きたい、たけしの『BROTHER』見たいと言ってたくせに、帰宅してみるとやっぱり女房はグーグー寝ている。
 「映画行かんのか〜?」
 「(布団の中から)うん」
 「『浜かつ』行かんのか〜?」
 「うん」
 ……こいつ、さては一人で昼、「浜かつ」でメシ食ってきてやがるな。ともかく寝惚けたやつの相手をしても仕方がないので、近所の商店で醤油ラーメンを買って来て、作って食べる。具は納豆フリカケのみ。質素な食事だがまあこれが普通だ。トンカツなんて贅沢モノ、しょっちゅう食うもんじゃないよ。

 CSで手塚治虫特集、『ユニコ』を放送。ああ、この映画にはいろいろ昔の切ない思い出があるなあ。まあ、それは置いといて(^o^)。
 手塚アニメに杉野昭夫キャラはやはり合わんよなあ、と苦笑しつつ見る。だって敵の男爵ってどう見ても宗方コーチ。……だから矢吹ジョーといいコブラといいブラック・ジャックといい、なんでみんな伏目になって、「フッ」と笑うんだよう。背筋にサブイボが走るぜ。アニメで宝塚を見たいわけじゃねーぞ……と悪態をつきかけてふと気づいた。手塚さん、宝塚市の出身で、宝塚の大ファンだったんじゃん。……意外と合ってるのかもなあ。
 映画としては第2作の『魔法の島へ』の方が上だと思うが、この第一作も決して悪くはない。ただ、2作目に比べるとどうしても細かいアラが目立つのである。脚本の辻真先、悪魔くんを再登場させたはいいが、さして活躍もさせないあたり、詰めが甘い。イルカの歌とナレーションは正直に言って邪魔。映画の世界に溶けこんでないし、基本的に歌が下手だと言うことを歌手本人が自覚してないのが辛い。単体で聴くとその下手さが却って味わいになっていいんだけどなあ。映画音楽にはならないんだよなあ。

 続けてこちらは新作、金曜特別ロードショーTVスペシャル『タッチ・クロスロード 風のゆくえ』見る。
 終わった作品の続編を無理矢理作るのはどんなものか、という考えは製作者のアタマの中にはカケラもないらしい。で、脚本が金春智子だもんなあ。何を期待せよというのか。
 文句言うなら見るなよと言われそうだが、見ないと批判もできんしな。初めからどうせ、という気持ちで見たら却って面白いかとも思ったんだが、甘かった(^_^;)。
 だいたいあだち充のマンガは熱血になりそうなところでサラリと外すところがよかったのである。『タッチ・背番号のないエース』(映画版第一作)で達也は和也の代わりにマウンドに立つべきではなかったのだが、映画としての完結性を求めるあまり、原作とは違う展開にしてしまった。既にあだち充の世界はそこで壊れてしまっていたのだ。
 今回の新作も既に『タッチ』ではない。達也がアメリカでマイナーリーグの選手になっていたり、南が新体操をやめてカメラマンのアシスタントになっていたり、という変化は別に構わない。問題なのは達也も南も最初から最後まで「頑張り」通しで、気が抜けるところが1ヶ所もないということだ。何でこうも余裕のないドラマを見せられにゃならんのか。脚本家自身が余裕のない生活してんじゃねえかと疑いたくなってくる。
 しかしなあ。日高のり子は南を演じるとどうしてこんなに下手かなあ。いや、日高さん自身は役者として随分うまくなったと思う。でも昔からそうだったが、南を演じるときだけ、達也を「愛する」気持ちを全く表現できていないのだ。この十年の日高さんの精進は何だったのだろう。タカヤノリコも天道あかねもしいねちゃんも大好きなのになあ。なぜ南だけ……。

 女房、今日も11時になって起きてくる。ラーメンがあると教えると、踊りながら狂喜して作って食べる。しかも「うまかっちゃん」のこくとんこつと「細打名人」の鶏がら醤油をブレンドするという、出来あがった途端、部屋中に鼻につく臭みが充満するほどの超濃い味である。……よくそんなの食えるな。私が食ったのはあっさり醤油味だと言うのに。しかも食い残してこっちに回してきやがる。……食えないくらいなら最初から作るな阿呆。
 しかもせっかく買ってきてやったザボンはひと房しか食わない。これだから栄養が偏るのだ。ビタミン取れよ。で、日光にあたれ。今でこそブクブクに太っているが、そのうち体壊して激痩せするぞ。……と言ったら「痩せれるんなら嬉しい!」とか言ったりして、却って喜んじゃうんだろうなあ、このアホンダラは。



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