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第6章 (3) 寂しい家
家には家の魂が宿る、という。とすれば、家としてのあるべき姿というものもあるだろう。そこに人が住んでいるからといって満ち足りた場所であるとは限らない。だが、何度も持ち主が変わって、結局、取り残されて建っている家は、『さみしい』というオーラを発している。私たちの多くは、空家を気味悪がる。しかし、人が来ては去り、長い時を重ねても、誰もそこに根をおろし棲みつくことのない家は、見捨てられた、「さみしがりやの家」でもある。ただ空家であるという状態を通り越して、家は不遇を嘆いているのだ。
モードの作品には、そんな家があちこちに登場する。多くは灰色をしていて、さまざまな名で形容されている家。モードは長編の主人公のほとんどに、そんな家との関わりをもたせている。
なかでも、ヒロイン自身の運命に深く絡んでくるのは、エミリーの名付けた「失望の家」(The disappointed House)。マレー一族の所有する古い夏の家で、空家となって久しい。小学校時代、エミリーは授業中に詩を読んでいるのをミス・ブラウネル先生に見つかり、皆の前で自作の詩を読み上げられ、こっぴどくあてこすられた。その詩の一篇のタイトルも、「失望の家」。幼い頃に知った一族の伝説の家は、作家の卵にとって、つきせぬ興味の的であったのだ。
「ジュエリィ」の頁でも書いたが、エミリーはこの家に感情移入しつづけ、一度は自分の結婚後の新居にと夢見る。エミリーとディーンによって美しく飾られ、忘却からよみがえった家は、やがて再び、静かに失望する。
パットの「銀の森屋敷」の近くにも、さみしがりやの家があった。パットの無二の親友、ベッツィの暮らした「長い家」(「大きい家」)である。病弱だったベッツは、幼くして急逝し、家族はつらい思い出から離れるように、引っ越してゆく。あの窓はベッツの窓なのに、もう灯りは点らない。あそこに他の人が住むなんて、と、6年後にその家を買った兄妹を恨みもするパット。だが、家のほうで住む人を選ぶのか、今度の住人もまた、パットにとって大切な友となるのだった。
複数の主人公達が交錯して進む「もつれた蜘蛛の巣」には、さみしがりやの家がふたつ登場する。50を過ぎて独り身のマーガレット・ペンハロウは、おばのものだった空家を「ささやく風荘」と呼び、『ありとあらゆる馬鹿げた甘い夢を描いていた』(/「もつれた蜘蛛の巣」・上)。兄の家族の居候として暮らす彼女は、一族の仕立て屋でもある。美しい衣装を縫う腕は認められていたが、内心は孤独で、自分の家と赤ん坊を熱望している。『哀れなマーガレットの人生をどうにか耐えられるものにしている小さな秘密』(/同)であるその家と家族を、彼女はついに手に入れ、家の嘆きも治まるのだった。
もうひとつの家、「トゥリーウーフ屋敷」には、夢くだかれた男が住んでいる。10年前、結婚式を終えて新居に到着した花嫁がその足で実家に帰ってしまうという謎の事件がおこってから、花婿となるはずだったヒュー・ペンハロウが、独りで。法律上は今も妻であるジョスリンが愛した、ふたりにとって夢の家となるはずだった美しい農場に。ふたりとも同じ村に住みながら、誰にも真相はわからなかったこの事件に、やがてハッピーエンドが訪れる。家はまさに、時間を止めてその瞬間を待ち望んでいたのだ。みずからの内側に、真実の愛情が根をおろす瞬間を。
アンの子どもたちが主人公となる「炉辺荘のアン」では、アンの双子の娘ナンが、「もの寂しい家」と名付けた廃屋に肩入れしている。その家にやってくる新しい住人、トマシン・フェア。若い頃は美人だったという。そこからまた、謎の目をした魔性の婦人が住んでいると、ロマンチックな空想に走るナン。アンの少女時代を再現したような独特の空想癖は、ナンだけの心の秘密である。あるとき、お使いで、灰色の大きな家に決死で踏み込んだナンの前に、現実のトマシン・フェアが現れ、夢は破れるのだった。
ところで、アンが新婚時代に住んだ「夢の家」は、アン自身によって救われた「さみしがりやの家」だった。以前の住人の幸せと愛の思い出に浸るこの家は、アンとギルバートの家庭でさらに暖められ、深みを増す。その後もアンの親友が夏の家として住むことになり、幸せな老後を迎える。アンの「夢の家」は、そういう意味では最も幸せな一生を送った「さみしがりやの家」といえる。
モード自身にも、うち捨てられた家への切なる想いがある。モードは、祖父の死後、唯一の家族となった祖母亡きあと、パーク・コーナーの住み慣れたわが家に住み続けることを許されなかった。当時の田舎では、いくら経済的に自立しているといっても、若い未婚女性が独りで暮らすなどということは非常識なことだったため、家は親類のものとなってしまう。婚約していたモードは、結婚までの短期間を、母方の伯母夫婦の、「二番目のわが家」と呼んだ家に身を寄せる。モードの手紙によれば、「八十年以上ともっていた」わが家のあかりが、このとき、なすすべもなく消されたのである。
所有者はあっても住み手がなく、空家となっていたかつての家のなかに、モードは一度だけ入ってみたことがある。何度目かの帰郷の際、たった独りで。それまで遠くから眺めたことはあっても、近づいたことはなかった。親しんだ木々もほとんどなくなって、わびしい影に染まった家。胸を痛めた体験は、ずっと後の午前3時にも、モードを悩ませたことだろう。
暗い階段を昇り、昔のわたしの部屋の敷居に立ちました──小さいけれど無限の広がり持っていたわたしの王国。ずっと昔、そこで何冊もの本を書いたのです。でも、中には入りません。窓は板でふさがれ、部屋の中は真っ暗。なんとなく入ってゆけなかったのです。部屋の中は亡霊たち──寄るべのない、おなかをすかせた亡霊たちでいっぱいで、中に入っていったら、わたしを仲間に引き込んでしまって、離してくれようとはしなかったことでしょう。
L・M・モンゴメリ/モンゴメリ書簡集(1)
モードは、結婚後、夫の赴任地で牧師館住まいを続けた。夫の病気による引退後、トロント近郊に得たマイホーム、「旅路の果て荘」にいたる道は、本当の意味で自分の家と呼べる場所のない生活だったのかもしれない。家庭とは、そもそもそこに住む人のつながりではあるが、家族を包む建物も、家庭の大きな支えであることにはちがいない。
「さみしがりやの家」は、結婚前に書いた第一「赤毛のアン」には登場しないが、モード自身が住みなれた家を結果的に追われ、家が朽ち、消え去ったあと、登場するようになる。見捨てられ、さみしがっている家は、モードにとって、自身の家の喪失経験とともに、やはり、幼くして父に置いていかれたという思いの象徴のように思える。
大切にされ、家族と一緒に歳を重ねて美しく永く生き続けるべき「家」と、「子ども」とを置き換えると、いっそう「家」の声は明確になってくるようである。
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