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第4章 (5) 別れの言葉
「残された者より、去る者の方が、はるかに幸福だ」
ヘイゼル叔母がよく歌っていた一節/「パットお嬢さん」
この言葉を折に触れ、かみしめている。去ってゆく者にはどんな形にしろ新しい環境が待っているが、残された者にはいつまでも寂しさがつきまとい、去っていった者を待ち受けている世界を思いながら、やがて忘れられていくのかもしれない旧い世界のなかに身を置く。モードもそのような別れを数え切れず体験したことだろう。彼女が生みだした作中人物たちは、別れぎわの言葉においても熱のほとばしりをひらめかせる。
「エミリー、約束してくれ──きみはきみ自身を──喜ばせる以外には── だれをも喜ばせるためには書かないと──約束してくれ」
カーペンター先生/「エミリーの求めるもの」
作家志望のエミリー・B・スターが、恩師カーペンター先生の死に往く際に、枕辺で交わした約束事である。狷介孤高な片田舎の老教師にとって、才能の片鱗をきらめかせるエミリーは、残してゆく世界での唯一の希望といって良かった。挫折した若い日の過ちをまだ知らない未来の種。この約束と死別を経験したことで、エミリーは大人への扉を完全にくぐることになる。
「あなたがお砂糖なら食べてしまうんだけど。わたしをいつまでも好きだって約束して──たとえ、二度と会えなくてもね。約束してよ──草が生え、水の流れる限り好きだって。さあ、約束して。」
バーバラ王女/「マリゴールドの魔法」
幼いバーバラ王女は、マリゴールドとの一期一会の別れに際して、こんな芝居がかった科白をいう。王女は英国のヴィクトリア女王の姪の子で、ロシア皇子の娘。英国に住んでいるが、おじのキャヴェンディッシュ公爵とともに島を訪れ、同じ年頃のマリゴールドと知り合う。『草が生え、─』というのは古典の引用だろうが、二度と会えないことがわかっていても、お互いに相手を思い、いつまでも好きでいようと心底から願ってする約束は、誰彼にはできない高貴さがある。相手が本物の王女であろうとなかろうと。
自伝「険しい道」にも紹介されているモード本人のエピソードでは、幼い頃連れていってもらったシャーロットタウンの街角で偶然会ったという「何でも通じ合えるのに名前だけを聞き忘れた女の子」が思いだされる。モードたちも、バーバラ王女とマリゴールドのような会話を交わしたのかもしれない。
「さよなら。姿見にいつもしあわせな顔をうつして見られるように祈ってますよ」
カッシディ神父/「可愛いエミリー」
もしも幼い女の子に、人生の山谷を越えた者が別れの励ましを伝えるとするなら、これはまったく有益な言葉である。こんな風に言われることは、ぞくぞくするようなうれしさをも呼び起こすのではないだろうか。そんな平安な人生はありえないとわかっていても、人は誰かに人生の安らかなることを願ってもらいたいものだ。
大きな平たい石には、古い昔の散文の墓碑銘がながながと刻まれていた。 そしてその下には、はっきりと一行『わたしはここにいるわ』と、刻みこまれていた。 「それでヒューの心がわかるのさ」とジミーが言った。
/「可愛いエミリー」
墓碑銘が別れの言葉かどうかは場合によるが、遺言よりなお決定的なことは確かである。この場合は、旧世界から大陸の端っこにあるプリンスエドワード島へ渡って来て根付いた夫婦の片割れ、先に逝った妻メアリの墓に、夫のヒューが刻んだ最後の言葉である。彼らの目的地はプリンスエドワード島などではなかった。しかし「わたしはここにいるわ」という妻の宣言によって、彼らは予定外の果ての島に着地し、そこに根を下ろすことになる。夫は生涯ひそかにそれが不満だった。妻のひどい船酔いのために、男一生の開拓の夢を縮めねばならなかったのだから。しかし、その船酔いと曾祖母メアリの決意によって、エミリーの一族は今こうしてこの地に栄えているのである。このエピソードは自伝的エピソードが多い「ストーリー・ガール」にも登場するが、そのままモードの一族の歴史でもあったのだった。
別れ際に交わすのが言葉だけとは限らない。ありったけの熱意を込めて、自分なりのやり方で、喜びに満ちた未来へと去ってゆくアンへのメッセージを伝えた人がいる。その新しい世界に自分の居場所はないけれど、また自分の身の上には起こらない幸せだけれど、皆に愛された敬愛するシャーリー先生、いつも自分の料理をほめてくれた下宿人の結婚を祝福しながら。
しかし、ウィンディ・ウィローズから馬車で去って行くアンが受けた最後のメッセージは、 塔の窓から狂気のように打ち振られる白い大きな湯上りタオルだった。 それを振っているのはレベッカ・デューであった。
/「アンの幸福」
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