2004年01月31日(土)
ちょびっと微熱っ子。ぽやぽやしますねぇ。昨日、GLAYの新曲が出ていたことを店頭にて初めて知ったわたし。
買って聴いたその夜にちょうどよくMステ出演。
家で聴いた時は他のことをしながらだったためか、「へぇ〜」くらいの感想しか抱かなかったのですが、Mステで歌うのを聴いたらかなり好きになりました(笑)
好きですねぇ。2番目の曲も好きだな。
最近ホントにお前ファンかよ?って感じだったんですが(笑)
というか、Mステ。初登場からのをばばーんと流した、あれ。
「Yes,Summerdays」を飛ばしちゃ嫌ですよ!(ぷんすか)
見たかった。本気でかなり期待していたのですがねぇ…しょんぼりさん。
Mステの「Yes,Summerdays」が出会いだったんですヨ。
私にとってはいまだに特別な曲です。
GLAYの曲は、何度か聴いてて、しばらく経ってふと聴いてみた瞬間に「うわ、これすごい良い曲だ」と後々になってすごく好きになることが多いです。
もちろん、一発目で「おお、好み!」と思う曲もありますけど。
なんというかなぁ…聴き込むごとに好きになる、のかな?
初めて聴いた時のわたしと、時が経ってから聴くわたし。
…それが違うからかなとも思ったり。
「好き」ってのは説明の出来ないものなんだとしみじみ思うのです。
どこが「好き」とかってのは、自分で判る部分と判らない部分もあって、わかる部分でも「どこが」と説明するのは困難だなぁと。
「ここが」ってのは判っても、それを説明しようがないというか。
「ここ」というのは自分が感じる部分で、同じものを他人が感じられない部分だから、言葉で説明しようとしても、言葉にしたら違うものになってしまう気がするな。
だから例えばGLAYでいうなら、
「どうしてGLAYが好きなの?」と訊かれても、
「GLAYだから」としか云いようがないんだなぁ。
それはGLAYに限らず。他の好きななにかにしても。
「どこが」とか「どうして」とかじゃないんだろうね。
「好き」はただそこに生まれるだけなんだろうね。
2003年01月31日(金) 形無く胸を貫くもの