ケイケイの映画日記
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テーマは人間とヒューマノイドの共存かなと思います。それは不発気味ですが、子供を亡くした夫婦の再生だと視線を変えれば、そこは悪くありません。でも良かったとも言えない作品。カンヌで不評だったのは、さもありなん。監督は是枝裕和。
建築家の音々(綾瀬はるか)と工務店を営む健介(大悟)夫妻は、二年前に息子の翔(�斌變ぬ粥砲鯔瓦�しています。その傷が癒えない時、ある会社から翔にそっくりのヒューマノイドを作り、貸与したいとの申し出ありました。契約したいと言う音々に、渋々賛同した健介。音々とは睦まじく、健介とはぎこちなく、ヒューマノイドの翔との生活が始まります。ある日、翔は、同じヒューマノイドの子供たちと出会います。
正直言うと、是枝は苦手です。苦手なので観たり観なかったり。常識的な思考が抜け落ちているのに、さもリアリティがある様に描き、私には上から目線なのが嫌なのです。この作品は後半に向けてファンタジー落しなところが、イマイチ評判が悪いようです。でも一応SFなのが私には功を奏し、リアリティの無さが幸いして、その点は違和感はなかったかな。
ただヒューマノイドの設定が、ご飯も食べられないし、お風呂もダメ。首のボタンで起動とか、25年前のスピルバーグの「AI」の頃とほぼ一緒なのは、如何なものか。もっと進化してなきゃ。母親が子供にご飯を作って食べさせられないのは、痛恨です。男の子なら、尚の事。なら、その葛藤をもっと描いて欲しい。
翔と交流するうちに、心が通い合った一瞬に、喜ぶ健介。しかしその後、咄嗟に外に出て、「危ない危ない、あれは機械」と呟く姿が切ない。容姿だけではなく、ヒューマノイドには、生前の記憶がインプットされています。あんなに息子そっくりでは、正気ではいられない。音々と言えば、むしろその事に喜びを感じています。翔は死んではいない、返ってきたのだと、満面の笑みを浮かべます。これも歪で切ない。渋々でも健介が音々に応じたのは、妻のこの笑顔を、また観たかったからで、心中は複雑なはず。
そうこうしているうちに、翔の死の原因が浮き彫りになる。病死ではなく、事故か誘拐かのようです。デリカシーの足りない実母(余貴美子)が苦手な音々は、「あの時、お母さんがいきなり来なければ、翔は死ななかった」と詰ります。健介が「パチンコはやらん」と言った時、これは翔の死に繋がるなと感じましたが、これは当たっていました。
うーん、これで翔の死を母のせいにするには、無理がある。八つ当たりです。普通、矛先は健介ですよ。母が苦手なのも別に良いけど、あのお母さん、普通にちょい暑苦しいだけの善人だと思う。何故もっと、この夫婦に、盛大に夫婦喧嘩させないのだろうか?させないなら、それに沿った描写が必要だと思います。子を亡くした喪失感が、薄っぺらい。
対して健介は、よく描けていたと思います。ヒューマノイド翔に、翔の死因の記憶がないか、必死な様子や、抱き着いて「ごめんな」と号泣するシーンは、胸に込み上げるものがありました。大悟は終始ずっと好演で、息子に対する罪悪感を、澱の如く心に抱えていたのが解りました。
解らない点が何点かあります。妹は二人目不妊みたいで、下の子は養子を貰っている。妹を音々と逆で、母性豊かで母親向きに描きたかったのでしょう。でも一人子供がいて、もう一人養子を取るケースは、稀だと思う。二人目不妊は良くあることで、不妊治療して出来た子、で良かったかと思います。
怪我をした翔を診るロボットドクター(中島歩)は、ヒューマノイド翔の秘密に気づきます。何故音々に、その事を告げないのか。ドクターがヒューマノイドなら理解出来ますが、人間だと名乗る彼。何かちぐはぐです。
ヒューマノイドを購入した事によって、新たな気付きを得た夫婦が、再生されたような様子は良かったです。でもあの台詞はなんだ。音々「私たち、子供に捨てられたんだよね」健介「普通、そんなもんだろう」。声を大にして言おう、全く違います。
あれは「親」から離れる時期が来たと考えた、親離れ子離れです。親が子に捨てられるのも普通じゃないです。子を虐待した親なら、そういうケースもあるでしょう。自立や結婚すれば、優先順位は代り、親が優先される事はないでしょう。しかし、断言します。子が親を捨て、親が子を捨てる姿は普通ではなく、不幸です。
私の亡くなった母は、私の結婚と同時に父と離婚。親兄弟とも縁を切っていた「不幸」な人でした。病を得て、まだ30前の私に、「私が死んだら、無縁仏の墓に葬って」と胸を張って言いました。その遺言が肩で風を切る様に、カッコ良いと思っている未熟な人です。私は言いました。「ああそうですか、ありがとうと、もし私が答えたら、お母ちゃんの子育ては正解やったんか?娘が二人居るのに、そんな事、出来るわけがないやろ」と答えると、黙り込んでしまいました。浅はかな母です。
あげく、ガンと言う余命を測れる、ある意味ラッキーな病で死んだのに、あれもこれもほっぽり出して、私は死ぬんや!ばかり言いながら、亡くなりました。遺骨は妹と相談して、一心寺に葬り、納骨堂で数年待った後、有難く骨仏となりました。母の我がままで画の強い人生を顧みると、身に余る光栄です。本当に娘を想うなら、娘たちが遺骨の殊遇に困らず、世間にも謗られないように、万端用意しておくもんやで、お母ちゃん。
と、この夫婦の会話を聞き、咄嗟に母の死と為人が浮かびました。未熟で表層的にしか理解出来ていないのに、孤高を装う、です。是枝=母とは違います。でも似た感覚なのよね、私には。人と違う台詞言わせて、悦に入るみたいな。それが私の感覚では、全然決まらない。あー、これが私が是枝が苦手な原因かと、目から鱗でした。
とまぁ、映画の感想になっているのか、なっていないのか。取り敢えず、持ち上げる気には、ならない作品でした。
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