ケイケイの映画日記
目次|過去|未来
無言で問題提示したり、解釈を観客に委ねる作品は嫌いではありません。でも心が動かされる場面が少ないと、戸惑うものだなと、この作品を観て感じています。今回は合いませんでした。監督は濱口竜介。今回ラストが重要だと思うので、ネタバレです。
自然に囲まれた長野県水挽町。便利屋の巧(大美賀均)は、この土地で娘の花(西川玲)と暮らしています。自然と共存しながら、穏やかな日々を送っている町の人々でしたが、突然この地にグランピング施設を作る計画が持ち込まれます。
曇り空の中を、延々と下から木々を映すショットに続き、湧水を汲むシーン。鬱蒼とした森の中を、親子で岐路に着くシーン等、冒頭は過疎化が進む土地なのかと感じました。しかし、施設の建設の説明会にきた面々を見ると、老人より中高年が多く、土地に惚れ込んで移住してきた人や若者までいる。何より学童が営めるほど子供がいるので、程ほどの地方なのだと取りました。でも住人6000人のセリフもあったのに、あの人数の説明会参加は、少なくないかな?
冒頭から暫く、素人くさい芝居に、個人的に美しいと思わない自然ばっかり見せられて、寝そうになりました。それが、説明会でお話が動く。適当な計画説明で、煙に巻く予定だった建設側は、住人側の的確で鋭い質問や要望にタジタジで、這う這うの体で終了。どうせ田舎もんで、こちらの言い分で誤魔化せると思っていたのでしょう。
金髪でお洒落っぽい若い男子が、「この会社、本体は芸能プロだよ。コロナの助成金狙いの素人だよ」と、スマホ片手に語るシーンの導入は、都会から離れていても、今は充分情報は入手できると表現していたと思います。情報量=賢さではありませんが、無いとあるとは、雲泥の差だなと感じます。
説明に来ていた高橋(小坂竜士)と黛(渋谷采郁)が、本当は畑違いの仕事に嫌気がさし、住人に対して良心が痛み、白紙に戻したいとさえ思っている事。「悪」では、ないのよね。イケイケの社長やコンサルトの板挟みになっています。二人が長野まで行く車中での会話が面白い。仕事に対して岐路に立ち、社会人として迷う様子が、会話からとてもリアルに伝わり、共感します。
蒔き割をしたいと巧に申し出る高橋。なかなか出来なかったけど、出来た時の爽快感を口にします。それだけ人生に迷っているのでしょうが、この事を契機に、この土地を肯定する様子に、浅はかさを感じます。地方は都会の人間の疲れを、癒すだけの場所ではないはず。その思考は傲慢で失礼ではないですか?厳しい自然、日常生活の不便さと共存する覚悟が無ければ、軽々移住を口にすべきではないと思いました。
その後、独りで学童から帰った花が帰宅しない。冒頭でも思っていたけど、車で送迎するような場所、遠さで、親の連絡なしで、子供の意思だけで帰宅を許可する学童って、どうなの?危機管理が無さ過ぎるし、子供を預かる公的機関では、有り得ません。花は寄り道して帰る癖もある。田舎でも変質者はいるし、獣だって出るでしょう。ここはリサーチしたのかな?私的に一番のツッコミはここです。
「金には困っていない」「暇ではない」「花のお迎えを度々忘れる」。これは巧の言葉です。家に飾ってあった妻との三人の写真は、直近のもの。妻が送迎していたので、まだ慣れていない。突然のシングルファーザーで、子育てと仕事の両立で時間がない。妻の死亡保険金が入ってきている。等々想起しました。
そして「鹿は人間を襲わない。襲うのは手負いの鹿だけ」。鹿狩りの発砲の音など、伏線を回収するラスト。見つかった花が近寄ったのは、銃弾が貫通した鹿でした。突然高橋を羽交い絞めする巧に唖然。絶命したように見える高橋のすぐ後に、鼻血を出して眠る様な花。はい?そして息絶えたはずの、高橋が蘇生したかのような、「何だよ・・・」のセリフで終わり。はい?(笑)。
このシーンに限って言えば、花が鹿に襲われる→死ぬかも?→高橋を代りに差し出せば、花の命は助かる→でも高橋生き返る→なので花死亡?みたいな、土俗的な因習に則った、巧の行動かと思いました。
高橋や黛の葛藤も、巧の羽交い絞めも、悪意はないでしょう。社長もコロナ禍で従業員の給料を守らねばならず、補助金を目当てにするのは、理由がある。コンサルも営業テクニックとしては黒ではない。「悪は存在しない」のタイトルは、一見悪に見える方にも、情状酌量のB面がありますよ、との意味でしょうか?
でも私は悪意や悪は世の中に蔓延っていると思っているので、これくらいはでは、騙されないぞ(笑)。「水」が重要なモチーフですが、水は低きに流れ、下流に汚れが溜まるの事実も比喩も、もう私の年齢なら、ありきたり過ぎて、それなりに実践して生きているのでね、あんまり響かなかったなぁ。
キャッチコピーの「これは君の話になる」は、私の解釈では、なりませんでした。罵詈雑言ではありませんが、お金払って、素人くさい芝居を見せられるのは、私は嫌いです。私的に美しいと思う風景もなく、概念も観念も人生に根付いている事を、思わせぶりに描いた作品で、好きな作品ではありませんでした。
|