ケイケイの映画日記
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いやー、力作だなぁ。この原作、映像化するのは、すごく大変だったと思います。なかなかイメージが追い付かない中、段々と作り手のメッセージの輪郭が浮かび上がってきて、ストンと胸に落ち着く頃には、この作品が大好きになっていました。監督は岸善幸。
検事の寺井(稲垣吾郎)は、小学生の息子が登校拒否になり、その事で妻(山田真帆)との間にも溝が出来つつあります。夏月(新垣結衣)は、独身で実家住まい。友達もおらず、毎日淡々とした日々を送っていたところ、中学生の時に転校した佳道(磯村勇斗)が、こちらに戻ってくると知り、胸が騒ぎます。学園祭の企画で、大也(佐藤寛太)と知り合った八重子(東野絢華)は、男性が怖いにも関わらず、何故か大也が気になります。
この三組が、ある性癖と絡めて、少しずつ繋がっていきます。その性癖とは、水。水フェチなんです。もうね、女王様の聖水プレイ以上に解りません(笑)。ただお陰様で私はたくさん映画を観ているので、その嗜好は観た事も聞いた事も無かったですが、否定する気にはならず。こんなのもあるのか、大変だなぁと、変に感心。そして興味が湧きました。それが結果的には鑑賞に役立つ事に。
水に性的興奮を覚えるのですから、カテゴリー的には変態かと。ずっと書いていますが、私は他人に迷惑をかけたり傷つけたり、犯罪でなければ、どんな変態でも構わないと思っています。でも私みたいな人は少数派なんでしょう。夏月、佳道、大也の三人は、世間から白い目で見られないよう、自分の性癖がばれないよう、人とは関わらないように、ひっそりと生活しています。受け入れられる事は、最初から諦めていて、大也など、人を寄せ付けない様子は、攻撃的に見えるほど。観ていて辛くなる。
世間を代表しているのが寺井。自分の辞書には不登校などなく、声を荒げたり手を出したりはしませんが、自分の理解出来ない事は、正論で押し通し否定する様子は、モラハラっぽくさえ見える。不登校に関しては、妻には賛成できかねる部分もありますが、あれこれ手を尽くしてきたのでしょう、子供の笑顔が最優先だという感情は、同じ母としてとても理解出来ました。
夫婦の溝を、夕食がレトルトカレーや、作り置きのオムライス「だけ」の献立で表すのが秀逸。仕事して帰ってきた旦那さんに、妻としてこれは無いと思う。部屋も徐々に散らかり放題。なのに、顔をパックする時間はあるという。妻の視界には、ほとんど夫は居なくなっているのでしょう。でも一番ダメなのは、夫がその事に気づいていない事です。ある意味夫も、妻子に本当の意味で、関心がないのです。子供が不登校にならなければ、夫婦のお互いへの思いは、露わにはならなかったと思います。
お互いの嗜好を確認した夏月と佳道。人への性的欲望はない二人ですが、徐々に距離を縮め、お互いがなくてはならない間柄になります。「もう一人で生きてきた方法を忘れた。居なくならないで」と言う夏月に、「僕もだよ」と答える佳道。そこには性も恋も媒介しないけど、その気持ちは、愛ではありませんか?そう思うと、この二人は普通のカップルだと思いました。
八重子は、多分性的なトラウマがあって、男性が怖い。大也に惹かれたのは、性の匂いがしなかったからだと思います。彼も女性への性的興味はありません。だから八重子は、男性への恐怖が、大也なら払拭出来ると、恋をしたのでしょうね。口を過呼吸気味にパクパクさせながら、一生懸命自分の気持ちを大也に伝える八重子。大也の心は少し解れますが、そこまで。夏月と佳道にはならない。大也の先輩の言うように、私も八重子なら大也を孤独から救うと思ったので、すごく切ない。大也はまだ本当の自分を語れない。愛情を得るには、勇気が必要なんだなと、しみじみ思いました。勇気を出した八重子には、幸あれと思います。
この作品、人との繋がりをネットに求める危うさも描いています。私は小学生が学校に行かないでYouTubeに配信するのは、やっぱり反対。まだ人間形成が出来ていない時に、不特定多数の人に、自分を曝け出すのは危険過ぎます。佳道も、夏月の存在が、他の人とも繋がりたいとの思いを抱かせたのでしょう。人との接触が希薄だったため、クズを引いちゃったんでしょうね。
私も40歳になるかならないかで、ネットの世界に入り、たくさんのお友達が出来て、盛んにオフ会したものです。善き人ばかりで、今も楽しく繋がっている方も多く、運が良かったのだと、この作品を観て思いました。私は趣味としてはマジョリティの映画だったし、レビューは、書く人の年齢・性別・知力・体力・人生の経験値等、大げさに言えば、書く人の全てが投影されるもので、それも功を奏したのでしょう。それ故に、マイノリティーの孤独さが、切々と伝わってきます。
稲垣吾郎は本当に不思議な人で、知性はあるのに、鈍感で無神経な、でも人の心はちゃんとある人を演じて、本当に上手い。水に性的興奮を覚えるガッキーのシーンは、官能的で清廉で、綺麗だなとさえ思いました。これは多分ガッキーが演じているからでしょう。この二人をキャスティングした事が、成功の最大の要因だと思います。
世の中の価値観は、多種多様となって、選択肢が増えました。しかし何も考えず固定観念で生きていた昔の方が、「それだけ」だったので、迷う事が無かった分、楽だったかも。でも楽の先に幸せがあるかと言えば、さにあらず。茨の道の向うに待つ幸せも、きっとあります。「女三界に家無し」を引きずった時代に生きた私は、今の時代の方が良いと、言い切りたい。多様性を認めるのは、人権を守る事だと、私は思います。
自分の辞書にない事は、理解出来なくていいんです。私もそんな事、たくさんあるもの。でもその事を否定しないこと。世の中は自分の思考が全てではないと、認識することが大切だと思いました。特異な性癖をモチーフに、今の時代に、とても大切な事を教えてくれる作品でした。
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