ケイケイの映画日記
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2023年07月09日(日) |
「Pearl パール」 |
「悪魔のいけにえ」テイスト+老婆のシリアルキラーというインパクト大な、正統派スプラッタホラーとして、私も大好きな「Xエックス」の前日譚。前作で大活躍だったパールお婆ちゃんの若かりし頃を描きます。今回は、エログロびっしり、ある意味華やかなホラーだった前作とは異なり、1918年という時代を通して、今も垣間見られる女性の哀歓を描いていて、しっかりしたドラマ性のあるホラーでした。少々びっくりしたけど、今回もとても堪能しました。監督はタイ・ウェスト。
1918年のテキサスの貧しい農場。年若い人妻パール(ミア・ゴス)は、婿入りしてくれた夫のハワードは志願して戦地へ行き、今は厳格な母(タンディ・ライト)と、病で寝たきりの父(マシュー・サンダーランド)の三人で暮らしています。来る日も来る日も、父と家畜の世話で日が暮れる生活に、飽き飽きしているパールは、ダンサーとして銀幕スタになる夢を見るのだけが、生き甲斐の日々でした。
冒頭、ガーリーな服装でにこやかに踊るパール。クラシックで鮮やかな、夢のある導入部分の演出は出色。「オズの魔法使い」風で、おとぎ話を思わせ、ホラーとは全く思えない。しかし、夢を見るのは一時だけ。母に見つかり、服装はサロペットにブーツと、農夫の格好で仕事するパール。孤独な彼女は家畜に名前をつけて友達のように接しますが、前作の姿を彷彿させもし(鰐もまた仕事してるし!)、なかなか不穏です。
時はスペイン風邪(インフルエンザ)が猛威を振るい、作中は今のコロナ禍を思わす様子でいっぱい。そして母と娘の関係性も不穏で、昨今言われる「毒親」が頭を過る。母は厳格なだけではなく、パールに対して超抑圧的。ニコリともせず、正論の押し付けばかりで、娘の感情を踏み躙る。観客はパールに同情するでしょう。しかし作り手は、この母に憐憫の想いを寄せるのです。
「生活が厳しく始末しろ」「雨風凌げて飢えてはいない。何が不満か」「この境涯を受け入れれば、幸せになれる」。これと全く同じ言葉を、私は生きていれば100歳の姑から聞きました。嫁の私に説教したのではなく、こう思いながら、自分を律して生きて来た、と言うのです。舅に苦労させられた姑は、「これが幸せと自分に言い聞かせてきた」「親から、女は下を見て生きろと言われた」。男は出世をしろと上を目指せと言われて、女は下には下があるので、我慢しろと言われる。洋の東西を問わず、同じ辛さを強いられていたのだと、愕然としました。
一人ベッドで咽び泣く姿、「私は妻であって、母ではない」と、夫の介護の辛さを露にし、決して母は成りたくてこのような人になったのではないと描いていた事に、深く共感。この掘り下げなくば、夢見る夢子ちゃんではいられなかった、パールの哀しみも半減するというものです。
父は病に倒れ、ハワードは出征。折しもパールの家はドイツ系。夫・父という守って貰うべき存在の不在は、母と娘に重く圧し掛かっている。そこに戦争が起因しているのは、明白です。
案山子とのセックスめいた自慰、映写技師(デヴィッド・コレンスウェット)とのセックスにのめり込むパール。ニンフォマニアの片鱗を見せ始めますが、心の渇きや不安をセックスに求めるところなど、メンヘラ女性の典型です。
圧巻だったのが、長回しで義妹のミッツィー(エマ・ジェンキンズ=ブロー)を前にしての、パールの独白。自己肯定感が著しく低く、そこには確かな愛情を求めては得られない、彼女の辛さが正常な思考や感情の芽生えを奪ってしまったと、じっくり描いています。決して元からのニンフォマニアや、シリアルキラーではないと思います。
メンヘラって女の専売特許なんですが、どこかで引き返せるポイントはあるんですね。パールの場合は母との関係ですが、ああ見えて多分母もヘラっていたと思います。時代に翻弄されたように感じさせる脚本も、秀逸です。
段々と壊れていくパール。「怖い」という言葉は、彼女に絶望をもたらし、逆上させる。もうこの辺になると、ゴア描写や血しぶきも、ちっとも怖くなく、ただただパールが哀しくて。これ本当にホラーだったんだろうか?(笑)。
ラストのミア・ゴスの狂気の泣き笑いの姿も圧巻。いやいや、こんなに良い女優だったの?ミア・ゴスって!最後の方は、色情狂で殺人鬼、親不孝者のパールちゃんに、すっかり情が移ってしまい、一緒に涙ぐむ始末。これ全てミアのパールが憑依したような熱演と、監督の腕前でございます。ミアは脚本・製作も担い、この作品にかける熱意を感じます。紐づけしながら、前作のテイストとは全く違う語り口で、堪能させてくれた監督にも拍手!
さぁ次はいよいよマキシーンのターン。息切れせずに、突っ走ってくれるのを、大いに期待しています。
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