ケイケイの映画日記
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2023年01月29日(日) |
「イニシェリン島の精霊」 |
わー、もうスゲーな、監督!100年前の架空のアイルランドの孤島を舞台に、おじさん二人の仲違いを通じて、人間の本質をアイルランドの内戦を絡めて描いています。一生監督について行きたくなる作品。監督はマーティン・マクドナー。
1923年、アイルランドの孤島、イニシェリン島。今日もパードリック(コリン・ファレル)は、親友のコルム(ブレンダン・グリースン)とパブに行くため、彼の家まで誘いにきました。しかし無言のコルム。その後、謎の絶交宣言されるパードリック。長年友情を育んできて、昨日までの仲良くしていたのに。納得出来ないパードリックは、何故なのか、その後もコルムに付きまといます。業を煮やしたコルムは、今後パードリックが自分に話しかけたら、自分の指を一本ずつ切り落とすと宣言します。
冒頭映し出される、喉かで牧歌的な島の風景は、少し視点をずらすと、荒涼として寒々しくも見える。この塩梅が絶妙で、鑑賞後、この冒頭こそ、この作品を映し出していたんだなと思います。
純朴そうなパードリックに対して、強面のコルムの、このいきなりの宣言は、心無く感じます。しかしお話が進むと、バイオリンの名手で作曲もこなせば、知識も豊富なコルムは、この島では、一目置かれているのが判る。対するパードリックは、純朴で善良に見えるも、頭の回転が鈍く、コルム以外には、親しい友人もいない。
コルム曰く、「自分はもう何年も生きられない。やりたい事が山ほどある。退屈なお前の話に付き合う時間がないのだ。」そう。こうまで言われれば、ああそーかい、上等じゃねーか、、こっちから願い下げだよ!と、普通はなるのに、納得しないパードリック。善良さに変わりはなくても、純朴と言うより、愚鈍な人だと解ります。最初は侮辱的なコルムに腹が立ったのに、段々コルムの言う事が理解出来ないパードリックに、イライラしてきます。
小さな島は、二人の噂で持ち切りに。神父さんまで、いっちょ噛みする始末。でもコルムに言い返されて怒った神父は、コルムに「地獄に落ちろ!」と怒鳴ります。えぇぇ!懺悔する信徒に、そこまで言わなくてもと、びっくり。しかしこの島の人を見渡せば、傲慢でサディストの警官、噂話と陰口が好きで、人の手紙まで勝手に読む小間物屋の女主人、禍々しく不吉な予言ばっかりする、魔女みたいな老女(これがどうも精霊らしい)。二人の喧嘩に物見遊山は人々など、はっきり言って低俗です。そして面白おかしく人のプライバシーを覗き込む、悪意もある。
そんな中、コルムがシンパシーを感じるのが、パードリックの妹のシボーン(ケリー・コンドン)。聡明で知性があり、人の噂話をするより、読書に勤しみます。彼女もまた、島民には「嫁き遅れ」と陰口を叩かれながら、異彩を放っています。
シボーンはコルムは病気だと、兄を慰める。私もそう思う。このファナティックさは異常です。指を切り落とした時は、ゴッホかと思いました。切欠はアイルランドの内戦だったんじゃないかなぁ。毎日にように対岸から砲弾の音がして、この閉塞的な島のBGMのようになって、自分の人生や年齢を顧みて、こんな筈ではなかったと、どんどんコルムの感情を追い込んでいったのではないかな?
シボーンはいつも怒ってばかりいます。この島を覆う閉塞感や、礼節や品格の無さに、常に苛立っています。しかし他者の心は傷つけない。彼女には理性と慈悲深さがあるからです。「俺は退屈か?」と傷つく兄に、「兄さんは良い人よ」と慰める。モーツァルトの件で、コルムの間違いを指摘したシボーンは、記憶違いだけではなく、兄に対しての無礼にも、「貴方は間違っている」と言いたかったのではないかな?同じように教養豊かで知性があっても、明確にコルムとシボーンは違いました。アイルランドの内戦も、シボーンのような思考なら、起こらなかったと描いていたのかも。この辺は私は内戦の知識に疎いので、違うかもですが。
警官の息子のドミニク(バリー・コーガン)。軽度の知的障害を思わせる彼は、自分の気持ちに忠実です。酒が飲みたい、煙草が吸いたい、女性と話したい、そしてシボーンに恋している。当たって砕けろと、シボーンに告白しますが、「それは無理なの」と、優しい笑顔で返され、納得して引き下がります。優しさと敬意に満ち、美しい。私がこの作品で一番好きなシーンです。
ドミニクは平易な言葉しか発しませんが、内容は的確。彼からは悪意は全く感じません。子供も夫婦も若者も、誰も居ない様な島で、自分に正直に生きています。そして、自分と同じく悪意のない人だと思っていた、パートリックの変貌を指摘して詰る。コルムを含む島民の悪意と野次馬根性が、純朴だったパートリックにも、悪意を持たせてしまうのです。
島から抜け出し、ロンドンに働きに出るシボーン。きっと両親が健在なら、もっと早くに逃げていたでしょう。頼りない兄を、一人にはしておけなかったのですね。しかし、まず自分を守らねば、兄も守れないのです。シボーンは正しい。本当に孤独になってしまったパードリックに起こった、その後の出来事。強気一辺倒だったコルムに反省を促したのは、コルムもまた、自分の身の上の孤独を噛み締めたからだと思う。島民全てが顔見知りでも、本当に心を許せる人がいないのです。
悪意と哀しみが心を満たすとどうなるか?狂気でした。分別盛りのはずの、いい年をした、おじさんの喧嘩は、アイルランドの内戦を揶揄しているのでしょうね。監督も俳優も、皆アイルランド人で集結しているのは、そのためですね。
作品、監督、脚本、ファレル、グリースン、コンドン、コーガンは、全てオスカーノミニーです。 ファレルはね、私は昔は生理的にダメだったのよ。うんうん。それを覆したのは、私の愛するヨルゴス・ランティモスの「ロブスター」での、役作りのため15キロ太り、情けないキャラでした。あれからアレルギーが取れたと言うね、彼のファンからは殺されそうなんですが、あれよりもっと今回が好き!愚鈍で苛つかせるも、どこか愛嬌があり、放っておけない母性愛を刺激するパードリック。私はシボーンの心で観てしまった(笑)。
グリースンは強面の外見から想像し難い、繊細なコルムの内面を好演。モテ男に充分観えます!コンドンは素敵だったなぁ。下手な芝居だと、怒りばかりが目立ち、シボーンの賢さや優しさが、かき消されたはずです。コーガンは、私は不敵で不穏な彼しか記憶になかったので、ある意味無垢なドミニクを、びっくりする程の好演でした。「ギルバート・グレイプ」のレオを思い出したくらいです。
警官に殴られたパードリックを介抱し、馬車で送るコルム。絶交宣言後です。途中で降りるコルム。目の前には、二つに分かれた道が。違う道をコルムが行くことを、パードリックが尊重していればな、と思います。
ラストの二人のすれ違いの答えは、恋に似ている。追えば逃げるし、逃げれば追うし、です。「愛憎」とは、恋と戦いなのかも。オスカーの発表が、とっても楽しみです!
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