ケイケイの映画日記
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2022年05月22日(日) 「流浪の月」




観ながらずっと、これ原作は良いのだろうなぁと思っていました。長尺の割には説明不足、冗長に感じる場面もしばしばです。メッセージが尊いのは理解出来ましたが、私には決定的に破綻しているのでは?と感じる箇所があり、私的には何で巷でこんなに高評価なんだろう?と、少々謎です。監督は李相日。今回はネタバレです。

10歳の更紗(白鳥玉季)は、雨の日の公園で傘をさしてくれた19歳の大学生、文(松阪桃李)と出会います。家に帰りたくないと言う更紗に、「うちに来る?」と尋ねる文。そのまま楽しい日々を過ごす二人でしたが、二か月後、文は更紗の誘拐犯として逮捕され、終焉を遂げます。15年後、ファミレスでアルバイトする更紗(広瀬すず)は、一流会社に勤める亮(横浜流星)と同棲中。ある日同僚のシングルマザー安西(趣里)に誘われたカフェで、店主として働く文と再会します。

子供らしい素直さと明るさの反面、家庭に屈託を抱えている更紗。父は亡くなり、母は男と出奔。親戚に預けられるも、そこの中学生の息子に、性的虐待されています。寄る辺ない身の上は、この事を誰にも告げられず、彼女が家に帰りたくない気持ちは充分理解出来ます。小学校時の更紗を演じる白鳥玉季が秀逸。面差しが広瀬すずに似ており、彼女の好演で、更紗の本質は明朗だと記憶できます。

対する文は、大人しくて優しいですが、暗い。性的な接触は更紗に求めず、後々彼に付きまとうロリコンではありません。しかし下心無しに19歳の男性が小学生女子と暮らすのは不自然で、彼にも何かあるのは明白。晩御飯にアイスクリーム、寝そべってピザを食べる更紗。「怒らないの?」と文に尋ねるので、これは以前の家庭での名残でしょう。私は躾が悪いと感じましたが、微笑む文には、新鮮に感じたのでしょう。後述、文の母親(内田也哉子)は、息子から正しい事しかしないと語られるので、躾は厳しかったのでしょう。そこから抑圧されて育ったのかと推測しました。

松阪桃李は、ちゃんと二十歳前後の男性に見えました。役作りにだいぶ痩せたのでしょう、眼差しに鋭さと純粋を湛える、屈託を抱える文を上手く演じています。

正に魂が共鳴、呼応したんだなと、ここまでは問題なし。幼い更紗はともかく、ほぼ大人と認識される年齢の文でも、自分の孤独を癒してくれる更紗の存在は尊かったはずで、浅はかさよりも、覚悟を感じました。

成人してからの更紗は、自分を偽って生きているのが解る。同僚とのシーンしかり、亮とのセックスしかり。相手に合わせてばかりです。何度も出てくる「私は可哀想じゃないよ」と言うセリフ。必死で自己の確立を保つ心を支えているのは、文との二か月です。

その他は、色々疑問が。15年前の事件って、今でもそんなに記憶があるのかな?名前を聞いただけで、直ぐに繋がるものなのでしょうか?往々にして好奇心に晒されるのは理解出来ますが、こう周りがみんな「更紗はかつてロリコンに誘拐された子」と、表立って本人に言いますか?それも被害者側に。確かにネットに晒される恐怖は事実ある事です。でも15年は本人はともかく、周囲、それもその時全く無関係だった人には、風化させるには十分な年月です。この辺は人によって見方は変わると思います。

文はこの件で、少年院に入ったと語り、更紗は自分の我がままと、事情聴取で従兄の性的虐待を言い出せず、文の罪を重くしてしまったと、謝罪します。これは疑問ですが、更紗が文に暴行されていないと立証出来たら、文は少年院に行かずに済んだのでしょうか?当時ギリギリ未成年の文に、精神鑑定はあったのか?このプロットがラスト私が「破綻している」と感じる切欠です。

二人の仲を引き裂こうと、ネットに文の過去と現在を画像入りで載せる亮。そこから瞬く間に拡散は解かる。いやいや、解り合えるのは世界で二人だけ、とは、充分に描いている。なら、手に手を取って誰も知らない場所に逃避行すれば?二人とも相手はいても独身。店は生前贈与して貰った資産で開いたもの。叩き売ったら、逃避行のお金くらい出るでしょう?19歳と10歳のような感情は保っていてもいいですが、今後の予見くらいは15年の歳月で分別つくと思いますが。

作中端的に一番上手く描いていたのは、亮です。「どうせバイトだろ?」「俺の飯は?」等モラハラ発言の数々に、言わなくても良い更紗の過去も家族に話す。帰る場所のない更紗をがんじがらめにしたいのでしょう。そして壮絶な更紗への暴力。田舎の農家の跡取り息子としてのプレッシャーは、帰郷の場面で感じました。他にもこの人にも何かあるんだな、は感じます。それを感じさせてくれたのは、横浜流星の好演です。その辺のイケメン枠の俳優だと認識していたので、敵役なのに、更紗に対しての執着に哀しみまで漂って、びっくりしました。

安西の八歳の女子、梨花を預かる更紗。男と旅行中の安西は、約束の日に迎えに来ない。文も一緒に梨花の面倒をみる。うーん、二人の過去を考えれば、あり得ない。周囲の口に上っている段階で、要らぬ誤解を生む行動は慎むはず。二人ともこれでもかと言う程、嫌な目に遭っているはずなのに。これくらいの人生の経験値はあるはずです。発熱で学校も休ませているシーンもあり。更紗が学校に休みの電話を入れれば訝しがられ、事情を言えば、即行学校から誰かが来ます。児童相談所に通報もあるかもしれない。

それと安西。迎えに来たと言うセリフだけで、謝罪も無く、「ロリコンに娘を提供した!」とのお角違いの訴えもなく、後始末が雑。更紗の小学生時代の行儀の悪さに加え、子供の状況を雑に扱い過ぎです。子供の環境を整えるのはとても大切で、とても手のかかる事です。家庭環境は、この作品の重要なテーマなのに、それをさらっと流し過ぎです。

結果は予想通り。しかし何もない文は今回は無罪放免。ここでまた謝る更紗に、文は全裸になり、泣きながら自分の秘密を明かします。ここはぼかしているので想像ですが、文には性的な第二次性徴が来なかったのでは、ないでしょうか?端的に言うと、性器が成長しなかった。母に自分の発育不全を問うているシーンもありました。

文が性的な興味を持てないのは、恋人(多部未華子)とのシーンで解ります。私は無性愛者だと思っていましたが、身体的なら話が違う。「出来ない」のと「しない」のは違います。少年院に入院する審議で、身体検査はあったはずです。その時、更紗への暴行疑惑は晴れたのでは?これは本人の意思とは関係ない話です。その事で精神鑑定もあったと思う。いくら厳しい文の親とて、息子の身体状況には悩みがあったはずで、裕福なら良い弁護士もつけられて、情状酌量があったと思いました。病院にも通院歴があると思われ、そこからの医師の見解もあったはず。無罪放免は無理でも、鑑別所では?更紗を性的に傷つけたかどうかは、重大な送致される審議になると思います。

文と更紗の心模様、文と母の親子関係、障害など、きっと原作は描き込んでいたのでしょうが、私は映画では二人に寄り添えませんでした。生い立ちからセックスを嫌悪し、自己肯定感の低い更紗。こちらも拭えぬ一生の屈託を抱える文。二人でしか分かち合えない感情は、性愛抜きの人間同士の愛情として、これは有りだと思います。これが救いかな?

撮影監督は「パラサイト」等のホン・ギョンピョ。月の光、水面の輝き、太陽のぎらつきではない優しい光など、美しかったです。「流浪の月」とは、これから流浪の果てにどこに行こうと、二人一緒に月を観ていく、との決意の意味かな?これもお話ししたくなる作品です。


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