ケイケイの映画日記
目次|過去|未来
もう笑った笑った!今録画した志村けんの追悼番組を、三男と一緒に観終わりました。志村けんが荒井注に代わり、ドリフに加入したのは、私が中一だったかな?昔の中学生は今より幼く、私は高校まで「全員集合!」を観ていました。ご贔屓だったカトチャンが一歩下げられ(昔のカトチャンは、瀬戸康史みたいで可愛かったんだよ)、私は不満だったので、イマイチ志村は好きじゃありませんでした。
その見方が変わったのは、子供を産んでから。新婚当時、4歳だった上の甥は、ドリフを観て、ケーケッケッケケ!ケタケタケ!と、本当に笑い袋みたいに笑う。それが面白くて。その時2歳だった下の甥が4歳になると、またケーケッケッケ!と笑う。そーか、赤ちゃんから幼児になると、こういう風に笑うんだなぁと、やはり面白く思っていました。
そして私の息子たち。上の二人も幼稚園に行く前後、バカ殿や変なおじさんを観て、ケーケッケッケ!同じように笑いました。次男と7歳離れて生まれた三男も同じ。そして母親の私も一緒に笑う。親子二代で笑わせて、志村けんってすごいなぁと、つくづく思いました。
コロナに罹り、容体が良くないと聞いて、「志村けんが死んだら嫌やわ」と、夫に告げる自分に、あら?と我ながらびっくり。そんなにファンでもないのに、何故かしら?旅行に行こうと有休を取っていたのに、コロナでキャンセルで、時報代わりのテレビをそのままにしていたら、速報で訃報が入りました。涙が出て、またびっくり。
「志村けんには、日本中の人が世話になっている」とは、三男の言葉です。あぁそうやわ。夫と喧嘩した時、仕事で嫌な事があった時、暮らし向きが大変な時、私はバカ殿を観て、変なおじさんを観て、ケーケッケッケ!と無邪気に笑う息子たちを観て、元気を出したじゃないか。この子たちの笑顔がずっと見られるよう、頑張ろうって。だから、こんなに哀しいのね。私も志村けんには、大変お世話になったんです。
もう大人になり、ケーケッケッケ!とは笑わなくなった三男ですが、二人で爆笑に告ぐ爆笑で、涙が出るほど笑いました。「会社で当日は志村けんの話題で盛り上がったのに、昨日今日はそうでもないねん」と、三男は不満そう。盛り上がる妻と息子を傍目に、一人夫は蚊帳の外。「お父さん、志村けんすきじゃないの?」「『だいじょうぶだぁ!』やっているときは、お父さんは家族をほったらかしにして、自分だけ遊んでたから、面白いのを知らんねん。なぁ、お父さん?」「そうか。この話は長くなりそうやな(by三男)」(笑い)。
いつまで続くのかと、段々と気持ちが緩み始めていましたが、志村けんのお陰で、気が引き締まりました。お世話になった恩返しは、コロナに罹らない事しかないよね。彼の死亡を聞くまでは、映画館に未練がたっぷりでしたが、これを限りに、自粛が解除されるまで、きっぱり映画館は諦めます。
今まで本当にありがとございました。ゆっくり休んで下さいね。あの世にお酒や綺麗なお姉ちゃんがいると、いいですね。秋に生まれる孫が、ケーケッケッケ!と笑うようになったら、DVD買って、一緒に観たいと思います。
|